田宮二郎、死す

前日の続き。

焦燥の田宮

左遷された著者はテレビ部門に回され、再び田宮と関係することに。昔の田宮を知っている著者には傲慢専横という田宮の悪評が信じられない。一方田宮も20%台の視聴率を誇った「白シリーズ」が低迷、田宮企画『黄色い犬』による借金、植毛手術&不倫の噂etcで焦燥。田宮との間にはかつてとは違う微妙な緊張感が漂う。田宮が監督すると言い出し遂に衝突、降板宣言。自分から監督をやりたいと言ったのではないという田宮は、降板撤回の説得に訪れた著者に不満をぶちまける。

 「北海道の雪山の撮影がどんなにつらいか、現場にいた者にしか分からない。(略)僕は見るに見かねた……」
 その声が潤んだ。
「監督に助言され、スタッフにも奨められて、少しその気にもなった。それなのに……」
 声をつまらせ、眼に涙がにじんでいる。(略)
[自分で作った水割りを差し出す田宮]
お互いに通じ合おうとする彼の一片の気持ちだと感じた。(略)だが、私もかなり頭にきている。ここで飲んだら負けだ、飲んでなんかいられるか、黙って、彼から眼を離さなかった。
 彼の言葉つきが急に丁寧になった。
 「僕の言うことに異論があるならあるって、はっきり言ってください」
 私は何も答えず、黙りつづけた。
(略)
「バッカヤローッ」
 絶叫して、私をまともに指さした。
「役者が監督やるのがけしからんとは何だ」
 すごい迫力である。
(略)
 燃えたぎる眼つきで睨みつけ、声がいちだんと大きくなった。(略)
[不満をぶちまける田宮]
 それが頂点に道すると、怒りをぶっつける方向が分からなくなった感じで、ソファのまわりを歩きまわり始めた。かつて見たことのない、冷酷、非情、傲慢、狂ったとしか思えない田宮二郎の取り乱した姿だ。(略)
 ふたたび坐った彼の酔いは、さらに深くなって、その顔は痛々しいほど疲れきっている。
[酔いつぶれてしまおうとする田宮を揺り起こそうとして]
 ぎょっとなった。眼の前にある彼の頭部が、私の眼を射抜いた。
 噂の通り、彼の髪の毛は薄くなりつつある。しかも、その頭のど真ん中に大きく長く縦に、ざっくりと手術した跡の傷痕がある。彼の植毛手術は噂だけではないと知った。
 私の闘志は急に薄れ、何からどう切り出していいか分からなくなった。
 映画の時代から、二枚目スターとして周囲の眼を常に意識して、意地とプライドと夢を保ちつづけてきた田宮二郎。今は自分と闘い、妖怪のような視聴率と闘い、怒濤のように襲いかかってくるスキャンダルと闘いつづけている。(略)
 胸に熱いものが込み上げ、感傷的になって、「北海道へ」が切り出せなくなった。(略)
 「田宮さん、うまく言えないけど…視聴率が今一つで…せっかく白シリーズをもらっていながら、僕としては…能力不足というか…(略)
 「だけど…おこがましいけど…昔のあなたに戻ってほしい。(略)

鶴田浩二

白い巨塔』テレビ化をフジに出し抜かれ呆然。悔しさのあまり田宮主演を想定したドラマ『大空港』をあえて田宮抜きで企画。主演は鶴田浩二になった。

いつも、お山の大将でいたい、そんな稚気愛すべきところのある鶴田は、漫画チックで滑稽な一面がある。
 田宮との違いは、その点にある。
 田宮には隙がなく滑稽さはない。ひと言でいえば、謹厳である。
 鶴田は何が何でも自我を押し通すが、それは田宮には出来ない。知的で論理的で、しかも彼は優しすぎる。人に気を使わせる前に、自分の方が先に気を使ってしまう。人に何か頼まれると、断れない。つい男気を出してしまう。
 鶴田は、いったん気に入ると、相手の気持ちなど考えず、いわば土足で、ずけずけと踏みこんでくる。無理なことを平気で人に押しつけるが、滅多なことでは、碌に礼も言わない。
 田宮は違う。何か頼んだら、律気に、きちんと礼を言う。場合によっては、気配りのプレゼントもして、気持ちを返す。
 不満があると、鶴田はすぐに爆発して当たり散らす。
(略)
 田宮は滅多なことでは、不満を爆発させたりはしない。自分を押し殺して我慢している。不満は発散せず、ストレスとなって溜まってしまうはずである。

躁鬱の狂乱で苦労をかけた妻と温泉へ

躁鬱・詐欺被害の顚末が詳細に綴られているが省略。

12月7日。『白い巨塔』撮影も終了し、躁鬱の狂乱で苦労をかけた妻と二人、温泉で静養。

 帰る前の日あたりになると、田宮の動作はしっかりしてきた。生きようとする気力が少しずつ伝わってくる。
 食事が終わって、しばらくして、幸子をおんぶすると言い出した。何を急に言い出したかと思って、幸子は吹き出してしまったが、どうしても背負うと言って聞かない。
 いやがる幸子を無理矢理に背中に負った田宮は部屋の中を歩き始めた。
 一歩、二歩、三歩……。
 急に立ち止まった。
 幸子を降ろして泣き出した。
 「こんな弱々しい僕じゃなかったのに……」
 幸子は何と言っていいか言葉が出ない。安易ななぐさめや励ましなど、かけられない。
 「二人で少しずつ取り返していきましょう……」
 彼の背に手を添えて、それだけ言った。
(略)
 恐ろしいのは、田宮は恥を知る男だということだ。正常に戻れば戻るほど、誇り高い彼は恥じる。多くの人々に迷惑をかけて、天下に恥をさらしてしまったことを悔い、自分を責める。

 自殺を決意した田宮の心の動きは、正確には分かりようがないが、彼の没後五年経って、私が幸子夫人に取材した時、それを彼女に訊ねてみると、12月28日のあの朝、西村から幸子の母が入院と聞いて、田宮は強い衝撃を受け、いっ気に死に誘われたのだろう、ということだった。
 日頃、何かと面倒をかけ迷惑をかけてきた義母である。心労の末、入院までさせてしまった。彼は自分を責めた。
 もう生きてはいられない−。