橋本治/ああでもなく5

 

先日2ch橋本治ってなにが凄いの?てな書き込みを見てうーむと思ってしまった。確かに以下長々と引用してみると、昔を知らぬ人にはウッチー(の寒い橋本ぶりっこ)と大差ないように見えるのかと思えなくもなく、それでは無念なのでいっそボツにしようかとも思ったのだが、結局こうして、長文引用。シャチホコに喰われろ、ウチダ。

ストレス

つまり、人間の生活が「個室単位」を前提としていて、「この個室状況がいやだ!」と言ってしまうと、居場所がなくなってしまうからだ。それでなんか、どこかでピリピリしている。ストレスを抱えたまま、「個室状況=ストレス状況」を引き受けなければならなくなっている。大変なことだ。でも、ストレスは自分の中にあって、自分の中にある以上、それが「自分の問題」であることだけは間違いがない。(略)
 自分が見えないと、他人もまた見えなくなる。「自分の見えなさ加減」と、「他人の見えなさ加減」は、またちょっと違っていて、「他人」というものは、見えなくなればなるほど、「近くにいる」と思えてしまうものでもある。だから、冷静になると、「他人というのは自分とは違うもので、結構遠いところにいるものだな」と思えるようにもなるのだが、関係障害というのは、きっとこの距離感のつかめなさだとしか思えない。
(↑余談ですが、当方のOCRソフトが「距離感」を「距陰唇」と認識したであります。そこまでいったら「巨陰唇」にしとけや)

メディアは、正しく「えらそう」であらなければならない

 1980年代の初めに、女性誌も一つの曲り角にぶつかっていた。(略)
若い娘達も、「可愛い金髪の外人モデル」をスタンダードとする、日本ファッション文化の本道に飽きかかっている――自分のあり方との間に、違和感を感じている。そういう時代だったから、「なんでいつまでも、外人モデルなの?」と私は言った。
(略)
今じゃ、読者モデルの花盛りで、私は「モデルのレベルも落ちちゃったな」と思っている。今から四半世紀も前に、「読者モデルを使うように考えた方がいいよ」と言ったのは、「このまま状況を放置すると、シロートである読者にイニシアチヴを取られて、“ファッション誌”という地位を失うことにもなりかねないから、今の内に読者を取り込んで“読者へのイニシアチブを取る”ということを維持し続けるべきだ」という、深い戦略的な理由からなのである。主導権をお客さんに渡したら、よって立つところがなくなるというのが、実は、メディアのあり方の本来なのである。
 メディアは、正しく「えらそう」であらなければならない――そのために大苦労を続けなければならない。しかし、硬直して巨大化してそれ相応のステイタスを獲得してしまうと、それが出来なくなる。それとは、自分達より低いところにある現場を見て、それを正しく取り入れることではあるけれど。

挫折。

放言で説教くらってるタイゾーに昔の自分を見る橋本。

[編集長の]アドヴァイスを受けて、「はい、はい、はーい」と言って、言われた通りにするのである。それはもちろん、「言われた通り」ではあって、「相手の望むような方向で」なんかではない。(略)
 「だってやなんだもん」を言ってしまうと、その後は、全部「自分のオリジナルで処理をする」になる。(略)もちろん、それは困難な道なので、やがてつらい目にあって挫折を強いられることになる。だから私は、「杉村太蔵には落選を経験してもらわなければ」と思うのである。
(略)
 問題は、あるところでは「はい」を調子よく引き受け、引き受けがたいところで「はい」を渋って、結局は受け入れるという、普通の人である。こういう人達は、「相手の言うことに従ったのだから、自分の安全も相手が保障してくれる」と思って、調子いい自分の「責任」をなかなか認めないのである。だから、「身にしみないくせに人の言うことを聞いて、そのことによって凡庸になって行く」という道を選んだ人は、挫折をしにくいのである。挫折というのはつまるところ、「自分の責任を認める」ということだから。

「思考する体力がある」というのは、

「自分には分からないことがある」という、劣等感を保持しても平気でいられる体力を持つことである

昔の普通の人は、「この世の中には自分には分かんないむつかしいことがあるな」という状態を当たり前にして生きていたということである。(略)劣等感を生じさせるかもしれない状況を平気で引き受けて生きていた、ということである。(略)普通の人は、「分からん」と思いながらも平気なのである。つまり、とっても体力があったということである。(略)
[一方「分からないこと」を恥とする人は]「劣等感になりそうなものを撲滅し続ける」という方向で生き続けなければいけないのである。私なんかは、「大変だろうなア」と思うばかりである。そして、これに対して「今の勉強しない高校生」系の人達が登場する。
 この人達はともかく、「なんか、むつかしくってよく分からない」というようなことを、平気で「ないもの」にしてしまうのである。劣等感を発生させる因になるようなものが、ないのである。そりゃもう、こざっぱりして大変だろうよ。前の二種類の人が、「体力がある」と「体力を消耗する」の系統であるのに対して、この人達は「体力がなくてもいい」なのである。大変なこった。現在は「今の勉強しない高校生」だらけになってしまっているということである。
 今の人は、劣等感を持ちこたえられない。自分に劣等感を感じさせてしまうようなものを「ないこと」にしてしまう。だから、自分とは違うところに「知らなきゃいけないのかもしれないようなむつかしいこと」が存在することを認めない。めんどくさいことは「考えなくていい」にしてしまう。そうして、こざっぱりしたきれいな人間になってしまう――そうして、「劣等感を抱えていられるような体力のある人」を、嗤う。あるいは、「怪訝なもの」として遠ざける。そのようにして、「めんどくさいこと」を「ない」のまんまにしておく(私は「いじめの構造」の根本に、このことがあると思っている)。だから、「めんどくさいこと」が起こると、とんでもないことになる。

2006年5月号の話。これ笑えたのだが、自分だけか。

 小沢一郎民主党の新代表になっちゃって、大変ですね。私としては、「えー、じゃ、結局、日本は自民党内の福田派と田中派の対立があった1980年代以前のまんまだってことか?」としか思わない。
(略)
 お家乗っ取りのその時、亡き殿に将来を嘱望されていたはずの忠臣小沢一郎は、なにがあったのかは知らないが、いち早く城を出て、諸国を転々としていた。それが今、「足利幕府復興」を掲げて、流浪の眞紀子姫の前に姿を現したのである。
 「姫君、お懐かしうございます」
 「小沢殿、ようもまァ、堅固で――」
 などという会話があって、画面が代わるとすぐに、街道を行く早馬である。
 字幕は「京都 鷹ヶ峰」――宗匠頭巾をつけた野中広務枯山水の庭を前に茶碗をいじっていると、「殿!」と呼ぶ声がする。
 「なに、小沢が動いたと――」
 で、野中広務のアップになると、もう一頭の早馬は、より遠くの山道を目指している。
 「なに、小沢が動いた――」とアップになるのは、黒染めの衣に金襴の袈裟を着けた大勲位憎正中曽根康弘。その横には、去年の郵政民営化で屈辱の踏み絵を踏まされた息子も控えている。
 きっと、あちこちで忍びの者も呼び出されて、改革の御旗を掲げる鳩山由紀夫は颯爽と自転車に乗って街道を行くんだろう。

残りひとつなのだが題材もアレだし明日につづくことにしよう。
[追記]↑結局、つづくのやめました。