ブルー・アイド・弥次喜多

前日のつづき。

グレイト・ウェイヴ―日本とアメリカの求めたもの

グレイト・ウェイヴ―日本とアメリカの求めたもの

ヘンリー・アダムズ

ヘンリー・アダムズは生まれながらにして、国家を担う役職を約束されていたにもかかわらず、そのチャンスをみずから放棄した男として、アメリカ合衆国の歴史上、語り草になっている。彼は歴代大統領の孫として、あるいは曾孫として知られている。

[歴史家C・ヴァン・ウッドワードによる分析]
 「北部連邦の勝利は、勝者である北部は変革せず、敗者の南部だけに変化と革命を課すという、いわば外的な制圧を意味するだけではなかった。その勝利はまた、内的なるものの制圧あるいは否定をも意味していた。内的なるものとは、おそらくかつては南部の敗れた反逆者たちと分かち合っていたはずの伝統的な考え方、すなわち南部の没落をともに受け入れるような姿勢である。(略)」

 だが、南北戦争後のアメリカが見捨てたものを探し求めていくうちに、ヘンリー・アダムズの関心は、アメリカ南部から、さらにその先の領域へと広がっていく。

ラファージ、アダムズと日本へ
(マジ、BLっぽくね、と木下優樹菜口調でw)

ジョン・ラファージは1859年にこの地に来てすぐ、提督の甥の娘にあたる、若いマーガレット・ペリーに出会った。文化の面で日本を開示することになる画家と、提督の血を引くペリー家の娘。この出会いは運命づけられていたのだろうか。
(略)
 ラファージは、南北戦争に関する心の底にある感情を表す視覚言語を模索していた。(略)
時代は確固とした強さを求めたのに対し、ラファージは溶けて流れるものや霧のようにぼんやりしたものを好んだ。(略)
1860年代初期にラファージが熱心に描いた絵画には、日本の画題や素材がくり返し使用されている。彼は、絵の枠内に、閉ざされた日本の世界が集約された静物画を、たくさん描いた。
(略)
「誰それかまわず握手することへの嫌悪は、ジョン・ラファージの特徴だった。彼の中の何かが、女性のような感受性で、あらゆる人との接触を避けたがった」(略)
ヘンリー・ジェームズには、バルザックの散文という牢獄の柵のすき間から、ラファージがこちらをじっと見ているという、あたかも彼が幽閉生活をしているかのような、変わった記述がある。(略)
[妻の自殺で傷心の]アダムズがラファージを日本への旅に誘った頃、マーガレットとの仲はほとんど終焉を迎えていた。(略)
環境によって“閉じ込められた”二人の独身男、アダムズとラファージは、涅槃(ニルヴァーナ)と呼ぶ、あるいはキリスト昇天と呼ぶ、魅惑の風景を求めて旅立った。彼ら自身の破綻した人生に代わる新しい世界を求めて。

ラフカディオ・ハーン

「太平洋を横断する最大規模の蒸気船にも、おまえが買いたいと望むものは載せられないだろう。その事実を認めないかもしれないが、おまえが本当に買いたいものは、船に積めるような代物ではない。店とその店主。各々の暖簾と住人も含めた商店街。街全体と湾とそれを取り巻く山々。しみ一つない青空にそびえる富士山の白い頂。神秘の森林と光り輝く空気。あらゆる都市や町や寺院。そして、この世で最も愛すべき四〇〇〇万の人々が暮らす、日本という国すべてである」

後半思いっきり省略したので、前半からインディ・ジョーンズみたいなモースを。
親の代から村人が入った事のない洞窟に降りる。

「雨空からの薄明かりが、穴をのぞきこむ奇妙な、畏れおののく群集によってさえぎられた。(略)
[水の中に落ちる]
一瞬の沈黙のあと、穴の入口から恐怖の叫びが響いてきた。
(略)
[助手が]取り乱した口調で叫んだ。毒を持った大きなムカデみたいなものが、ぞろぞろと入口から這い出ている、と。わたしはつば広の帽子をかぶり、つるつるしたレインコートを着ていた。それで、ごつごつした穴の縁から転がり落ちてきたのは、てっきり崩れた土か小石か何かだと思っていたのだが、わたしに降り注いでいたのは、なんと巨大なムカデの大群だったのだ。わたしは文字通り毒虫の滝の中に立っていた」
 (略)
「もし壷の発見にわくわくしていたのでなければ、この暗く不快な洞窟で、ムカデの滝の中を這って進むという忌まわしい状況は、わたしをひどく恐がらせたにちがいない」と彼は語っている。