文明史のなかの明治憲法

前日のつづき。

文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)

文明史のなかの明治憲法 (講談社選書メチエ)

憲法発布のその時、山県有朋はヨーロッパ視察中。
山県滞在中のフランスの政治情勢

ブーランジスムとは、普仏戦争などに参加した勇将ジュルジュ・ブーランジェを中心とするポピュリスティックな反政府運動である。共和派政府のスキャンダルによる国民の不満、ドイツに対する敵愾心、体制改革の要望といった当時の様々な政治的奔流を一身に集め、ブーランジェはフランス救国のイコンとして喝采を浴びていた。
 そのような気運に乗じて、ブーランジェ本人も自ら選挙に出馬し、政権獲得への意欲を見せる。「議会解散憲法改正、あらたな立憲議会」をスローガンに各地の補欠選挙に打って出たブーランジェは、当選しては辞退し、さらに立候補をくりかえすという戦術で国民大衆を糾合した。(略)
[圧勝当選に]歓喜した群衆はブーランジェに迫り、大統領官邸に乗り込んでクーデターを実行することを彼に懇請するという事態にまで発展した。パリはまさに一触即発の状況だったのである。
 結局のところクーデターの計画はブーランジェ自身によって退けられ、それに伴って民衆のブーランジェ熱も一気に冷めていくという結果に終わる。大衆から見捨てられたブーランジェはベルギーに亡命し、二年後ピストル自殺を遂げる。
 (略)この一連のドラマは、議会制民主主義の負の部分を露呈した事態だったといってよい。炯眼な山県はこの点を見逃さなかった。

山県に最良の地方行政制度を問われたグナイストは

地方制度の要諦はむしろ小規模な町や村にこそ求められる。(略)
「日本の政治組織の基盤は住民、すなわち下部の秩序に据えられるべきである」と述べる。ここで説かれているのは、国家の秩序形成のあり方である。すなわちグナイストは、国家の秩序はフランス的な上意下達式のトップ・ダウン型ではなく、ドイツ的な下からの積み上げ式、すなわちボトム・アップ型で形作られるべきとしている。
 (略)グナイストが強調するのは、その土地の名望家を中心とする住民の自発的な隣保活動である。道路や橋の補修、治安、救貧といった諸問題を例にとり、町村を単位とする地域社会の自主的かつ独自の行政処理が推奨されるのである。
(略)
 しかし、そのような町村自治を高く掲げる一方で、グナイストの国会にかんする言説は例のごとく保守的な色彩を帯びている。
(略)
 国会開設を時期尚早と警告し、これまでの統治を改めず、むしろ政府に自由を与えて「国ノ進歩」を推し進めるべきだと説く。(略)
彼が重視するのは、強権をもった政府による迅速かつ効果的な施政である。

シュタイン、山県に外政奥義を伝授

シュタインは、「日本ノ利益疆域ヲ保護スル大主義ハ、現今及将来トモ朝鮮ノ現状ヲ保存スルニアルナリ」と明記し、ここでも朝鮮の独立を日本の国益問題と位置づける山県にお墨つきを与えていたのである。
(略)
シュタインは権力圏のみならず利益圏を確立し、それを維持していくことを独立国家の必須条件とみなしている。(略)国家は利益圈の設定があった場合には、他国の外政的進出に対する干渉の権限を国際法上得ることができるのであり、換言すれば、利益圈の存在こそがその国の外交政策を決定する
(略)
固有の利益圏があってはじめて、その国に国際関係上独立のアクターとしての地位が認められるとされるのである。
 これまで日本人に専ら内政の仕組みやあり方を教授していたシュタインであるが、それとは打って変わって、山県に対する指導は日本の外政的独立の奥義を諭すものだったのである。

クルメツキの教え

1.議員のなかに「政府二友達タル人」を作りだすこと、
2.そのために、選挙制度をじゅうぶんに練り上げておくほか、選挙と議会召集の間を空けておき、なるべく多くの議員をその期間に手なずけておくこと、
3.政府とのパイプ役となる議員の領袖を見出しておくこと、
4.議長や委員長は政府の息のかかった者が選定されるように働きかけること、
5.充分な量の議事事項を準備しておくこと。議員たちに何もすることがなければ、「悪事ヲ計ルノ発端」となる。
6.詳細な議事章程を制定すること、
7.懲戒権を議会にではなく、議長に与えること、
8.議院からの質問の書面提出請求権を政府に認めること、
9.政府の停会・解散権は何度でも行使できるようにすべきこと、などである。

西洋文明の影

 議会を中心とする大衆政治の趨勢のもと、「沈着老政之論議」は顧みられず、「急譟過激之空論」ばかりがもてはやされており、その状況は文明の度が進むにしたがい、加速していくであろうと観察されている。山県は、西洋文明の光よりもむしろ影の部分を凝視している。
(略)
自由放任という文明の病弊に侵された西洋は、予防されるべき病理現象としても映じていた。