大佛次郎/ブゥランジェ将軍の悲劇

(文明史のなかの明治憲法 - 本と奇妙な煙)

上記に出てきたブーランジェ将軍のノンフクションを大佛次郎が書いていたので読んでみた。

ブゥランジェ将軍の悲劇 (大佛次郎ノンフィクション文庫 8)

ブゥランジェ将軍の悲劇 (大佛次郎ノンフィクション文庫 8)

 

クレマンソオ、ブゥランジェを陸相に推挙

国境沿いの仏人巡査シュネブレがドイツ側にスパイ容疑で逮捕連行。人は一斉に感じた「これは戦争だ」。パリ包囲の際、飼い犬をスープにして生き延びた屈辱が蘇る。
クレマンソオ、中学の同窓、49歳美男・ブゥランジェを陸相に推挙。

 「君の口添でなければ、僕は大臣の椅子を受けなかったのですよ。正統派の将軍たちは全部右翼の肩を持っているし、首相もそれを怖れているのですが。」

 この極左の、喰えない老爺は、この流儀で名誉だけつかませて、ブゥランジェ将軍を自分のロボットとして大臣の椅子に押上げたのだ。人に向っては嘯いた。
 「あの男は共和主義者だよ。」

王党派を一喝

衛戌地を変える必要は切迫していた。新しい陸相は王党を初め保守派の攻撃の矢面に立ちながら、これを断行した。
 陸相は当然に議会の弾劾を受けることに成ったが、その時の答弁がめざましかったし、共和国の利益を立場に取って、右翼の攻撃に一々立って答える態度の精悍さが、自然に議場を征服したのである。
 「軍隊は批判者の立場に立つべきでない。ただ命令に服従すべきのみである。」
 「我々は共和国に在るのかどうか? 共和国の信用を昂める手段を採って、私が攻撃されなければならないとすれば、誰れもこう疑わずにはいられないだろう。」

市民と軍隊

 巴里の市民と軍隊とは、コンミュンの乱以来、犬と猿である。しかし、兵士はストライキの労働者とパンを分けると大胆な声明をした新しい陸相は市民の間に人気があった。軍隊と市民とは接近した。あらゆる集合に陸相の姿が見受けられた。軍国の気風が市民の間に湧いた。

これからは戦争だ

護国の英雄。復讐将軍。――気がついて見ると戦争が不可避に見える一線まで民衆が知らぬ間に駆け出ていたのだ。その場合、誰れが飼犬のスープを啜ることを望もうか。人は、明るい希望のある側に、争って立つのである。戦争だ。勝たねばならぬ。しかし、仏蘭西にはブゥランジェ将軍がいるから、安心なのである。誰れの胸にもこの希望があった。

陸軍の大観兵式に群集殺到

雨にぬれた芝生は青い。更に新たにさして来た夏の日の色は旗や軍服に照り映えて人の目を奪うほどであった。遠のいた夕立雲は、夏木立の空にある。刻々と青空があらわれて雲を追いのけて行くのである。その時殷々と礼砲の音が起った。
(略)
 男も女も気が狂いそうに見えた。帽子、ハンカチーフ、花束。桟敷にぎっしり詰った黒山のような人が、一せいに流れる液体に化して揺さぶられたようだった。将軍は、油を塗ったようにつやつやと黒光りした立派な馬にまたがって現れた。美男で、髯がブロンドで、ズボンは緋、肋骨の附いた空色の上着、白い羽毛をつけた大礼帽。(略)
照り添う夏の光の中に言語に絶した壮烈な一列である。これが仏蘭西の陸軍の首脳なのだ。全盛期のナポレオンの幻影が、突然に群集の胸の中に生れた。その時仏蘭西欧羅巴全土の征服者であった。恐らく、このブゥランジェ将軍が、祖国に再び、あの黄金時代を招来するのではないか。

クーデター騒動

ブゥランジェ将軍を恐れてドイツがフランスの要求を呑んだというのに、新しい内閣の陸相はフェロン将軍、ブゥランジェは地方に左遷。高まる国民の不満。地方に発つ将軍を追って、群衆はリヨンの停車場に殺到し、クーデターを叫ぶ。

 ブゥランジェ将軍の一生から見ても、この瞬間は、将軍が彼のルビコン川の岸に立っている時であった。奮然として流れをわたるシーザーの勇気が彼になかったのだろうか?
 エリゼ宮へ。
 エリゼ宮へ。

停車場でのクーデター騒ぎに将軍を支持してきた急進党まで態度を一変、クレマンソオにも裏切られ将軍は政治家不信に。そこに共和主義の敵、王党派からの誘いが。その不穏な動きに陸軍は将軍を休職処分に。国民の怒りを背景に将軍支持者達は動く。

いつの間にか世間も、ブゥランジスムと云えば憲法の修正を含むものと理解する。否、もっと正確に云えば、憲法の破壊を意味する。しかし、流石にブゥランジストも、そこまで言切るのを憚かって、これだけは更に形勢を見て持出そうとしていたのだろうか、隠されたものは火だった。ただ、それを曖昧な形で人につかませ、勢いに乗じて、プログラムを推進させようとするのである。議会の否認、強権独裁政府の確立。狙いはそこだった。警戒してそれを公言しないが、国士間の腹芸ではお互いに呑込んでいる、と云ったわけなのである。将軍をナポレオンの位置に押上げることなのである。その時自由はどこへ行くのだ。それは知らない。祖国はどこへ行くのだ。それも不明である。

憲法を修正せよ。」
では、どう云う風に?重大な危機が、実にそこから出発する。ブゥランジストは、その点の説明を老獪に避けていた。

議員となった将軍は憲法修正を提議、当然議会は紛糾。なんだかんだで首相と決闘することになったが、なんと軍人が60代の老人に負けてしまった。そこで三つの選挙区全部に立候補することに。

さればこそ、ブゥランジェ将軍の不名誉な負傷も、将軍が蒼白な顔付で壇上に現れるのを見れば悲痛に見えて来るのだった。国士で愛国者で護国の英雄の将軍が、今の独探内閣や泥棒議会の圧迫で、これまでにさいなまれている、と。
 将軍は幸運の人だった。
(略)
 勝った! ブゥランジェ将軍が勝った!
 この事実は何を意味するか? 右翼の新聞がこれを露骨に大きな活字で書き立てるのを憚らなかった。
 「共和国の最後を告げる鐘は鳴りたり。共和政治ここに死す。」

勝利に酔いしれるパリ市民

さらにチャンス、セエヌ県議員が客死。将軍は立候補、そして勝利。パリ市民が勝利に酔いしれる。

 マドレエヌから、大統領官舎のあるサン・トノレまでは、近々数百米なのである。ここでブゥランジェ将軍が露台に現れて、一言命令したら、この怖るべき人波は雪崩を打って大統領の官舎へ殺到するだろう。夜だ、闇だ、それに勝利の昂奮が酒のように人を酔わせているのである。

王党派が愛国者同盟が将軍に決起を迫る。政府もクーデターを覚悟した、だが将軍は動かなかった。これだけ国民の支持があるのだから、あわてなくとも正当な手続きで権力の座につけるはずだ。
だが新しく内相となった辣腕コンスタンがブゥランジスト壊滅に乗り出す。
王党派有力領袖ドオマル公爵の追放を解くことで王党派がブゥランジェから元の支配者に戻っていく。さらに愛国者同盟を摘発検挙。
将軍国外脱出、後は下降線の一途。