どうしてこんな映画観ちゃったんだろうシリーズ

ヒドイ映画。監督の目的が別にあるために、マヌケな二人の恋がさらにギャグ状態に。
オータム・イン・ニューヨーク(2000) - goo 映画
中年プレイボーイ(リチャード・ギア)と難病余命一年のウィノナ・ライダーの恋。
ギアの手口がスゴイw。かつての恋人の娘であるウィノナと知り合った翌日にさっそく電話。口実はウィノナにパーティ用の帽子制作依頼。制作のヒントを訊かれ、女性のヒップラインをイメージしてと答える下品さ。で、彼女が帽子を持ってくると、パーティに行くはずの女性が病気、そこで、意味ありげに、何かを言いかけてやめるというクサイ芝居。すると顔をゆるませてウィノナが、いやん言って言ってとせまる。それでもクサク躊躇してみせて、最後に君が代わりに行ってくれるかい、と言われたウィノナは「喜んでー」状態、でもドレスがないわ、ここにあるよ。
なにか日本人には耐え切れない手口。さらに納得いかないのがパーティに行くウィノナは例の帽子をつけてないのですよ。おかしくね。
パーティで盛り上がって、さっそく一夜を供にして、翌日、いつものパターンでこれきりだからとギアがプレイボーイかますと、いきなりウィノナも余命一年だから、いい想い出になるわと返して、今度はギアがおたついて、つきあう二人。
普通日本人感覚だとあとは愛と死をみつめちゃうものなのだが、いきなりギアが浮気。ウィノナ激怒。ここらへんから監督の目的が始動して話はミョーなことに。
ウィノナに振られてしょんぼり帰ってきたギアを待っていたのは、遊びでできてそのままとんずらかまして顔も見たことのなかった娘(しかもその遊び相手はウィノナ母の友人という因縁)。娘は子供が産まれるのとギアに告げる。自分も親になるのだなあと思ったら、一度父親に会ってみたくなった、そう言いつつ、娘はギアに「正直スマナンダ」と謝って欲しいと暗にほのめかすが、ギアはなんとも言えない。
そう、これが、監督の目的なのだ。望まれぬ子として産まれ、一度も祝福されず、一度も会うことなく育った娘は、父の謝罪を求めている。この目的のために映画は悲劇的に壊滅状態に。話の流れをそぐギアの浮気も娘の登場のためなのだなあ。
さて、どうにかギアはウィノナにあやまって、再度ラブラブになったとこで、ウィノナ倒れる。余命一年どころか、いまにも死ぬと医者。ウィノナはずっと手術はしないと伏線はってるのに、なぜか急に手術しなくちゃ、名医を見つけなきゃとハッスルしだすギア。
なぜか。それは再度、娘を出すため。
あちこち駆けずり回るも名医が見つからず、途方にくれたギアは娘のところに(よくわからぬが娘は人探しのプロという設定)。ギアがあの若さで死んでしまうなんてと悲憤慷慨しながらフト見ると幼い頃の娘の写真。そして冷たくギアを見る娘。そこで、ハッ、と自分の身勝手さに気付くギア。ほったらかしの娘のところにきてウィノナが可哀そうとか言っちゃって、娘だって可哀そうだよ、唐突にいままでとんずらで「正直スマナンダ」と娘に謝罪するギア。
さあ、謝罪をゲットした監督、あとはチャッチャッと行きますよーとばかり、スゲエ名医みつかった、ウィノナ倒れる、颯爽と名医登場、手術、ダメだった、号泣スローモーション。
それでも話の流れからしたら亡きウィノナを偲んで独り佇むギアがラストに来るはずだが、監督ときたら厚かましくも、すっかり改心したギアと娘と孫のスリーショットで終了。なんだかなあ。
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途中から観て、既視感。ポートマン目当てで前に観たのだろうか。売れないピアニストが才色兼備の恋人から結婚を迫られて踏み切れず、一時帰郷して隣のナタリー・ポートマン13歳に萌えーー。ポートマンにロクデナシよと片付けられるダメ友人の一人の部屋はピンナップだらけ。主人公がキモイから剥せよと言うと、友人は「スーパーモデルは明日への希望なんだ活力なんだ」と熱弁をふるう、その希望のなさが、ドンヅマリ感が人事じゃなくて、深く考えるとブルーなのでスルー。音楽をつくることだけが明日への希望なのですと熱弁をふるえば、以下省略。