サエキが語る「はっぴい/シュガー」

はじめてのGIMPでGIFアニメ
ルパンルパンと激しく唱えるべし。
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もっとゆっくりした間隔に設定したのだが何故か無効。
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↑割といい感じの色合いになったのだが、サイズ小さくしたら伝わらず残念。

さよなら!セブンティーズ

さよなら!セブンティーズ

山下達郎

1973年9月21日の、はっぴいえんどのラストコンサート(略)メンバーのそれぞれからやってくる生々しいゴリゴリした手応えに、どう接しよう? と悩んでいるうちにあっという間に終わった。何かまだこれから始まるのではないか? という湿度のような予感も感じられた。

ライヴ!!はっぴぃえんど

ライヴ!!はっぴぃえんど

 そんなコンサート中で、最もトーンが明るかったのは大瀧詠一のコーナーだった。(略)
 おなじみ「サイダー73」をフューチャーした「空とぶウララカサイダー」と、「ココナッツ・ホリデー」で、楽園感覚は爆発した。その中で一際異彩を放ったのが、腰までなびかしているがごとく、ひときわ目立つまっすぐロングヘアーの男性だった。その発声は明らかに高く、そして巨大だった。
 シュガー・ベイブという人達がそれらしい、とはMCで確認されたが、その実体に接するのは、その1年強後になる。
  「小坂忠vs細野晴臣、再会、そして出発」というコンサートがあったのは、1年2ヶ月後の新宿厚生年金の小ホール。(略)
驚かされたのはシュガー・ベイブの音圧の高さだった。ボーカルが凄まじい勢いで迫ってくる。そして聴いたことのないポップ性を持っていて、かつ温度感、色彩感にあふれていた。なんだろう?これは?
「きょおおお・は〜なんだかああ、うおおおおう!」(略)
 新曲の「しらけちまうぜ」という曲では、山下大貫吉田の3人トリオが、1本のマイクに向かって「しらけちまうぜ!フォゥー!」という凄まじいシャウトのコーラスをする。まるで3匹の巨大な鳥から発せられるかのような、「フォゥー!」。ミキシングのせいもあるが、他の楽器を完全にしのいでいて、後にも先にも、あれだけ凄まじい声量でハモるコーラスは聴いたことがない。(略)
[その年の暮れの「ホーボーズ・コンサート」]
ビーチ・ボーイズのクリスマスソング「リトル・セイント・ニック」を「二時間しか練習するヒマがなかった」と何度もMCで繰り返し、演奏した。
 最後は細野晴臣監修でデビューすることになる、センチメンタル・シティ・ロマンスの登場。シュガー・ベイブのMCでも山下達郎は、「イイ音出すよ!センチは!」と触れており、ライブの最中も、ステージそでで、ノリノリに動く姿が、ずっと客席から見えっぱなしであった。
[翌75年1月同所でリサイタル]
 客は300人程度。幕が上がると、その前年に解散したはちみつぱいのメンバー4人で構成された「ぱい楽団」がそこにいた。
 鈴木慶一が「ソロアルバム(『火の玉ボーイ』のこと)を作ってます」との報告。はちみつぱいはすでにない、というノスタルジアが感じられる、ゆったりとした演奏だった。
 司会として、細野晴臣大滝詠一がこれに加わった。なんと、ぱい楽団と一緒に、そのメンバーではっぴいえんどの「春よ来い」を歌うというのだ。大滝詠一が指さした人間がボーカルを取るという。鈴木→細野→大滝の順で「春よ来い」が歌われた。そして、シュガー・ベイブが始まった。(略)
[終わって出ると、上の大ホールのリック・ウェイクマン公演も丁度終了。出てきた福田一郎センセイwに「地底探検どうでした」と話しかけちゃう物怖じしない高一の著者。さらにシュガー・ベイブは要チェックと駄目押し。]

頭脳改革ドラム

[74年荻窪ロフト開店記念「ティン・パン・アレイ・セッションズ」]
 最初はバンブーと呼ばれる知らないバンドがアナウンスされた。(略)
ロックとフュージョンプログレを合わせたようなサウンドで、麻薬的ではない、リアルなハイ状態に脳がとろけそうだった。
 高速の「バンブー・ホーン」、我を忘れてベースを刻み続ける小原札。目に見えない速度でパーカッションを叩く浜口茂外也。なんといっても迫力だったのは手に届く距離では、とてつもなく音が大きい林立夫のドラムだった。「こんなにもドラムの生の音は大きく、そして気持ちよく響くものなのだ!」と頭が射抜かれる思いだった。ライド・シンバルが「バシーン・バシーン」と叩かれるたび、記憶がすべて吹き飛んでいく。後にも先にもそれほど刺激的なドラムの音は聴いたことがない。後年、芝の郵便貯金ホールの一番前の席でトム・スコットを見た時のドラマー、スティーブ・ガットに対する感激がそれに匹敵した。その時も、7メートルも離れているのに、轟音のようなスネアの生音が他の楽器を圧倒して聞こえてくるのだ。しかし、それもこの日には及ばない。スネア・ドラムというのは、カタキのような音がするのだ!と知った。
(略)
 吉田美奈子をゲストにエリック・クラブトンで大ヒット中だった「アイ・ショット・ザ・シェリフ」を決め、阿鼻叫喚のバンブーが終わると、今度は荒井由美松任谷正隆と登場し、まだ発売されてない次作『ミスリム』から「私のフランソワーズ」を歌った。華やかで品の良い感覚は土蔵のような荻窪ロフトから浮いていた。(略)
[ティンパン]
リズムキープに異様な安定感があり、画鋲のようにテンポを貼り決めていく細野晴臣のプレイは、もう筆舌に尽くしがたい迫力だった。

  • 子供から見れば大人はデカク見えるだろうなどという無粋なツッコミはなしで

カップス空中分解でキングとなったモップス、吠えまくる鈴木ヒロミツにKOされた12歳が楽屋にしのびこむとライオンのように威風堂々とした鈴木が優しく握手してくれたとか、「堂々として鋭い眼光を放つ」73年の鈴木慶一とか、色々あったが著作権バカにぐだぐだ言われてまで引用するほどヒマじゃねえ。

  • 犯人はユキヒロか?

73年ミカ・バンド「DEPARTURE」ライブ。第一部のビートルズ・完コピバンドに続く、第二部ではユキヒロがオイル塗ってボディビルetc、シュールコントの連続でファンはしびれを切らした。「写楽」主宰YMOライブでも同様の事態が起こったじゃないか。「ひょっとすると主犯は、たった一人の共通メンバー、幸宏さん?」

  • 湿ったエロス

[72年中二の著者は明大学祭で武蔵野タンポポ団ライブ後オールナイトでピンク映画体験]
八月の濡れた砂」以下、1970年代前半までのエロス系日本映画に感じる湿度、あれはなんだろう?と思う。(略)実は、徳島で出会ったひとつ年上の女性に、それに近い感覚を感じたことがある。さる地方の出身、木造の下宿、情の深いやりとり、気は強い。どこか画面の湿度と似ていた。しかし、残念なことに深くつきあうことはなかった。
 おそらく、都市近郊の昭和33年生まれ以降の男は、そうした湿度を体験していないのではないか?と思う。

 その2階を利用していたといわれたカップルには、極上の色気を放っていたC女子校の美女もいた。キッパリと、しかし底なしのように漂う色香がたまらなかった。しかし、子供に対してはそこそこ優しかったが、相手にしない気位があった。日々肉体を捧げている愛する男に対する激しい愛情が、高校生である彼女の美しさに磨きをかけていた。彼女のような性的に成熟したしっとりとした美女は、渋谷でも、必ず見つかったものだ。しかし、今の渋谷の女子高生では、綺麗な子は多くなったが、落ち着いた性的包容力を感じさせるキャラクターは少なくなった。
 大麻とセックスの巣窟といわれた「H」は、僕が少しは男になった高校の頃はなかった。短命だった。僕が性的にも「これからだ!」と活躍が可能になった75年頃、残念ながら、妖しい73〜4年頃の千葉のロック・コミュニティは消滅に向かった。

これも著者の体質に起因するもので、案外みうらじゅんとか湿ったエロス体験してそうな。