小島信夫と森敦と江藤淳

切りようがないので長文引用。

小説の楽しみ (水声文庫)

小説の楽しみ (水声文庫)

『別れる理由』

 最初は三回ほど連載して終わらせるつもりだったんです。ところが、三回目を書いたとたんに、この小説は大失敗したと思ってしまった。もうこれは失敗だ、と。それでどうしようかと考えたときに、この作品が失敗作なんだってことを、小説の外部からではなく、内部から宣言しようとした。それをどう表現したらいいかと考えたことで、新しい小説の方法になったのかもしれない。そういうことはあります。

森敦

 森さんは何十年か前に失敗して、自分はどうしたら再生できるかということばかり考えてきた人です。だから人にしつこく自分を語るし、もちろんぼくにだって語り続けた。もし、ぼくが成功すれば、それは自分がずっと考えてきたことの正しさが証明されたということなんだ、と、そういうつもりが絶えず彼にはあったはずです。いろんなことを、ひとことだけ言うんですよ。ひとことだけ言って、ぼくがどういうふうに動いていくかを眺める。それでぼくがいい結果を出せば、それはおれの勝ちだ、おれのおかげだぞ、と思いたい。森さんにはそういう気持ちが強かったと思う。
 森さんの周囲には、彼を慕ってついてくる人が、もちろんたくさんいましたよ。だけど結局、最後まで交流を続けてきたのは、ぼく一人ですよ。この関係は、人には分からないんです。彼は自分自身を納得させるために、小島信夫を通して自分の正しさを証明しようとしたし、おれは力を持ってるんだということを、あの手この手を使って考えていた。『別れる理由』の最後に彼が現れて、それに近いことを言うのは、確かになにか理由があるんです。

江藤淳

 ところで江藤淳さんは、『別れる理由』なんて結局はフォニーだ、なんでこんなバカな小説を書いてるんだ、とぼくに言い続けていました。ところが、そこに「意味の変容」があるんです。バカなことを続けることによって、あるところに密蔽して、それが解放を生んだ。森敦さんなんかは、きっとそう思っていた。そうすればおれの勝ちだ、と。それが「意味の変容」ってことなんです。
 ぼくはずっと江藤さんの『漱石とその時代』(第一部〜第五部)を書評してきたんですが、彼は、『道草』とか『明暗』を論じながら、漱石の作品のなかでも、晩年はもうダメだと言いたかった。ところが、それを言ったら、自分が長年とりくんできた仕事はなんだったのかが問われてしまう。しかし、そこが彼の間違っているところなんです。『道草』でもなんでも、フォニーって言葉を使ったらよかったんですよ。しかし、それでは読み間違いになる、と彼は思った。でも、そうではなくて、漱石はフォニー小説を書いたんだ、とはっきり言えばよかったんです。

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