輸入学問の功罪

翻訳論と近代化論の二冊に分けたらという助言もあったがあえて一冊にしたとあとがきにある。その意図はわかるのだが、チョットもったいない気もする。だって下のような本を購入した人が、どれだけこの本を買うだろう。まさか翻訳ネタの本に教養話が潜んでいるとは。あちらよりこっちのほうが有用なのに、もったいないニャー。

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資本論』の翻訳を巡る、社会主義にしてジャーナリストの高畠素之と大学人(向坂逸郎他)の争い。
出版は商売なのであって、多くの人に売れる(が買いたくなる)読みやすい文章でなきゃいかんという高畠と、「なんか下品よねー、原文の格調がうしなわれちゃうわよねー」というエリート軍団との争い、という話の第一章。

 時代とともに、出版業を中心とする文化市場が成熟してくると、かつては一部の階層の専有物であった文章類も、ありふれた商品として売買されるようになる。しかし興味深いことに、こうした商品化が進むと、あたかもそれと歩調を合わせるようにして、エリート文化の自己閉鎖化が進行していく。「著述の営業性」といった当然のことを高畠があれほど意固地になって強調しなければならなかったのは、市場と一線を画し、超然とそれを見下すアカデミズムの権威が確立していたからだ。今日に至るまで、解読困難な翻訳を連綿と支えてきたのは、エリート文化のこうした閉鎖性にほかならず、それはしばしば「教養」、あるいは「教養主義」という不思議な言葉と結びついてきた。
 いったい教養とは何なのか。

教養ってなにかね

そんなわけで第二章は「教養ってなにかね」という近代ドイツの話に。
ニート諸君に告ぐ

市民は役立つ存在になろうとすれば何か一つの専門職を身につけねばならない。それはつねに他の可能性を放棄することによってしかなしとげられない。それは今日でも同じことだ。自立した個人として生きるために、われわれは職業人となる。しかしそのことによって、自分自身の可能性を限定し、競争に身をさらしながら生きていかねばならない。商業による身分制からの自己解放は、同時に自らを一つの商品に転化する自己限定でもある。だから市民の自己形成はつねに「存在の調和」を失うことと引き替えにしか実現しないのだ。
 では市民でありながら、なおかつ存在の調和を失わず、市民でありながら貴族と同じような「公的人格」となりうる道はないのか。主人公のヴィルヘルムが追い求めた答えは、芸術(演劇)を通じての自己実現だった。それは市場競争を通じての自己解放ではなく、むしろ市場競争によって失われる「存在の調和」を、芸術によって穴埋めし、「補償」するための教養=自己形成だった

社会に出て乾いてしまった己を「補償」(慰める?癒す?)したのが教養だったのだが、そこに危ういドイツ的宿命が。

ドイツ生まれの教養理念は、19世紀を通じて、市民階級の生みの母である商業や市場に対して冷ややかな距離を保ち、過度に芸術化され、内面化されていった。もともとカントにおいては共和主義的国家と不可分であった個の自律という理想、ゲーテにおいては市民的生活実践に分かちがたく結びついていた教養理念は、ドイツの近代化過程の中で政治や経済との切磋琢磨を怠り、いわばみずからの出自を裏切りながら成長していった。教養はやがて――ニーチェが舌鋒鋭く批判したように――教養俗物という名の新種の貴族を飾る安手のアクセサリーと化していく。

日本の近代

日本の近代が第三章。

 歴史に「もしも」は禁物だが、福沢諭吉が継承した「内からの近代化」と中江兆民が媒介した「外からの近代化」との間に、すなわち、徳川期知識人の反形而上学的な経験主義や実学の系譜と、ルソーからカントにいたる社会契約的な近代法思想との間に、もう少し長期にわたる対話と対決の歴史が刻まれていれば、日本の近代化は――そして翻訳文化は――もう少し別の発展を取りえたかもしれない。
(略)
 しかし、西南戦争明治14年の政変を経て、薩長藩閥勢力による専制的な政治体制が確立していく過程には、市民の生得的自由権と社会契約にもとづく法思想が根付く歴史的条件は存在していなかった。その過程で台頭してきたのはむしろ、国家を有機的全体とみなす社会進化論だった。国家は優勝劣敗の生存競争を生き抜くべく、進化への努力を運命づけられた有機体である。したがって、その肢体をなす国民は私的利益の追求に走ることなく、全体意志の実現に奉仕しなければならない。滅私奉公を通じて社会進化に貢献することによってのみ、国民は自らの生存をも確実にできる。

翻訳の話に戻る

ようやく翻訳の話に戻るよ第四章。
1910年、刑期終了目前の政治犯堺利彦はひらめいた。それは文章作成プロダクション。
英語の堺、仏語の大杉栄、独語の高畠。

 主義主張とは無関係に、あらゆる文書作成を請け負う翻訳・編集・製作プロダクションを作ろうというのだ。その名もズバリ売文社。明治時代としては斬新、卓抜なビジネス・モデルだった。
 1910年9月、堺は出所するとさっそくこの「売文社」設立計画を実行に移す。文筆の下請けで当面の糊口をしのぐと同時に、大逆事件で打撃を被った同志たちに、ささやかな経済的、精神的拠点を提供しようというのだ。右の文面からもわかるように、獄中にあっても堺の書くものには、そこはかとなくユーモアが漂っている。困難な時代にあってテロリズムにもニヒリズムにも陥ることなく、かといって時局に迎合することもなく、どこまでも粘り強く抵抗を貫こうとする姿勢には、堺の面目躍加たるものがある。
 (略)料金は、日本文作成および英文和訳が400字詰め1枚50銭、仏独が60銭以上、和文の外国語訳がフールスキャップ版(タイプライター・ダブルスペース)1枚につき1円から2円、添削がほぼその半額

 初仕事は(略)週刊『サンデー』のための小説翻訳だった。続いて、年末にはコネを頼りに、朝日新聞に広告を載せてもらうことに成功した。効果てきめん、元旦早々から客があった。よりによってアカデミズムの牙城、帝国大学の学生が英語の倫理学書の一部を翻訳してほしいと言ってきたという。
 かと思うと小学校の新築落成のための祝辞の注文が舞い込んだ。さらにはミッション系女学校の卒諭の代作、はては地方から短編小説の代作の注文まであったというから違法行為すれすれだ。しかし潜在的需要を感じていた堺の勘は正しかった。売文社の名の通り、すでに文章は注文販売できる立派な「商品」となっていた。

大学人翻訳

一方、旧制高校生の実態を分析して、大学人翻訳を探る

 以上のような一高生の心象風景を念頭におきながら、われわれが第一章で見てきた、あの常軌を逸する逐語訳への偏執をもう一度思い出してみよう。そこにはなにか共通性がないだろうか。言語表現の複雑性や多様性に対する近代エリートたちの不安のようなものが感じられないだろうか。表現の快楽を抑制する倫理的なリゴリズム。具体的内容よりも抽象的操作を、意味よりシンタックスを、文脈よりも文法を重視する翻訳態度。原著への跪拝と読者への無関心。そこに欠落しているのは、訳者が同時に読者の目で訳文をたえず修正していく重層的で対話的な構造だ。
 立ち止まって考えてみれば、あの翻訳文体は、市場が生み出す消費文化から、あるいは世界共同体に組み込まれた国際関係の現実から目を背け、空疎なレトリックで自我の煩悶を表明してきた若きエリートたちの孤独と傷ついた社会化過程の表現だったのではないか。

新保守主義的カント 

第5章は日本における新保守主義的カント受容について。
中曾根もナベツネも「天の星と我が内なる道徳律」にシビレた。

いつやってくるかもしれぬ不条理な死を前に、渡邉は勤労動員先でカントやニーチェを読みふけったという。たとえ相手が軍隊であろうが、天皇制であろうが、一個の主体である自分は、何人にも掣肘されることのない自由と人格的自律の根拠を持っている。

 『実践理性批判』で論じられた人格の独立性や、意志の自由、普遍的道徳律などは、自我にめざめたエリート青年たちの孤塁を、片や科学的唯物論を標榜するマルクス主義から、片や民族神話をふりかざす集団主義から守ってくれる一種の哲学的防波堤となった。(略)
 そこには、大正時代の一高生のカント受容から連綿と続く一筋の道がある。現実への同化を拒む倫理的矜持と制度に庇護された内面性。両者の共存と屈折はやがて卒業後に彼らが発揮するマキアベリズムとまったく矛盾しない。
 しかし、カントの普遍主義的道徳論は本来、生得的自由権と社会契約に基づく法思想、国際法の支配や共和制の確立を理論的必然性として探求し続けたカントの努力と結びついてこそ、真の普遍主義となる。しかし、日本の受容史に映し出されたこのカントの影は薄い。カント受容の日本的ヴァージョンと新保守主義を結ぶ紐帯は、じっさい見た目以上に根強いものだったのかもしれない。

キリスト教の理性的救済」がピンと来ない日本人

カント哲学には、認識論の学問的検証という側面と同時に、近代科学に直面したキリスト教の理性的救済という側面があったということだ。これは神学にとっても、長年、神学の僕としての地位をあてがわれてきた哲学にとっても、西洋哲学史上の一大事件だった。ゲーテ教養小説と同様、カント哲学もまた、宗教や身分制度の支配から自立をとげようとする近代市民社会の闘争のドラマとして読まれるべき側面を持っている。
 ところが、わが国ではなかなかこのドラマを実感しにくい。ダーウィンの受容史についても言えることだが、自然についての知識の発達が、信念体系に大きな動揺を与えたという経験が日本には乏しい。天皇制の万世一系神話が歴史的事実ではないと立証されても、神話としての説得力に大きな動揺は生じない。加藤弘之北一輝のような天皇制信奉者ですら神話としての天皇制を痛罵したことがある。

うわー、もう少しで終わるけど、明日追加します。
だって時効警察が、三日月さんがあああ。

  • 追加

例えばカントの原文は、その思考を表現するのにたまたま選ばれた一文なわけで、翻訳者がカントが本当に伝えたかった内容をカントよりも的確に表現することも可能、と逐語訳重視に異議。
そしてなぜ変な日本語になってしまうか

一 汝の意志の格率が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当し得るやうに行為せよ。(波多野/宮本訳)
二 君の意志の格率[行動方針]が、つねに同時に普遍的立法の原理として通用することができるように行為しなさい。(坂部/伊古田訳)
 すでに述べたように、一は1918年に、二は2000年にそれぞれ初版が出た訳書からの引用だ。

わかりやすさを意識した(二)を評価しつつも著者は不満を持つ。

君の意志の格率[行動方針]が、つねに同時に普遍的立法の原理として通用するように行為しなさい。

こうした方がいいのに、何故そうできなかったか。

理由はいたって簡単だ。ドイツ語の原文にkönnen(英語 can)という助詞が入っているからだ。könnenとあるからには「……ができる」と訳さなくてはいけない、というわけだろう。
 平均的な日本語のセンスを持つ訳者なら、「通用する」という日本語の語彙にはこの「可能」の意味がすでに含意されていることが直感できる。だからあえて「通用することができるように」などと、日頃自分たちが使っているはずもない日本語を使用することはけっしてない。しかも文体的にも、一つの文章にこのように「が」の重複するのは読んでいて気にかかる。

巷のヘーゲル&カント入門書より初心者にわかりやすくツボを押さえて説明してたりもするのだニャー。