健康の社会史

オシム・インタビューだけではなんなので、基本的にスルー本*1から一箇所。

健康の社会史―養生、衛生から健康増進へ

健康の社会史―養生、衛生から健康増進へ

16歳の少年であった田山花袋の脳裏に焼き付けられたコレラの恐怖は、「黄い紙」「立番の巡査」「避病院に送られる吊台」といった図像とともに記憶のなかから蘇っている

患者が発生した家の門戸に貼付を義務づけた「コレラ病あり」の病名票のほうは、印しづけられることによって受ける冷ややかな近隣の人たちの視線や巡査による生活内部への監視を嫌って、患者の隠蔽に走る者が出たため、(略)[実施を見合わせ]
代わりに頻用されることになった交通遮断法は人びとの日常生活に大きな支障をもたらすことになった。
なぜなら、交通遮断ともなれば10日から一か月ほど、地域は閉鎖されることになる。(略)遮断区域の門口には詰め所が設けられ、昼夜交替で巡査が立番をし、日常品の受け渡しや面会人の監視がなされる。

上記本収録図。
農村保護ポスター
(『赤十字博物館報』日本民族優生号
昭和15年4月)

青春の危機
都会
あこがれの夢
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青年を蝕む都会生活
農村を毒する
帰郷青年男女

*1:うーん、失礼な表現だ