米憲法は17世紀英国式

主権の不可分割性には自由の不可分割性が対応する

カントによれば、なんらかの内容をもった契約目的によって国民の主権を制限しようとするあらゆる試みは、同時に自由の毀損を意味する。すなわち、カントの根源的契約はもっぱら結合契約であって、これによれば「国家における人間」は、「彼の生得の外的自由の一部をある目的のために犠牲に供するのではなく、野蛮で無法則な自由を全面的に捨て去り、法則に依存することによって、つまり法的状態の中で彼の自由一般を減ずることなく再び見いだすのである。
(略)
カントにおいては主権の不可分割性には自由の不可分割性が対応する。自由の「減ずることなき」妥当性は、封建身分制的契約思想に対立するのである。封建身分制的契約思想にとっては、唯一偉大なる自己立法の自由を譲渡して、それと引き換えに個別的な「諸々の自由」を手に入れるといった交渉が典型的である。これに対して、カントの結合契約は次のようなものである。すなわち、「何人も自分の自由の一部を、残りの自由を守るために放棄してはならない。なぜなら自由は、切り刻むことのできる集合体のようなものではないからである」

17世紀のイギリスの立憲君主制が18世紀のアメリカの大統領制に継承

アメリカ合衆国の政治制度は、歴史的にみて旧体制の原理を具体化しており、この原理は、議会制度とは対立し、未だなお立憲君主制の根本構造に対応している。
(略)
イギリスの政治的エリートに属するメンバーからなる移民団がアメリカの植民地に現われたのは、17世紀のことである。これによって、17世紀の憲法の理想が現在にも生き続けている。他方、18世紀に初めて出現した議会制度へと発展しようとするイギリスの趨勢は、アメリカの憲法思想には受け入れられていないのである。17世紀のイギリスの立憲君主制は、18世紀のアメリカの大統領制のうちでそのまま承認されている。このことに対応するのは、第一に、とりわけ議会の立法行動に反対するアメリカ大統領の拒否権である。これに対して、イギリス国王の拒否権は18世紀においては時代遅れになり始めていた。また、対応する第二点目は、執行権の代表者に反対するアメリ憲法の司法による「弾劾(impeachment)」手続きである。これに対してイギリスでは、この手続きの意味はすでに弱まっており、議会の不信任投票によって付加的な仕方で捕われている。その第三は、イギリスで発達した内閣制度とは対照的に、アメリカ大統領へと執行権の集中が行なわれていることであり、そして大統領と議会とは両立し難いという強固な規定を維持することである。これに対してイギリスにおいては、国王への権力の集中を緩和することによって、政府を議会から人的に構成することが可能となり、それとともに議会制的代議制の中核原理もまた可能となる。

アメリ憲法

アメリカ合衆国憲法は、主権の概念とは最初からまったく異質なものである。(略)
アメリ憲法の制度上の自由の保障は、総じて国民意志から独立した部分的な主権をもつ、国家諸機構の相互的な制御に基づいている。ルソーやカントによって代表される大陸の理論は、意志形成における理性的普遍性を民主的な立法手続きの「オートマティックな」選択性へと移し、ここからすべての国家活動の理性を保証しようとする。他方、アメリ憲法の父たちによれば、政治的な意志形成の理性は、立法過程に追随し接続した諸制度の選択性に依存している。つまり「連邦主義者」は、立法権においてまさに予期できるような一部の人々の活動性がもつ社会的利害関心の非理性に対抗して、連邦主義システムの限界、大統領の拒否権および憲法裁判所による法令審査といった相互に従属しあう「フィルター」を用意している。

 アメリカの憲法が、政治的制度化の原理としての国民主権を文字通り排除したのに対して、アメリカの憲法実践は、非制度的な国民主権の契機を発展させた。たしかにこの契機は、カントの理論においては法外的で法を基礎づける国民主権の観点のうちに置かれていたが、しかしヨーロッパ大陸憲法実践においては、著しく隠蔽されたままであった。ヨーロッパ大陸憲法実践は、バリケード闘争などの例外状態においてのみ、国民主権を本質的に完全に自発的に実行したのである。他方、アメリカの憲法使用において国民主権は、日常的な抵抗の常態性として実現された。