星新一のライバル

前日のつづき。
 

荒俣宏談。

スタインベックサリンジャーのような流れで知的でした。(略)
星さんはある種の、芥川龍之介なんですよ。芥川の場合は中国の古典を取り入れましたけど、星さんの場合はアメリカ文化のフレンドリーさとスノビズムを導入した。ぼくが読み始めたころの星新一はもう、才気突っ走るって感じでピカピカ輝いていた。なんといっても言葉遣いが新しいでしょう。誰でも書けそうだと思って真似して挑戦してみるけど、何本も書けないことはすぐにわかるんだよね。つまり、星新一アメリカの雑誌の短編小説のエクリチュール(文体)を日本にもってきた人。SF作家というよりも、新しい文化とスタイルを輸入した人です。ぼくたちは、植草甚一と並んで認識していましたね。カリスマ性がありましたね。ぼくたちの先生です

ショートショートという形式

というのは、星さんも矢野徹さんも知らなかったし、意識していなかった形式で
(略)
新一の作品を初めて“ショートショート”の名前で呼んだ小林信彦は、たびたび「ヒッチコックマガジン」でショートショート特集を企画
(略)
都筑道夫ショートショートという形式をアメリカから輸入し、小林信彦が商品化し、扇谷正造が援護射撃して広めたというのが、初期のショートショートをめぐる構図だろう。

PR誌のおかげ

高度成長を背景に、急激に発行部数を伸ばし、SF作家たちに新たな活躍の場を与えたのが企業のPR誌だった。新一にはあらゆる業種のPR誌から注文が殺到した。
 最初にPR誌とショートショートの関係を指摘してくれたのは、小林信彦だった。
(略)
 新一の遺品を整理していて気づいたのは、企業PR誌に発表されたショートショートが膨大な数に上るということだった。文芸誌とは桁が違うといわれるほど原稿料の高いPR誌の仕事は、まだまだ作品を発表する媒体の少ない新一にとっては生活を支える貴重な収入源となっていた。またPR誌側も、少ないページで掲載でき、雑誌のイメージ向上に役立つためショートショートを重宝した。残虐性や性的描写を排除した新一の作風が、PR誌向きであったことも大きいだろう。

書き方

三十枚で書ける小説を圧縮して六枚や七枚にする。普通、短い小説はそうやって書くでしょう。でも、それだとどうしても圧縮感が出てしまう、と星さんはいうんです。星さんの場合は、それとは逆。
(略)
では、どうすればプロットを作ることができるのか。
そう質問されたとき、新一は、「小話を覚えてみたらいいと思います」と答えている。

 筆記用具は手の力がそれほどなくとも書ける濃くて柔らかいBの鉛筆だった。書き損じた原稿用紙の裏面に、縦は原稿用紙サイズいっぱい、横は五センチ幅ぐらいの細長い長方形がショートショート一編の大きさ。書き出しから結末まで、起承転結がひと目で見渡せるのが新一の最初の下書きだ。小さな文字がぎっしり詰まった長方形を眺め、練り、確信を得たところで原稿用紙に二度目の下書きをする。このときはボールペンや万年筆で、清書とはまったく異なるミミズの這うような文字でマス目を数えながら書き進める。ここで行うのは文字数や改行の調整と、漢字か平仮名かの最終的な判断である。璧には内閣告示当用漢字表を貼り、そこにない漢字は使わない。こうした推敲を経てようやく、編集者に渡すための清書に移る。万年筆で、一文字たりとも書き損じのない完全原稿である。

マンガ界における手塚的役割だった星

[「宇宙塵」メンバーがTBS重役に食事に招待され]重役陣は星さんに敬意を表した、おれたちだけじゃこうはいかないといったんです。それぐらい星製薬の御曹司というのは威力があった。家柄がよい毛並み族である星さんがやっているSF、ということでSFが社会的に認知されたことには大きな意味があったんです。

SF界の殿さま、天皇

 なお、この[SF作家が激怒して叛乱を起こすことになった]匿名座談会では、ひとり新一だけが批判されていない。(略)「星新一がいかにSF界にとって別格であり、気を遣われ、批判を封じられていた作家だったかの証左だろう。
 (略)斎藤守弘は、あるとき北杜夫の作品と新一を比較して論じたところ、新一から「批判しないでくれ」といわれたため、以後一切の感想を封印したという。SF界の外からさまざまな偏見や批判にさらされているのに、その上、内輪の人間からもあれこれといわれることが不愉快だったのだろう。果たしてそれでよいのか、という疑問を抱くことすらタブーだった。
 ただし、新一はこの事件だけでなく、その後のSF界の「事件」と呼ばれる論争やもめ事には一貫して距離を置き沈黙している。SF界の殿さま、天皇、などといわれたのは、たんに麻雀卓を囲んだときの佇いだけではなく、常にこうした客観的な態度を貫いていたためでもある。人間同士のいざこざを嫌い、できるならなるべく関わりたくないという新一の性格が現れている。

翻訳事情

翻訳の申し出が相次いだ理由について常盤新平は、「欧文脈だからでしょう。村上春樹もそうですが、主語と述語がはっきりしていて論理的。翻訳しやすい国際的な文章です。たんに面白いというだけではない」と語る。
[しかしいい翻訳者にめぐまれなかった]
(略)
安部公房が国際的に評価され、ノーベル賞の呼び声が高まっていくのととは対照的だった。

ライバル安部公房

デビューのころを知る編集者たちにとって、星新一のライバルといえば、安部公房だった。荒正人文芸時評で並んで評され、両者に共通する特異な作風からも、比較して語られる傾向があった。福島正実が二人をとりわけ重用したのも、両者がSF文学を担う実力ある書き手として先端を走っていたからである。
 新一は安部の作品を好んで読み、憧れを抱いていた時期もあったが、酒の席でひがみっぼい言葉を浴びせられてからは、安部が店に来ればすぐに席を立つようになった。安部のほうでも新一に特別な感情を抱いていたようだった。
 ところが『砂の女』の英訳(昭和三十九年)を端緒に世界各国で翻訳されて(略)国内における評価にも大きな差が生じ始めた。かたやノーベル文学賞候補作家、かたや子供向け作家である。
 「安部さんが星さんを評価すればよかったんですよ。近親憎悪のようなものがあったんだと思います。想像力のかたちに共通するところがありましたから。でも星さんのほうがすごい。安部さんはそれを知っていたんじゃないでしょうか」
 と常盤新平はいう。

SFを牽引してきたのに、隆盛になったころには子供向け作家とみなされ、SF読者は離れ、次々創刊されるSF雑誌からの依頼はなく、星雲賞ももらえず、文学的にも評価されない。筒井康隆小松左京が下へも置かぬ扱いをするから回りも持ち上げ40代で長老扱いされるも、作品のマンネリ化を自覚し寂しい新一。
文壇バーでの直木賞に推挙するという吉行淳之介の言葉を真に受けて心待ちにする新一。
「虚構船団」の解説では筒井を擁護したが、

筒井が純文学界で評価されていくと

 新一の筒井に対する感情があふれ出たのは、筒井が昭和62年に『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞を受賞し、さらに、井上靖吉行淳之介らが編集委員となった小学館の『昭和文学全集』シリーズに筒井の作品が選ばれることが決まり、新一には声がかからなかったときだった。筒井のパーティの二次会で、終始不機嫌に酒を飲んでいた新一は、(略)[原稿料の話ばかりする新一をネタにした]「諸家寸話」(略)に言及し、筒井の妻もいる前でとうとう口にしてしまった。
「勝手に書きやがって……、人のこと書いて原稿料稼ぎやがって……」*1

  • アトムのアニメ原作を依頼されて

「アトムとウランちゃんの近親相姦ビデオを作ったらどうかな。あわせて二十万馬力だ」

  • 会津を取材訪問、地元の人に「どちらから」と訊かれ「長州から」と答える、当然相手は顔面蒼白
  • 昭和30年半ば「基地立国論」アメリカだけじゃなく中ソにも原爆基地をつくらせれば借地料も入り、なおかつ攻撃もされない

同級生の娘だった新井素子を娘のようにかわいがっていた

 新一は、新井に対して、最後の最後まで紳士だった。放言を発するのはSF作家仲間と酒を飲むか麻雀をするときで、しかも相手を選んでいたため、新井はたがのはずれた新一を見たことはほとんどない。いや、強いていえば、二度だけある。新興宗教にのめりこんだ平井和正が教祖の本を代筆したとき、その出版パーティの会場で教祖をおもしろおかしくやじったこと。サイバーパンクSF流行の先駆けとなったウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』の翻訳で知られる黒丸尚のパーティで、「サイバーパンクじゃ食えないぞー」と叫んだときである。

90で大往生の母の死に周囲が驚くほど激しく落胆

 思えば、新一のこれまでの人生には、背後に常に精がいた。戸越の家では、玄関も台所も別で、ふだんは言葉を交わすことはほとんどなかった。祖父母のもとで育てられた新一は、母におしめを替えてもらったこともなかった。母と息子といってもお互いどこか他人行儀で(略)だが、距離があるからこそ、精の存在は、新一の心棒のようなものだった。

[昭和47年「ヤングレディ」より]
 東京生まれで、家族とともに暮していたんだから、孤独な生活を知っているとはいえないかもしれませんが、ぼくはいつも、家族のなかで孤独を感じていました。そして終戦後、大学二年生のころはノイローゼになったくらいですから、正直、つらい思いはしました。でも個人の内面のことまで親身になってくれる人はいないですよ。ぼくも一人で精神的に孤独な状態と闘いつづけました。

  • 昭和59年、ネスカフェ「違いのわかる男」CM出演依頼、断ったが、ギャラ700万に驚愕。
  • 目利きぶりに定評があった。特にミステリは「天性の頭の良さと厖大な読書量」による批評眼で各社編集者が惚れこむほど

*1:単に仲間内のキツイ冗談なんじゃないのかという気もするが