万次郎メルヴィル天心ホーソーン

グレイト・ウェイヴ―日本とアメリカの求めたもの

グレイト・ウェイヴ―日本とアメリカの求めたもの

開国以前の「Old Japan」に惹かれた良家子弟

 アメリカで、ニューイングランドほど日本に魅了された地域はなかった。それは予想されるものだった。セイラム、ボストン、ナンタケット、ニューベッドフォードといったすばらしい港から、ニューイングランドは18世紀後期以来、商船や捕鯨船をアジアの海に送り出していた。(略)
[船長達が持ち帰った異国の珍品は自宅に飾られた後、博物館に収蔵された]
(略)
 南北戦争後、経済と貿易の中心地がニューヨークに移ったとしても、ボストンは国家を築く精神的指標としての役割を主張した。(略)エマソンと彼の弟子ヘンリー・ソローは、早くも1840年代に、精神的な支えとしてのヒンドゥー教や仏教といったアジアの宗教に注目していた。
(略)
 みずから仏教徒だと考えるボストン市民の大部分とは、もちろんアイルランドの労働者たちではない。ブルックスが意味したのは、清教徒のエリートたち
(略)
南北戦争直後の数十年間、そのアメリカ文化の俗悪さと浅薄さにうんざりした、彼ら自称青年貴族たちは、どこか他の場所に、みずからの感性に合った社会秩序を求めたのである。

万次郎とメルヴィル

1841年1月3日、メルヴィルはフェアヘイヴンでアクシュネット号に乗り、日本の沿岸海域に向かった。一方、1841年1月5日、少年万次郎は四国で筆之丞の漁船に乗り、思いもつかなかったフェアヘイヴンに向かったのである。
[メルヴィルが『タイピー』で痛烈に批判しているホノルルの宣教師の使用人の中には、万次郎と一緒に遭難した重助と五右衛門がいた。]
(略)
「日本の海岸よ、万歳!船はそちらに向かっていく」と、メルヴィルは『オムー』の最後に期待をこめて書いた。日本は究極の“異界”であり、何世紀も眠ったままの世界だった。フェイアウェイやマルケサス諸島にある究極の自由ではなく、何かもっと優雅で厳粛なものがありそうな、難攻不落で突破できない要塞の島だった。
(略)
 1846年、『タイピー』が出版された頃、万次郎は再び海に出ることを決意していた。(略)
[一等航海士に選ばれる活躍をしたり、カリフォルニアで金を掘り当てホノルルまでの費用にして旧友と再会、日本までのせてくれる船長をみつけ]
万次郎は上陸用舟艇として、自分で買える程度の中古の捕鯨用ボートを探し出した。(略)オールのついたカヌーのような形で、捕鯨船に救命艇の代わりに積まれるこうした捕鯨用ボートは、クジラを追うのに使われた。メルヴィルが「静かなオウムガイのように、その軽便な船首は海を疾走した」と書いているように、美しい船だった。

ホーソーン

 とにかく風変わりなことにかけて、アメリカ中でセイラムに匹敵する町はないだろう。アジアとアメリカとの緊張に満ちた交流の、最初の半世紀の間、この町の重要性にまさるものはない。
(略)
ナサニエル・ホーソーンは、この港町の全盛期に生まれ、成り上がりの港町、ボストンとニューヨークに帆船貿易を横取りされてしまった衰退期になって、セイラム・カスタム・ハウス(税関)の役人として戻ってきた。(略)“セイラムが重要な港であることをやめた”1845年、ホーソーンは税関の最上階に泊まり込み、『緋文字』の執筆を始めた。港の大部分はそのままだった。湾に遠くまでせり出した長い遊歩道のある広大な埠頭。水路標識というほどでもない、税関の巨大な金色のドーム。セイラムが威信を失ったさまは、海浜沿いの狭い通りにあるホーソーンの幽霊屋敷“七破風の家”に象徴されている。

セイラム三人衆

私は横浜に三たび到着した」と、モースは日記に書いている。「日本美術の熱烈な賛美者で収集家であるウィリアム・スタージス・ビゲロウ博士が、私と同行した」。
(略)
この旅の途中、京都で、彼らは日本びいきのもう一人のセイラム出身者、アーネスト・フェノロサと合流した。
(略)お気に入りの学生で通訳の岡倉覚三とともに、彼は喜んで収集家三人衆の仲間入りをした。

ボストンの天心

粋で華麗なイザベラ・スチュアート・ガードナーの個室ボックス席に、黒い正装の着物姿ですわる岡倉覚三(略)横柄で日本人にしては驚くほど背の高い岡倉(略)
みずからの色あせたキリスト教よりも、もっと精神的に強い何かを求めるボストン市民にとって、岡倉の悲しげな瞳と誇らしげな態度は、東洋の英知を放っているように見えた。

突然の孤独

[1913年ノーベル賞を受賞したタゴールがボストンの天心を訪問]
彼は日露戦争における日本の勝利を称えたが、朝鮮や満州に日本の帝国主義者が進出していったことについては、むしろ冷ややかだった(これが「アジアは一つ」の意味なのか?)。タゴールが去っていくと、岡倉は「突然の孤独」を感じた。(略)
「私はどうやら自分に属さない物たちに戻るようだ」と、彼はイザベラ・ガードナーに語っていた。東洋と西洋との間を行ったり来たりする中で、彼はみずからのアイデンティティーの糸を見失ってしまったかのようだった。(略)
[孤独な晩年に書いたオペラ『白狐』は恩人の失った恋人に扮した雌ギツネの話。最後に恋をあきらめ獣にもどった彼女は口で筆をくわえ歌を綴る](略)
私は以前のすみかに戻ります
臆病なけだもの、醜い獲物に戻ります
犬に狩られ、なぶられ、むさぼり食われるけだものに
月も隠れた荒れ狂う嵐の夜を通して
恐怖と空腹にうちひしがれて
ひとりさまようことでしょう

明日につづく。