原武史はブルマーをはくか

前日引用したように原武史の言わんとするところはわかっているつもりなのだが、あえて、難癖をつけてみる。くどいようだが、あえて、矮小化している部分もある、あるが、この本自体ある種のバイアスがかかっているのではと言いたくてわざとなどとあえて予防線をはりつつ。

私ははここで、国家権力からの自立と、児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指したその地域共同体を、いささかの思い入れを込めて「滝山コミューン」と呼ぶことにする。

うーん、言葉のマジックだ。「呼ぶことにする」と言い切られて、前日の引用文を読めば誰でもウヒャーとなるだろうが、異常な空気だったのは問題の5組であって、著者は全くの無関係なのである。無関係だったからこそ5組が主導した林間学校で衝撃を受けたのである。著者の担任は戦時中の全体主義の空気を知っている世代で、無自覚に全体主義に邁進する若い世代の片山に対峙する人なのである。著者はそんな担任の下で5組とは違う有意義な課外活動も体験している。著者は過剰にコミューンを見出そうとしている、なぜか?何かを隠蔽しようとしているからだ。

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

まず何が引っ掛るかというと小林次郎への著者の粘着ぶりである。学校でも塾でもトップだった小林にやけにからむのである。教師に踊らされていたバカ供とはちがい小林はあの異常さに気付いていたはずだ、一時はそれに対抗しようとする素振りも見せた(著者とはちがい結局無難に立ち回るが)、そんな小林の当時の想いを是非聞きたいと、多くを語ろうとしない小林に著者は恫喝まがいにからむ

そこはあくまで、憶測の域を出ない。
 小林の沈黙の意味は深い。
 その沈黙が続く限り、この物語はやはり「欠陥」を抱えていること、それを埋められない限り、小林の存在は常に「私」の物語に回収される恐れがあることを、ここで自戒とともに記しておきたい。

そして小林ママが当時出版した有名中学合格手記本をさらす。なまじ勉強ができるばかり学校や親の期待に応え続けたことに忸怩たる思いがあるであろう小林の気持を逆なでするように「晒しあげ」。why?

[塾において]せいぜい篠部武嗣しか同じクラスの友だちがいなかった私とは異なり、小林次郎には多くの友人がいた上、取り巻きのような連中までいた。そこには何か、近寄りがたい雰囲気が立ち込めていた。この日の私の日記には、「小林はじつにたくさんのけらいがいた。みんな『小林さん、小林さん』といっていた」

参院選と同じ七月七日に行われた四谷大塚の日曜テストでは、小林次郎が三〇〇点満点に一点足らないだけの二九九点という驚異的な成績で、一位となった。私もこのときは、算数が満点で二八三点、十四位という自己ベストの成績だったけれども、小林との差が歴然としていたぶん、喜びも感じなかった。

塾が学校からの逃避となっていたのだから必要な描写と言えなくもないが、なんとなく「当時の小林から見れば雑魚だったボクもこうして単著だせるようになりました、ニヤニヤ」といった気配を感じる小生は下衆な人間でありましょうか。
できない子のペースで進む「水道方式」にいらつく小学4年の著者は親に塾の選抜試験を受けさせられる。

いまから思えば、七小の授業に不満があったとはいっても、全くいい迷惑であった。私はいまでも、この時点で中学受験戦争の権化というべき四谷大塚と関わりをもったことを恥ずかしく思っている。

こうサラリと触れてはいるが、全体のトーンは塾が全体主義化した学校からの逃避となったように描いている。

代表児童委員会から「追求」を受けて以来、七小の大多数の児童が進学する地元の公立中学に進んだら、大変なことになるという思いが自分の中で強まっていた。早くここから逃れて自由になりたいという気持ちと、私立中学への憧れが重なっていたともいえる。
(略)
私の場合、受験の動機がいい中学に行き、いい大学に進学したいという立身出世的なものとはかなり異なっていたことだけは確かである。

あれだけ冷静に分析できる著者がなぜ中学も七小同様になると信じ込むのか。
受験時の恐怖動揺絶望についても、受験敗者になることではなく、落ちて地元の中学に行くことが恐怖だったと著者は書く。そうなのだろうか。

[開成受験あがって実力をだせなかった著者、不合格を知らされ]
大体予想はついていたとはいえ、いざそれを知らされた衝撃は大きく、私は自宅で泣き崩れた。
 篠部をはじめ、友人はみな合格していた。
(略)
[駄目元で開成より合格ライン高い慶応受験]
私は工作と体育で失敗した。絶望のあまり、帰りの東横線の車内ではしゃがみこんだ。
(略)
六時間目が終わり、ホームルームの時間になったころ、母親が6年2組に面した廊下までやって来て、三浦先生に何事かを告げた。聞けば、もう諦めていた慶応普通部に正式に合格していたという。
 天にも昇る気持ちだった。
[原の偉業wが理解できないクラスメートへの侮蔑感、小林がどこに合格したかの詳細表記もあり]

わざわざ学校に来ちゃう原ママw。
著者が受験でパニックったことを地元中学進学への恐怖だったと強弁したいだけのためにコミューンの恐怖を言い募っていると推測したら下衆ですか。

  • なぜ教師片山を敵視するか

担任が休んだ日、片山が代わりに授業を

片山は教科書を使わない代わりに、次のような質問を投げかけた。
 ――誰か織田信長について知っている人、手を挙げなさい。
[塾での知識を著者が披露すると](略)
それでは説明になっていない。そんなことは、教科書を見れば全部書いてある。ほかに誰かいるか。
 このとき、朝倉和人がさっと手を挙げた。(略)
[信長を称え]僕はそんな信長を殺した明智光秀のことがとても憎らしいと思います。
 片山は、朝倉のこうした答え方を絶賛した。それにひきかえ、原の答えには自分の考えというものがまるで入っていない――こう言われてからは、クラスメートにすら、しょせん塾で勉強していること以外に頭の働かないヤツという眼で見られるようになった。
 私は孤立感を覚えた。書記になってから、朝倉は明らかに変わったと感じた。
(略)
このときは、よほど悔しかったのか、家に帰ってから母親に訴えた記憶がある。それはひとえに、まず基本的な事実を知らなければ、きちんとした評価はできないではないかということにつきていた。
(略)
このときに抱いた苦い思いは、三十年あまりたった今日における私の研究に、ほぼそっくり反映されている。

あの日の屈辱は忘れないw。
基礎知識を軽視してトンマな班競争に励んでいるからお前らみんな負け組で、俺は今や単著もある大学教授だ(#゜д゜)ゴラァ!!
なんていい加減なことを書いているとまた怒られますよ、原信者は冗談が通じると信じたいw。
もう少しで終わるのだが、肝心のブルマー話もあるし、明日につづいていいですか。