バブル期にこそ春樹ギャツビー/坪内祐三

 

ハゲしく飛ばし読み。

アメリカ 村上春樹と江藤淳

アメリカ 村上春樹と江藤淳

  • 作者:坪内 祐三
  • 発売日: 2007/12/07
  • メディア: ハードカバー

春樹『ギャツビー』を楽しみにしていた坪内祐三だったが

 たしか最初は四十歳が目標だった。しかし四十歳になった時は五十歳になり、五十歳を過ぎた村上春樹フィッツジェラルドのことをあまり口にしなくなった。
 白水社から村上春樹の『ライ麦畑でつかまえて』の新訳が出ると知った私は驚いた。裏切られた気がした。
 なぜなら『カイエ』1979年8月号のインタビュー「私の文学を語る」で、村上春樹は「サリンジャーはつまんない。それにしても、いまのアメリカ文学ってのは、どっちかっていうと日本の純文学に近づいてるんじゃないかって気がする」と口にしていたからだ。

 1979年から1983年の村上春樹(それは「風の歌を聴け」にはじまる初期三部作の発表期間である)にとって、サリンジャー(『ライ麦畑』)は、もう「エスタブリッシュ」であるから、わざわざ「人に嫌われ」てまで「悪口を言う」ような相手ではないのだが、それでもついポロッと、「つまんない」とか、「もうしんどい」とか言ってしまいたくなる存在だった(もちろん、それは、ある意味で、それだけサリンジャーを、中でも特に『ライ麦畑』という作品を、強く意識していたことの裏返しとも言えるのだが)。

ヴェトナム戦争小説『ノー・ビーグルズ、ノー・ドラムズ

1980年の村上春樹は、なぜ、ヴェトナム戦争を描いたこの小説を、いわゆる「戦争小説」とはほど遠い『ライ麦畑』と比較しようとしたのだろうか。
(略)

 『ノー・ビーグルズ、ノー・ドラムズ』は決して完璧な小説ではない。しかしここには何かがある。サリンジャーを骨董品のように見せてしまうだけの何かだ。あるいは(皮相的な表現を許していただくなら)八〇年代を指し示す何かと言ってもいいだろう。

 ただし、1980年の村上春樹にとって、この「強引」さがとても切実であったことはよくわかる。ヴェトナム戦争の当事者であるベビーブーマーの世代である村上春樹にとって。

 1980年に『ライ麦畑』に描かれる「自意識」すなわちホールデン少年の「嫌味たらしいエゴ」を強く批判していた村上春樹は、その二十年後に『ライ麦畑』を新訳した。
 彼はいつどこで「回心」したのだろうか。

[↑日本から逃れるための仮想現実だったアメリカが、実際に暮らした事で「現実」となり、「オルターエゴ」を描いた作品として『ライ麦』を再発見したという結論になっとります。]
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あえて「YOU」を誤訳した春樹

 特に違いがきわ立っているのは最後の部分である。「All you know was,you were happy.」が野崎孝訳では「ただあるのは幸福感だけなんだ」に、村上春樹訳では「君にわかっているのは、君は幸福だってことだ」となっている。
 日本の1980年代という奇妙な(日本独自のポストモダニズムの)時代を過ぎたあとで、たとえ誤訳であっても、この村上訳の一節は、きわめてリアルなものであるように思える(この「君」という言葉を「オタク」という言葉に変えてみたい欲求にもかられたりするものの)。

 『カイエ』1979年8月号に載ったインタビュー「私の文学を語る」で、村上春樹は、「あの時代」すなわち1960年代後半を振り返って、このように語っていた。

 けっきょくあの時代終っちゃって振り返ってみると、大江健三郎がいったいなにしてくれたのかっていう開き直りみたいなのがむしろありますよね。たしかにあの人は作家としては立派だし、いいものを書いてはいると思うし、巨大な才能だとは思うんだけど、じゃあ、ぼくらになにをしてくれたかっていうと、なにもしてないじゃないかという……。

まるでホールデン少年のような激しい口調である。

バブル期にこそ春樹ギャツビーだったのに

 時代はバブルに向かおうとしていた。
 私はそういう時代、単なる享楽だけの時代がイヤでイヤでたまらなかった。いわば私は地下にもぐろうとしていた。
 だからこそ私は、村上春樹の新訳『グレート・ギャツビー』を読みたいと思っていた。『カイエ』で、フィッツジェラルドの享楽と敬虔の二重性について語っていた村上春樹の『ギャツビー』を。
 1987年秋、まさにバブルのまっ盛りに『東京人』の編集者となった私は、ますます切実にそう思った。
 作家村上春樹にはもはや興味を失っていたけれど、私は、エッセイスト、コラムニスト、そして翻訳家村上春樹のファンであり続けた。
 だから、村上春樹訳『グレート・ギャツビー』を読みたいと思った。
 狂乱と享楽の1925年に『グレート・ギャツビー』が刊行されたからこそ意味があるように、今このバブルの時代にこそ村上春樹の新訳『グレート・ギャツビー』が必要だったのだ(略)。
 それが私の、村上春樹新訳『グレート・ギャツビー』への複雑な思いだ。

メンドーになったので江藤パートは割愛。

「別れる理由」が気になって

「別れる理由」が気になって

これを書いた後に積ん読してあった『エッセンシャル・マクルーハン』の中に、フォニーとは「電話の会話のようにアンリアルである」(phony→telephony)とあるのを発見して後悔の坪ちゃん

 かつて江藤淳は『自由と禁忌』で、小島信夫の『別れる理由』をフォニイな作品であると言って批判した。
 『別れる理由』は電話小説でもあるのだから、マクルーハンのこの文章にてらし合わせてみればフォニーであるのは当然だ。
 むしろ、積極的な評価として、それはフォニーな小説なのだ。

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