ルソーとジュネーヴ共和国、アイルランドのナショナリズム

意味なくつまみぐい。

ルソーとジュネーヴ共和国―人民主権論の成立

ルソーとジュネーヴ共和国―人民主権論の成立

仏に服従する17世紀ジュネーヴ

17世紀を通じて、ジュネーヴ共和国はフランス王国サヴォワ公国の狭間にあって絶えず併合の危険にさらされていた。この両大国の脅威に対し、共和国は、巧みな外交によって、また要塞強化によって、併合の危険をかろうじて切り抜けてきたのである。(略)
 ところが、フランスから資本と技術を持ってやって来る新教徒難民の増加とともに、ジュネーヴの商・工業が発展すればするほど、共和国はますます深くフランス経済圏に組み込まれていった。共和国が少しでも反抗的態度を取れば、フランス王国は直ちにジュネーヴ国境を閉鎖し、フランス国内のジュネーヴ人の追放・財産没収などによって共和国を締め上げ、武力を用いずに屈服させることもできた。そのようなフランスとの関係から、ジュネーヴの参事会や二百人議会の内部にはヴェルサイユ宮廷の言いなりになる《フランス派》が形成され、彼らはあたかもルイ太陽王の臣下のように振る舞った。ジュネーヴ政府は結局、スイス同盟より、ヴェルサイユ宮廷に頼るほうを選んだのである。ジュネーブの「諸議会は、守備隊を増強し、スイス都市同盟に参加するための交渉を再開してはどうかという、同盟都市[ベルン、チューリヒ」からの提言をすべて拒絶し、ただフランス王の命令への絶対的服従のみが共和国の将来を保証することができると見なしていた。人民はこの重苦しい保護をどうにか我慢して耐えていたが、為政者たちはどんな代償を払っても絶対君主の機嫌を損ねるようなことは避けなければならないと考えていた。

アイルランドの独身率

 もうひとつは結婚率の低下である。大飢饉後、田畑などを分散させないために、農村で結婚できる子供は長男と長女の二人だけと言われた。長男は嫁をもらって家を継ぎ、長女は他家に嫁つぐことができるが、他の息子、娘たちは海外に移住するか、アイルランドに留まるかぎりは独身でいるほかなかった。家族は経済的単位になっていた。
(略)
1926年 未婚率(%)
年齢   男   女
25-30    80  62
30-35   62  42
35-40   50  32
(略)
それはひとつにはフランス革命によって国を追われたフランスのヤンセニストの司祭たちがアイルランドに亡命してきて、アイルランドの神学校で内省的で厳格な禁欲生活を説いたせいとも言われるが、大飢饉の影響が最大のものであることは言うまでもない。その証拠に1960年代になって生活水準が向上するにつれて、アイルランド人の結婚率も上昇している。1958年と1970年を比べると、結婚率は驚くなかれ40%も上昇しているのである。
 また、大飢饉後の結婚できない状況は、英国ヴィクトリア朝の偽善主義の輸入と相いまって、一方では性のタブー化を生み、それが独身主義を補強した。他方では性のみが不道徳の典型とみなされることによって、暴力、偽言、飲酒などが見のがされた。飲酒などは善人であることからくる弱さとして、かえって善人の証明とみなされたりした。

日本ハム金村と阪神中村泰広が交換トレード


公「道民が五月蝿いので金村引き取ってもらえませんか?」
虎「タダで?ええよ。面倒見たるわ。」
公「・・・いや、腐っても金村は元エースなんで。」
虎「交換すんの?誰が欲しいん?」
公「赤星でお願いします。」
虎「何や冷やかしかい!帰れ、帰れw」
公「じゃ、じゃあ浜中で」
虎「え!?は、浜中でいいん??(どないしよう・・・)」
虎「そや、ファームに有望株がおるんや、それで(ry

コレが真相

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金村の取説置いておきますね。

取 扱 説 明 書

ランナーを沢山出しても慌てないでください。ランナーを出しながら抑える劇場型ピッチャーです。
球速はあまり無いです。コントロールと投球術で魅せるタイプです。
際どいコースを突いてのフォアボールが多いのは仕様です。
その際、審判と揉めない様に注意が必要です。結構文句は言います。
決め球フォークボールの被打率は優秀でした。。。
去年から時折パームを投げますが、パームはNANDAを見て覚えたらしい。
意外とプライドが高いです。傷つけないように注意しましょう。
大舞台には意外と強いです。信頼しましょう。
俺のパワプロでは登録名を「サトル」にしたがってました。
俺は金村がいなくなって寂しいです。