戦争と死は偉大なる平等推進者

ハゲしく飛ばし読み。

社会契約論の系譜―ホッブズからロールズまで (叢書 フロネーシス)

社会契約論の系譜―ホッブズからロールズまで (叢書 フロネーシス)

  • 作者: ディヴィッドバウチャー,ポールケリー,David Boucher,Paul Kelly,飯島昇蔵,山岡龍一,金田耕一,佐藤正志,輪島達郎
  • 出版社/メーカー:カニシヤ出版
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本
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戦争と死は偉大なる平等推進者である

社会契約の概念の出現は、したがって、人間の平等の思想の出現と密接に結びついている。
(略)
1560年から1660年までの100年間、ヨーロッパを分裂させたすさまじい内乱と対外戦争が、その思想を政治的に鼓舞した。戦争と死は偉大なる平等推進者である。人間の平等の原理は、人々は互いを殺すことが等しくできるという事実によって支持されるという、ホッブズのどちらかというとグロテスクな思想は、この陰鬱な事実を反映しているのである。
(略)
戦争は、「すべての人々は、生まれながらに、等しく自由である」という事実から起こる。

「つかの間の契機」と永久革命

現代の用語では、憲法制定議会(constituent assembly)の機能は、支配することでも、永久に裁くことでもなく、まさしく〔国家を〕設立すること(to constitute)である。ホッブズにとって、主要な目的は、政治の論理に合致した政治体を、コントロールすることではなく、むしろつくることである。ルソーの学説においては、憲法制定権力(constituent power)としての人民は、定期的な間隔おいて集まり続け、「政府」をかれらが集まるたびに服従させる――永続革命のシステムである――のに対して、ホッブズのシステムにおいては、憲法制定権力としての人民は、政府を確立するという、きわめて重要な過程におけるつかの間の契機にしかすぎない。

個人主義者」ゆえ「国家主義者」

ホッブズは、自然状態において、ロックよりもはるかに広範な本源的権利を個人に容認するがゆえにこそ、市民状態〔国家〕において、個人の権利のはるかに広範な放棄を要求するのである。逆説的にも、かれはより「個人主義者」であるがゆえにこそ、より「国家主義者」なのである。

絶対的人民主権

ルソーの斬新さは、この主権者の意志を一個人の意志と無条件に同一視することはできないと主張したことである。そしてその結果として、主権者の意志を、政治体の構成員資格に適う市民全員の現実の意志として描き直すという、きわめて重要な方法を開拓したことである。このようにして、絶対君主政の理論は、そのラディカル・デモクラシー版である、絶対的人民主権の理論へと変換された。

一般意志の名の下に道徳とテロルが結合

[いかにすれば諸個人と人民の双方を徳に合致するように構成しうるか]
ルソーの同時代人の琴線に触れたのは、まさしくこの徳への配慮であった。(略)
E・ケネディは「ルソーは感情的な革命を促した」と書いている。1789年に始まった大革命において異様なまでに肥大化することになるのは、まさしくこの感受性、道徳的高まりと純粋性への強烈な熱望であった。(略)
社会契約から生まれた共同体は、質素で、勤勉であり、有徳であり、富への不信に満ち、堕落を知らず、人民の素朴な性質に信頼を寄せている。この性質が、社会において善とされるあらゆるものの貯蔵庫なのである。このような議論で理論武装したロベスピエールサン・ジュストといった連中が、自分たちが弁論の上でも道徳の上でも敵対者よりも優位に立っていることを明確にし、敵対者たちに絶対悪という印象を植えつけることはいともたやすいことであった。人民がかれらに寄せられた愛情に見合うほどの存在ではないことが明らかになるや、独裁は一層の拡大へと後退し、一般意志の名の下に道徳とテロルが結合された。社会の一般意志は、12人で構成された「公安委員会」によって表現されていると想定されていたわけである。

ヘーゲル

フランス革命時代の相次ぐ試みは、「破壊の凶暴」しか生み出さなかった。こうした失敗例を、ヘーゲルは理論的な誤謬の端的な帰結と解釈したのである。
 ヘーゲルのルソー解釈が支持できるものかどうかは、まったく別の問題である。一般意志と全体意志というルソーのきわめて重要な区別を、へーゲルは一貫して無視している。(略)
一般意志は恣意的であり気まぐれであるという主張はやはり誤解を招くだろう。ルソーが全体意志との区別によって克服しようとしたのは、まさにこの個人の意志のはたらきの気まぐれさにほかならなかったのである。いやそれどころか、かれが力説する「一般意志はつねに正しく、つねに公共善に向かうものである」という主張は、ヘーゲルの要求を満たす方向に少なくとも幾分かは歩み出していたと考えられよう。