前日のつづき。
これまた前日同様しつこいようですが、下記引用に同意しつつも、もしパク沢ちゃんに「テメエのHPで死蔵されてた情報をオレが大出版社経由で流通させてやったのだよ」と開き直られたら我慢ならんと思うわけですよ。
- 作者: ジャン=リュックエニグ,Jean‐Luc Hennig,尾河直哉
- 出版社/メーカー: 現代思潮新社
- 発売日: 2002/02/01
- メディア: 単行本
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幾千の本を剽窃し、踊れ!
著作権を盗むだって? くだらない! そもそも盗めるものなどなにひとつとしてないのだから。あなたにできるのはテクストを流通させること。あなたは言葉の運び屋だ。言葉を死蔵させることなかれ。配るべし。せめても己のちまちました剽窃に引きこもるな。罪悪感の暗がりに逃げ込むな。〈投げ売り〉し、幾千の本を剽窃し、踊れ!
(略)〈剽窃自体が問題ではない。すべてはそこからなにを作るかに懸かっている〉。規則はこれだけ。だから、剽窃者の関心は際だつことにこそある。離れ業をすれば拍手喝采を受けられる。が、失敗すれば〈書けない〉剽窃者と言われるのがおちだ。
被害者がやがて糾弾者となる。
剽窃された者はやがて〈本を消す者〉になってゆく
[全く関係ない話だが、飲酒運転で子供を殺された母親が命の大切さを訴えたいと先日テレビで出産風景大公開していて、違和感]
私の魂を盗んだのだから、今度は私が盗まれた魂を競り売りしよう、というわけだ。相手の本が売れると、剽窃された者は激しい怒りに駆られ、どうにかしてその憤怒を公にしようとする。貞節が踏みにじられた、自我の占有が侵奪された、内奥が犯された、等々。名誉、名声といった声も聞こえてくる。訴えてやる。どうせこっちの勝ちだ。出版社にはたんまり金を吐き出させてやるぞ。この勢いに乗って、うまくゆけば、やつの剽窃本はほとんど取り返すことができるだろう。
(略)
剽窃者が自分の利益のために彼の文章を転用したように、今度は剽窃された者が剽窃者の〈飛行中〔窃盗中〕を〉*1捉え、それを自分の利益のために転用するのだ。私はここに存在する、と正々堂々言うためだけに。だがもちろん、これだけでは足りない。それ以上自分が存在するためには、他者の代わりに自分が存在するためには、その他者を消さなければならない。こうして、剽窃された者はやがて〈本を消す者〉になってゆく。
糾弾の濫用が権力の濫用に
[ついに著書の怒りはフェミへ。「これはひどい」とか言われちゃうぞw]
離れていなさい。これがアメリカの新たな道徳信条である。子供たちは肉体的接触の禁止という基本モラルを学校で学ぶ。どんな愛の身ぶりもそれだけで強制わいせつです。どんな誘惑もそれだけで強姦の前触れです。子供たちはそう注意される。こうしたピューリタン的措置を最も戦闘的に擁護する者のなかに、フェミニズム運動は胚胎する。三十年前、彼女たちの母親は自由恋愛の名のもとに道徳の防塞をなし崩しにしていった。それにたいして娘たちは、監視権をことごとく検閲することによって、性の規制の名のもとに防波堤を築こうとしている。男は悪の権化に成りはてた。贖いなど望むべくもない性的倒錯者だ。異性間の交配なんてもうたくさん。すべては権力の濫用、言葉による侮辱、危険な教唆、無益な接触にすぎない、と。反=差別のソフトな独裁というべきか。法廷による説諭、解雇、有罪判決などを避けようとするなら、男はつねに誰何を受けなければならない。糾弾の濫用が権力の濫用に取って代わったのだ。
偏執的な他者過敏症
人があなたの作品を読んだ。あなたの妙技に驚嘆した。あれこれの言葉に圧倒された。で? たかがそれだけではないか。しかし、模倣されたとなれば、あなたがそれ以前のだれとも違った話し方をした証拠である。とするなら、あの侵入幻想、思考に押し入られたという幻想はいったいなにを意味するのだろう? 起源に執着するあのいらいらした態度、あの偏執的な他者過敏症は? 自らの私生活を完全に隠すことができ、他人の秘密が暴露されることに耐えられない人たちの傲慢な道徳主義は? 「私の本、私の解説、私の物語」と叫ぶ人々の思い上がり
*1:オ・ヴァル