奪ったもので死ぬのはなによりも美しいことだ

セネカ哲学全集〈1〉倫理論集 I

セネカ哲学全集〈1〉倫理論集 I

パラッとめくってみた。ありがちな高級ジャクチョー説法ともいえるが、気合で

「私は断ずる。君は不幸だ。不幸だったことが一度もないからだ。君は敵対者なしに人生を過ごした。君に何ができたか、誰も知らないだろう。いや、君自身、知らないはずだ」。自分を知るには試験が要る。誰でも、自分が何をできるか、試さないでは分からない。

と喝を入れたらそれはそれでアリなのかイノキなのか。

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

セネカ哲学全集〈5〉倫理書簡集 I

かつての教え子が暴君となって死へと追い詰めてくる状況下にあったセネカ
明日は我が身

朝にはライオンや熊の前に、正午には観客の前に人間が引き出される。すでに殺した人間はこれから殺す人間に立ち向かえ、と観客は命じ、勝者を引きとめてもう一度殺させる。戦う者が行き着く果ては死であり、剣と火がものを言う。このようなことが行われ、ついに試合場から人影が消えた。「でも、追い剥ぎを働いた男で、人殺しもしましたよ」。だからどうだと言うのか。その男が人を殺した罪の報いとしてこんな仕打ちを受けねばならぬとすれば、君にはどんな罪があって、可哀想にも、こんな見世物を見物しなければならないのか。
(略)
ほら、君たちにはこんなことも分からないのか、悪い先例はひとめぐりしてそれを行った人間に帰ってくるということが。神々に感謝したまえ。君たちが残忍になれと教えても、向こうはそんな教えを学ぶことができないのだから。

奴隷に優しくw、いやそもそも全ての者が運命の奴隷なのだし、いつ奴隷になるともかぎらないのだし、もうすでに暴君の奴隷なのだし、という趣旨の話なのだが、人権意識wの違いといいますか、イマジン調の文章が笑える

君は君の奴隷たちと友人のように暮らしているね。それは英明で教養のある君に似つかわしいことだ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、人間だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、一緒に暮らす仲間だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、腰の低い友人だよ。「彼らは奴隷だ」って。そんなことはない、奴隷仲間だよ。考えてもごらん。どちらにせよ、運命の前では対等の権利しかないのだから。そこで私が笑ってしまうのは、自分の奴隷と一緒に食事するのを恥とみなす者たちだ。
(略)
会食のために席に着いたときには、私たちの吐き出したものを拭い取る奴隷があり、宴席の下に屈んで酔った客の残し物を集める奴隷がある。高価な鳥を捌く奴隷もある。胸と臀部に洽って確かな切り込みを入れ、練達の手がひとめぐりすると、一口大の肉が切り分けられるが、可哀想に、彼の人生はこのこと一つ、肥らせた鳥を見栄えよく捌くためにのみあるのだ。だが、実際のところ、もっと哀れなのはこの技を余興のために教えている人間で、強制的に学ばされる人間はまだましだ。また、酌をするのに女装をして自分の歳と格闘する奴隷もある。少年期から脱することがかなわずに引き戻され、すでに兵士の体格をそなえながら、体毛を擦り落とされたり、むしり取られたりまでしてつるつるの肌になり、一晩中寝ずに過ごす。夜は主人の酔いに付き合うか、欲情に付き合うか、二つに一つ、寝室では男になり、宴席では少年になる。
(略)
主人はこのような奴隷たちと一緒に食事することに耐えられない。奴隷と同じ食卓に着いたりしたら、自分の権威が損なわれると考えている。神々よ、これでいいのでしょうか。
(略)
見せてくれないか、誰か奴隷でない者がいるなら。ある者は情欲の奴隷となり、ある者は強欲、ある者は野心、誰もが《期待や》恐怖の奴隷となる。執政官経験者で年増女の奴隷になっている者もいれば、金持ちで小間使いの奴隷になっている者もいる。たいへん高貴な家柄の若者が黙劇役者の奴隷になっている例も挙げられる。隷従の中でも、自分から隷従することほど恥ずべきものはない。それゆえ、君は例の口うるさい人々の圧力に屈せず、君の奴隷たちに快く接し、上から見下さずに上に立つことだ。君を恐れさせるより敬わせたまえ。

自死について。

 何度も瀉血したことがあるし、痩身のために血管に穴を開けることもある。胸を切り開くのに大きな傷口は必要がない。小刀があれば、かの大いなる自由への道が開け、ひと刺しで平安が購える。では、どういうわけで私たちはだらだらと手をこまねいているのか。
(略)
最近も、猛獣格技者の訓練所で一人のゲルマーニア人が、午前の興行の練習の最中、用便に立った――監視がつかず、彼が独りになれるときはこれ以外になかった――とき、そこに汚物を拭き取るための棒きれがスポンジをつけて置いてあったのをそっくり喉に詰め込み、気道を塞いで窒息死した。これはまさに死に対する侮辱行為だった。まったくそうに違いなく、優雅でも、折り目正しくもない。だが、死に方を選り好みすることほど愚かなことがあろうか。勇敢な男ではないか。
(略)
かなうものなら好きな死に方で死ぬがいい、かなわなければ可能な死に方をせよ、そして、自分に暴力を加えうるものなら、なんでも手あたり次第に飛びつけ、と。奪ったもので生きるのは法に反するが、奪ったもので死ぬのはなによりも美しいことだ。お元気で。