トンズラ野郎には何の興味もないので岡田&山本以外は禿しく禿しく禿禿しく飛ばし読み。
- 作者:宮台 真司
- メディア: 単行本
モテたいっすね
[高校時代]やくざ映画とかATGとか、71年に始まった日活のロマンポルノとかを観てました。これが当時の僕の映画のフィールドだったんです。ところが大学に入った頃に急速に世の中の状況が変わりました(略)映画の文化アイテム化というかファッション化というか(略)「岩波ホール」でギリシャ映画とかを観てうんちくを垂れる奴がまわりに増えてきて、その人たちはそれを使って女をナンパするんです。僕が観てるのはやくざ映画・ピンク映画ですから、ナンパには全く適さない。それは僕にとって大きな危機の時代でした。
バカ女に洗脳される
僕も映画サークルの中で完全に異端でした。キツかったですね。しかも、僕がその頃つきあっていた女の子が、そういう方向をバカにする子だったんですよ。「おかしいんじゃないの、絶対に」って言う。「毎日が楽しくないからそういうことを言ってるんだ」みたいに言われてね。「楽しいことはいっぱいあるのに」って。言われてみればそうかもしれない。随分けんかしましたけど、そのうち洗脳されたのか納得したのか、かなり僕は変わりました。
東電OL
売春して殺された東電OLは、「あなたはすごい」というポジションが確立すればするほど、「自分はゴミ」というポジションを売春を通じて補完しようとした。僕はその気持ちはよくわかる。自分がそういうふうになったこともあるし(笑)。
梯子をはずす
そうやって相手を見る訓練というのは、1980年代前半、当時日本に入ってきたばかりの自己改造セミナーに二年間ぐらい入っていて、身につけたものなんです。自己改造セミナーのトレーナーは、コミュニケーション手段として、相手の言っていることにリテラルには対応しないで、相手のコンテクスト、声の大きさや体の姿勢などに着目するんですね。それで「梯子をはずしていく」
断念の記憶
僕自身は「サッカー、ダンス、セックス」のような方向に全体が動いていくことに、ある時期非常に適応不全を感じて、つらいと思ったわけですよ。取材をしていても、とても違和感を感じた。でも他方ではとてもうらやましいとも感じて、あとからついていこうと思って、ある程度、真似ごとのようなことはできるようになった。簡単に言えば、忸怩たる気持なく断念することに成功したわけです。ただ断念の記憶はありますし、その意味で言うと、はっきり申し上げて、完全に違和感なく溶けこめるという状態ではありません。これしかないんだろうなあと思いながら「でもなかなか楽しいよね」というような感じでしょうか(笑)。
SLからSMへ。
投稿写真誌を見て「こんな世界が日本にあるのか」と衝撃を受けたという山本直樹に
実際、あの世界を支えていたのは、まさに僕とか山本さんの世代なんですよ。(略)
ちょっと壊れたような女が、とんでもない格好で写真を撮られている。で、またその撮っている、僕と同世代の写真家の方たちも、少なくとも出発点では妄想的ロマンチストなんだけど、だからこそいろいろ不全感を抱え持っている。(略)
[人間の生きる指針までグチャグチャになってるのがスゴイという山本に]
ナンパカメラマンにとっては、それこそが自己治癒的に作用するんです。「世界はどうせこんなんだぜ」っていうことを、あえてあからさまに反復して、夢をひきずってる自分自身に思い知らせてやろう、という具合にね。(略)実際に話してみると、想像していたのとはかなり違う人たちなんです。やってることは、一見無規範に見えるんだけれど、内面的にはかなり僕らと近い。実はナンパカメラマンの方々は、昔はSL写真とか、鉄道写真を撮ってた人が多いんですよ。(略)
それがその後、スーパーカーブームを経て、最終的には女に行き着いたわけです。だから、彼らの家に行くと、自分の撮った写真のアルバムがあるんですけど、ある時期までは「あさかぜ」や「カウンタック」だったのが、途中からいきなり女になってるんですね(笑い)
うーん、タイトルは、明日考えよう。
[関連記事]
kingfish.hatenablog.com