18世紀哲学者の楽園

原著は1932年出版。

中世から解放されていなかった18世紀

 われわれは18世紀の性格を、基本的に近代的だと捉えることに慣れている。なるほど哲学者たちは迷信や中世キリスト教思想の呪文を否定したと主張しているし、われわれは普通、この言葉を文字通りに受け止めようとしてきた。確かに次のように言うこともできるだろう。18世紀はまず第一に理性の時代であり、哲学者たちは懐疑的精神の持ち主であり、生粋の無神論者ではないにしても、結果として無神論を唱え、科学と科学的方法に耽溺し、常に進んでいかがわしい人間を攻撃し、自由、平等、友愛、言論の自由、その他多くのものを勇敢に守った。なるほどこれらは紛れもなく正しい。けれども哲学者たちは、自分たちが考えているよりも、あるいはわれわれが一般に受け入れているよりも、中世により近かったし、中世のキリスト教思想の前提から解放されていなかったのではないか。

ニュートン哲学」

一般人の「ニュートン哲学」への興味は「自然の神格化」にあった

ニュートン哲学」は18世紀半ばの一般人にとっては、今日の一般人にとっての「ダーウィン哲学」と同じくらい、なじみあるものだった。ニュートンを読んだ人間はほとんどまったくいないが、それは彼を理解するのに学識が必要だからだ。しかし誰もが彼のことを話題にしている」。実際、なぜ一般人がニュートンを読む必要があるのか? 「反作用は常に作用と同じ強さでこれに反発する」という前提には、一般人はそれほど大きな興味を抱いていなかった。彼らが興味をもっていたのは、それとはまったく違う意味のニュートン哲学だった。

コリン・マクローリン『サー・アイザック・ニュートンの哲学的発見論考』
自然現象を描写すること、それらの原因の説明…そして宇宙の全体構造を探究することが自然哲学の仕事である。(略)
神のあまねく支配する強い力は、大きな空間的隔たりあるいは時間的隔たりによっても減ることがないと思える力と効果をもって、働きかける。(略)
完璧な善性を伴うこれらの部分によって、われわれの自然観は明らかに支配され、その自然観が一人の哲学者の考察の至上の目的となる。この哲学者は、かくもすばらしいシステムを見つめて賛嘆しつつ、自身が自然の全体としての調和に呼応するように興奮と活力を感じざるを得ない。

この一節の最後の部分は、18世紀半ばを支配した精神を的確に表現すると言えるだろう。明らかにニュートン哲学の使徒たちは、礼賛をやめたのではなかった。彼らは礼賛の対象にもう一つの形と新たな名前を与えただけだった。神を脱自然化して、自然を神格化したのだ。したがって彼らは自意識をもたずに、そして聖なるテクストをほんの少し改めただけで、福音の叫びをくり返しているのである。「私の助けがやってくる自然に、私は目を向けよう!」目をあげて、かくも優れたシステムを見つめて賛嘆しながら、彼らは全体の調和に呼応するように、興奮と活力を感じていたのである。

啓蒙の敗北

人間が自分だけの力で行動し、自然人の邪悪な衝動から身を守ってくれるものもない世界が来るとすれば、とても落ち着いていられるものではなかった。(略)
哲学者たちが本能的に感じ取ったことは、無神論を表明するのは、さまよえる羊のようにキリスト教という檻の中に戻るのと同じく、失敗を告白することでしかない点だった。(略)
半世紀以上に渡って彼らは、無知と迷信の要塞に対して理性と常識の砲列を向けてきた。人間をさらに啓蒙し、社会をより確固たる基礎に置き、道徳と美徳を守るために、世界に騒音を巻き起こしてきた。(略)
「理性が結局われわれに教えてくれるのは、神が存在せず、宇宙は自動的に動く物質にすぎず、無知だと批判した聖職者と同じく、自分たち哲学者も何も知らない」のだとすれば、これまで大声で戦いの雄叫びをあげたことは、何たる大失敗だったか!
 哲学者たちが抽象的な理性を無視し始めたのは、その方向に論理的ジレンマを発見したからに他ならない

共通の規範、新しい歴史

そしてルソーこそ、どの道を通って撤退すべきかを指摘した人物なのである。(略)
人間性という絵画の中では、すべての姿が人間に似るべきなのだ…人間性の中にある多様性と、人間性に必須の多様性とを区別すべきなのである。
こうして、ロックが玄関の扉からあれほど丁寧に追い出した生得観念を、台所の扉から再びこっそりと引き入れなければならなくなった。デカルトの論理が個人から追放した魂を、人間性の中に再発見する必要が出てきたのである。
(略)
すべての人間に共通の特質を明らかにして数え上げ、それらを描写しなければならなかったのである。
(略)
プリーストリーの言葉を借りれば、「歴史がなければ、われわれの理性的特質という利点はきわめて低いものと判断されたに違いない」。哲学者たちが必要とした歴史とは 「新しい歴史」――例によって教えられる哲学となるような歴史だったことは、言うまでもないのである。

ルソーのいらだち

哲学者たちに向かって、19世紀が好んだ質問「どのようにして社会は現在の姿になったのか」を問いかけてはならない。もしこうした問いを発すれば、まずほとんど例外なくルソーのように「われわれにはわからない」と答えるからだ。そしてこのように答えながら、彼らはいらいらした様子を見せつつ、「そんなことはどうでもいい」といったそぶりをするのが、すぐに見て取れるのではないだろうか。
(略)
われわれが探すべきなのは、どのようにして社会を正せるかであって、過去を見るのは社会の誕生を探すためではなく、未来の状態へ過去がいかなる光を当てるかを探すためなのだ。
(略)
人間性の不変にして普遍的な原理」をもとにして現在よりも公正な体制をうち立てられるのではないか。

死者の上でおこなわれる手品

18世紀の哲学者たちは中世のスコラ哲学者と同じく、啓示された知識の総体にしがみついていたのであり、死者の上でおこなわれる手品によって、自らの信仰と調和できない歴史から何かを学ぶ気持ちも、その可能性もなかったのである。彼らが信じていたのは、いつの時代にもある信仰と同じく、自らの経験と必要性から生まれたものだった。
(略)
彼らが求めている「人間一般」とは、まさに自分たちの姿に他ならず、また発見しようとしている原理とは、彼らの探究の出発点にすでにあるものに他ならない点を、理解していないのだ。それが死者の上で彼らがおこなう手品なのである。道徳と政治との結合を唱えることで、無意識のうちに馬脚を現しているわけだ。