天才と狂人のちがい

ユリイカ2007年3月号 特集=レオナルド・ダ・ヴィンチ

ユリイカ2007年3月号 特集=レオナルド・ダ・ヴィンチ

ユリイカ三月号・春日武彦の文章

 我々はダ・ヴィンチが変人であったとか奇矯な行動に明け暮れていたことを期待しない。むしろ物静かで理知的で、しかも「まっとうな」会話を交わせる人物を思い描く。ルネッサンス期のイタリアにおいて大きく逸脱することなく生活しつつも、あの丸い禿頭の内部ではモナ・リザがセルリアン・ブルーの大空を飛翔する人力飛行機の男を見上げていたり、天使たちが螺旋式のヘリコプターを玩具にしたりしていたことだろう。

狂人は安直、「らしさ」を指向

狂人と天才の決定的な差異とは、安直さの有無である。精神を病んだ人は、我慢が出来ない。性急で、地道に物事を進めることが出来ない。すぐに事態を分かりやすい形にしなければ精神が耐えられない。(略)
安直さは「らしさ」を指向する。もしも反重力装置を考案しようとするとき、病者はいかにも漫画家が描きそうな機械を予めイメージし、それに沿って発明を成し遂げようとする。たとえ反重力装置の実現に失敗しても、天才はそのプロセスの中から思いも掛けぬ現象を見つけ出したり、新奇な理論を編み出すだろう。そして結果的に、反重力装置ではないが別の革新的な何かを現出させるだろう。だが病者は、機械の開発に失敗したらとりあえず 「張りぼて」の反重力装置をこしらえ、その陳腐なしろものを秘宝館のように展示するのである。そこには、実現不可能という意味では同じであったとしてもダ・ヴィンチの発明のように世界との調和への指向がない。自己顕示欲ばかりが突出する。すなわちキッチュにほかならない。(略)
 狂気の人と天才とのあいだに通底するものがあるとすれば、それはおそらく孤独である。どちらもメーターの振り切れた存在といった点では、常人には近寄り難い。それがために世間からは孤立し、誤解され、冗談の肴とされる。孤独は人の心から現実感覚を奪い、頑なで依怙地な精神を作り上げる。永続的な孤独は、人を「人に似た何か別なもの」へと変貌させる、狂気であることも天才であることも、そこに孤独が加わることで、彼らは神話的な存在となる。

  • 精巧キティ

セイコー御曹司失脚真相記事より。元凶とされる東条英機の孫娘という占いコンサルが勝手に送りつけてくる文章

「なんで気付かぬのか! うっとうしく くたばりやがり なんで きちりとして きちりとしてやらないのか!! どうしようもないなら本気よ!」