ガーシュインと鬼畜性交

毎度の愚痴でなんですが、自分のつくっている音楽を誰も聴かないのは何故か、それはゴミだから。ゴミでも世間に流通しやすくつくればもう少しどうになかなるのかもしれないが、なんだかそれはツマラナイ(昨日の話にも通じるものが)。
1.質を上げればいい。
2.理論ゼロ、「いいカンジ」という基準だけで音楽をつくっていると、試行錯誤の連続、理論を把握しているともっとすぱすぱつくれるのではなかろうか、無駄を省けるのではなかろうかと始終思う。
3.理論ゼロだからゴミ扱いされるんだよなあ、理論的裏付けがあれば少しはバカにされなくなるのではなかろうかとも(まあ、そういいつつ、理論的には高度なのかもしれないが、音として白痴的な音楽もあるよにゃー)。
てな動機でこのような本を読んでみたりもするのだが、理論把握してどうにかなるならキチクさんがどうにかなってるわけで、なにしろキチクさん本人が

無教養によって大胆になることはありますよね。で、教養によって臆病になることも起こるでしょ。
(略)
ちょっとだけバークリーをかじったおかげで、リミックスとかをする時に、昔は音だけ聴いて気持ちよく繋げてたのが、「あ、ここケーデンスになってるかな」とかって言って、何ていうの、妙に「これは理論的に間違ってる」とか言い始めてしまったりとかね。そうやって勘が鈍っちやったりすることも容易に起こり得ますよね。

と受講者に釘を刺してたりするわけで、中途半端に手を出すのはよくないかも。第一、こーゆーメンドクセーことは機械やソフトでできる話じゃねえ、と思い至って放棄。
ということで、深く頷いてしまったガーシュインのエピソードを(実際にオケを鳴らし試行錯誤というとこが特に)。

憂鬱と官能を教えた学校

憂鬱と官能を教えた学校


苦悩する20代の売れっ子作曲家ガーシュイン

かれこれ700曲の歌をこれまでに書きました。もう新しいものを書けません。自分をなぞっているのです。助けてくれませんか?

行き詰りを「クラシックの」音楽理論を習うことで打開しようとする。

ガーシュインにはクラシック的な作曲のスキルがまだまだ乏しく、「ピアノ協奏曲へ調」にしても、オーケストラを私費で募集し、スコアへ書いた音を実際に鳴らして試してみるという、大変な手間をかける中で作曲されたのだった。しかしながら、かような手間をかけていてもなお、「ゴーストライターを雇ってオーケストレーションをやらせている」などと、彼が雇った演奏家からも身に覚えのない陰口を叩かれる日々が続いていた。
(略)
「もしも自分に、オーケストレイションなどの作曲に関する知識がありさえすれば……」。ガーシュイン音楽理論の中に自らをさらなる高みへと押し上げる一縷の希望を見たことは、容易に理解されよう。だがグラズノフの答えはガーシュインを徹底的に打ちのめすことになる。「管弦楽法を学びたいだって?対位法の知識のかけらすらないのに」。

こんなふうに見下す人ばかりではなく、ラヴェル

一流のガーシュインが二流のラヴェルになることはない

と言って、弟子ではなく友人として接したりしたのだが。
ポピュラーとクラシックのちがい

クラシック音楽には複数の旋律を組み合わせてフーガのような音の織物を織り上げる、対位法と呼ばれる技法が中核にあり、和声の実施においても、コード自体の横の繋がりだけではなく、コードを構成する一つ一つの音にも横の繋がりを持たせつつ展開していくことが求められる。つまりクラシックにおいては、「複数の声部がある瞬間に形成する垂直的な構造」として和声を捉える傾向があるということだ。もちろん、これにはメリットがある。一つ一つの声部の動きをも管理しつつ和声の実施ができれば、無駄な音を削ぎ落とすことに繋がり、このような音の扱いに通暁していることは、弦楽四重奏のような素材の限定された編成で作品を書く場合には大いに役立つし、見通しの良いオーケストラのスコアが書けるようになるための必須条件ともなる。
(略)
[それにはポピュラー音楽家にはあまり関係のない、18世紀的な和声を延々と学ぶ必要がある]
(略)
和声進行の中に対位法的な重層構造を盛り込むテクニックも、コードの流れの中での即興を身上として活動するポピュラー音楽家にとっては、取り立てて必要なものとはならなかった。

そんなガーシュインの光明となったのが、バークリー・メソッドの祖・ヨーゼフ・シリンガー。

和声の解説では、和声の各声部に対位法的な連続性を求めることがないよう留意されている。シリンガーが和声の講義で行っていることは、クラシック的な和声の横の結び付きを整理し、コードという塊の連なりだと捉え直すことに他ならないが、この転換のうちにこそ、後のポピュラー音楽理論の萌芽があった。

  • おまけ

ロックとカントリー

口ックンロールっていうのは、渋谷でも話しましたけど、カントリー・ミュージックを高速化したものです。リズム&ブルーズやジャイブ・ミュージックの影響ってのはもちろん巨大なんだけど、ロックンロールがメジャーのチャンネルにのることができたのは、あれ、当時のリスナーにとってはカントリー・ミュージックを高速化・大音量化したものに聞こえたんだよね。実際にカントリーのレコードをものすごい馬鹿でかい音で、速い回転でかけるとロックンロールになります。たとえばバッハをどんな大音量で高速にして聴いてもロックンロールにはならない(笑)。

ロックと黒人音楽

実際20世紀の全てのポップスにはアメリカ黒人の血が混じってるんだけどさ、初期のプレスリーからプログレデスメタルに至るまで、ロックを成立させている根本的な衝動はブラック・ミュージックとは全然違うところにあるんではないか、ということは押さえてほしいと思います。ロックっていうのはヨーロッパ人が持ってたモノの高速化とか大音量化とか、簡略化とか崎形化って傾向の方が、ブラック・ミュージックとの関係よりも強いと思う。

西欧はグルーヴ後進国

西ヨーロッパ人ってのは周期リズムのグルーヴによって踊ってトランスする、宗教的に昂揚して現実を離れるって形式をほとんど持たなかったんだよね。
(略)
グルーヴ・タイムっていうことに関しては西洋、っていうかキリスト教的文化は実は遅れてんですよね。あの、グルーヴよりもエコーの方が好きだった、って可能性はあります。アーメンって言うとメーーーンが30秒くらい引き伸ばされて、なんか天空から響いてくる声のように聞こえて昂揚するんで、で、儀式を行う教会をそういう風に作ったんだ、とか、そういうこともあったかもしれません。