文豪たちの大喧嘩・その2

前日のつづき。
面白くなさそうと思ったあなたは、明治の知的ヤング層支持を背景に「大衆にもわかるように話せよと」難解理論巨頭鴎外を撃つ樗牛が出て来る後半を読もう。

文豪たちの大喧嘩―鴎外・逍遙・樗牛

文豪たちの大喧嘩―鴎外・逍遙・樗牛

坪内逍遥小説神髄』に元ネタがあるかのように仄めかした鴎外。

[大正末、木村毅]によって、『神髄』の構想と論理が徹頭徹尾、賛嘆すべき自家製である事情が確認されるまで、明治大正期を通じての長い間、『神髄』は鴎外の色付き眼鏡を通して、どうせ種本の合成物だろうと軽視されてきた。そして折口信夫が独得の語法で、「あの隠忍に馴れた常識人が、思はぬ寂しい笑ひを浮べたであらう――この歪んだ笑顔――」(全集32巻「逍遥から見た鴎外」)と追懐した如く、生涯なにごとにも釈明を避け続けた逍遥は、不当な処遇に抗せず甘んじた。

小説神髄』の値踏みに示した鴎外の基本姿勢は、或いは意地悪でもなく詭計でもなく、案外、生地まるだしの本音だったのかも知れぬ。『神髄』にはそっくりそのままの種本があるに違いない、そう鴎外が確信していた可能性が強いのである。生涯を通じて鴎外は、「批評」の独自で内発的な「標準」など絶対に持たなかった。そもそも極東の日本国の明治の文学論に、英独仏諸国からの直伝に非ざる自前の醗酵が、有り得るなんて夢にも考えなかったであろう。

温厚な逍遥は相手の誤解を解いて対立を解消しようという態度に終始、それが劣勢を印象付ける事に。
じっくりと自説・没理想論の堅牢化につとめると、まとめに

逍遥の見るところ正味の論争点、双方対立の根源は次の如し。第一、大自然および人間界の一般を観察するのに、方便として没理想の語を用いるのは絶対に不可であるのか。第二、シェークスピアの作品を解読し評価するのに、現代人の立場と視点から臨むに当って、没理想の語を用いるのは絶対に不可であるのか。
(略)
語彙は中立的に整えてあるものの、実は出来るものなら論証してみよと、鴎外に詰め寄る語調の響きは明瞭であろう。

予定した準備作業はすべて完了、逍遥は最後に鴎外へ詰問状を突き付け、鴎外が最初から呼号し続ける「理想」の内容を、その実質を解明せよと強く迫る。烏有先生すなわちハルトマンすなわち鴎外が、シェークスピアに見出したりと宣う「理想」とは何か。それは近来欧米の錚錚たる解釈家幾十人が、見て以てシェークスピアの観念なりと把握した「理想」に結局は等しいのか。或いは画然と異なる新次元の洞察なのか。先ずは謂うところの「理想」の本躰を、審かに総論し分析せよ。次いではシェークスピアの作品の少なくとも六篇か七篇に渉って、「証を挙げ拠を示し」だその上で、我が没理想派の罪を責め立てるがよい。此処がロードスだ、さあ踊れ。逍遥は鴎外のアキレス腱を探り当て、鴎外にとって最も避けたい方角から攻め込む。

弁明する鴎外。

今や遂に鴎外は「理想」の実体を明かす。「逍遥子、若し我に理想の何物たるかを問いたらましかば」、鴎外は率直に明瞭に答える。その時「我は唯々、その第十九基督世紀の形而上論の理想なりと答へしならむ」、これが鴎外の言う「理想」の釈義のすべてである。後にも先にも説明はこれだけである。神聖なる「第十九基督世紀の形而上論の理想」、それに拝脆せずして没理想などと、口走る不逞の輩を討伐すべく、立ち上がったのが鴎外の動機なのである。
 さすがに少しは気が引けたのか、珍しく鴎外は弁明を重ねる。自分が理想を振り翳している間、逍遥は語義を訊ねなかったではないか。聞いてくれればもっと早くに、ハルトマンの無意識の哲学を読めと教えた筈だ。

これで逍遥優勢となるはずだったのだが、儀礼として、こちらにも非はあったなどと書いたものだから逍遥派からも形勢不利と思われてしまったという悲劇。

  • 鴎外35歳vs樗牛26歳

樗牛が名付けた「没想」は、嘗て坪内逍遥が唱えた「没理想」と、同じではないか、という詰問に過ぎない。そして鴎外が何故に癇癪を起したかの理由は、そもそも逍遥が自分勝手に、「没理想」という名称を「造語」したのと同じく、樗牛がその上また「没想」などと「造語」した、その「造語癖」への摘発衝動である。
 すなわち鴎外の発想は二段構えになっていた。第一には、樗牛の立言が逍遥の単なる言い替えに過ぎぬとの指摘を通じて、樗牛の分類に全く新味なしと貶価すると同時に、逍遥流没理想論が新しい衣裳で再登場せんとする、その出端を強く叩いておく措置である。第二には、樗牛が徒らな混乱を招くのみの「造語癖」を露呈しているのだと、衆目の前で厳しく指弾しておく訓戒である。帝国大学派が早稲田派の信者になったり、或いは両者が提携したりすれば一大事、故に鴎外は些々たる名称詮議にも、異常なほど神経を尖らしたのであろう。

鴎外に『しがらみ草紙』出してた頃の迫力ないよね、後継誌の『めさまし草』が創刊されるから期待してたのにショボイしと軽くいなし、現場勝負してみろよおっさんと頭ごなしに

 横文字で仕入れた抽象一般論を説教したり、邦人評論家の揚げ足とりに耽る閑があったら、印象派の実状に立ち入って具体的に、概論ではない評論の鑑賞眼を示せ。啓蒙の静止的な総論は聞き倦きた。現今の時点で物術を論じるからには、眼前の現勢に密着した観察を基礎に置き、流派思潮の動態を個別に把握し、総論ではない各論を軸としなければ説得力がないのだ。

なぜ樗牛は強気か。公称28万部を誇る総合雑誌『太陽』の主幹として、明治20年代ヤング知識層の支持があったから。アロハブロガーなのか樗牛w。

 ほんの数年前『しがらみ草紙』の時代であったら、不躾け千万なこの種の反論に、一度もさらされずに済んだのである。我が論説に接して未だよく解らぬのは、無学な貴様の方が悪いのだと、無言で睨みつける姿勢を示せば、相手側はすごすごと引き下がったものである。

 樗牛が登場する以前の論争者は、常にひたすら学識の深浅を競った。しかし樗牛は初めて意識的に、広く全国の文学的公衆に向かって、如何に平明率直に訴えかけるか、そこに狙いを定めて論を立てたのである。
(略)
 文学論争の審判者は、既に一握りの特権的な専門家ではない。平均的な読書の一般人たる資格において、権威に頼らず自分の眼でひとりひとり、論争を理解し納得せんと努める読書人が、市民社会に階層をなして成長しつつあった。彼等の意識と矜持を拠りどころに、新しい世代を代表する樗牛は、学識で武装しない素手の良識を楯にとって、形骸的な専門家意識を容赦なく撃つことが出来た。

しかも樗牛には若手赤門精鋭軍団もついている。ドイツ学会の最新情報に関しても樗牛有利。鴎外もう古いんじゃね。

樗牛は鴎外の城内へ攻め入り、世を挙げて「審美学史に精しき」と喧伝される鴎外も、「ハルトマン以外に於ける歴史的知識」となれば、実は甚だ以てお寒い限りなのだと、樗牛は余裕綽々

さらに追求はつづく。大体さあ、鴎外の信奉するハルトマンて、どうよ。
どうなる鴎外!
それは明日のお楽しみ。


うーん、三日もやるほど、面白くないような気もするが、終わらないからしょうがない。