〈悪口〉という文化

〈悪口〉という文化

〈悪口〉という文化

悪口祭におけるルール
①禁句例
泥棒・姦夫・癩病
泥棒・貧乏など「〜ぼう」のつく言葉。
②匿名性の保障
夜間に行われたから自然と匿名性は保たれたが

さらに一般的な悪口祭ではなく、不行跡を知られた特定の個人を攻撃する千葉笑いなどの事例では、確執を後日に持ち込ませないために、発言者を特定させない工夫は、より深刻な意味を持っていた。たとえば千葉笑いでは、顔を隠し、頭を包み、風体も変えて集まるといわれているのは、そうした努力を示すものにほかならない

③集団による発言

発言者自体がザットナでは子どもたち、だんぎでは回国の雲水となっており、いわば発言者を直接の怨恨の対象にはしにくい。また佐喜浜八幡では多くの人間が関係する村芝居の場が、不行跡の公開の場となっているので、これも特定個人を恨むわけにもいかない。そういう意味では、これらの行事ではいずれも何らかの形で、発言者を保護し、あるいは発言者と対象者との確執を避ける仕組みができているといえる。

④実力行使の禁止
何を言われても怒らない・手出し厳禁

悪口祭の悪口はあくまでも祭という非日常的な場における発言であって、それは日常の場に持ち越されることなく解消されなければならない性質のものだからである。

  • 事実なら「悪口」ではない

いかに一般的には侮蔑的な発言であっても、それが事実ならば、悪口とは認め難くなる

善願が相手の浄日の祖母本阿のことを、「口舌に任せて」古白拍子であると訴状に記したのは罪科に当たると浄日側が訴えたが、善願は本阿はもともと白拍子であったので、そう記したまでで、むしろ「口舌」の言葉こそ悪口であると反論した。この事例では、双方とも却下されており、その裁決が、どの程度この点についての事実認定と関わっているかはわからないが、事実であるか否かが悪口罪における一つの論点となっていた証左とはなろう。
(略)
冒頭に挙げた波多野忠綱の場合も、「盲目」という全く事実と反する感情的な暴言でなく、三浦義村の主張が虚偽だと言うに止めておけば、仮にその発言を三浦側が悪口だと申し立てても、事実に照らして少なくとも悪口罪にはならなかったのではなかろうか。

サリカ法でも

式目と対照して興味深いのは、次章で紹介するゲルマンのサリカ法の規定である。サリカ法にあっても、男色家・糞まみれ・狐・兎といったいわゆる一般的な悪罵とは異なって、「売春婦」と呼んだ場合や「楯を投げ捨てた」という汚名を着せた場合、あるいは「密告者」「嘘つき」と罵った場合など、背後に何かある具体的な事実の存在を予想させるような発言をした場合には、それが事実であることを証明しなければならず、証明できなかった時にのみ罰金が科されている。逆に言えば、それが事実なら罪にはならないという点で、幕府法と同様なのである。

rough music(英国)
「共同体規範に違反した者に対し儀式化した形態で行われる敵対的行為」
音の出るものなら何でも総動員で、芝居仕立てでどんちゃん騒ぎする。
ウギャーな部分を斜体にしてみた。

行列やら似姿の引き回しやら、いろいろの形態で行われる敵意の表現は、恥辱を完全に公開してしまうということを意味している。たとえ演者が仮面をつけたり変装したり、あるいは夜の間にやってきたりという形で、見かけ上は匿名性と非人格性を持つように儀式化されていたとしても、それは、何ら告発を弱めるものではない。このような形態で表現されることによって、告発は、隣人同士の偶然的喧嘩ではなく、共同体の裁きであるという、はっきりした姿を取るのである。以前は敵意のこもった噂やまなざしでしかなかったものが、明白に共同のものとなる。以前には私的にしか語られなかったことが、公に明らかにされ、攻撃対象となった者は、すべての隣人や子どもたちの目に自分は軽蔑さるべき者と映っていることを知りながら、翌日の朝、共同体のなかに再び姿を見せねばならない。
(略)
ことにそれが毎晩繰り返される場合には、まさに「太鼓やトランペットの鳴りもの入りで」犠牲者を近所から追い払う、ということにあった。ある目撃者は「一般に、罪あるとされた者たちは、かれらにこのように向けられた憎悪を、それ以後耐えることはできなかった。そしてひそかに、その土地を離れたものであった」と伝えている。あるいは「有罪の者に対して正規の仕事が拒否され、そして、商人や何かは、彼らの商売を放棄することが普通であった」ともいわれている。

「村の裁判所」

ラフ・ミュージックのなかには、実施される前に地域共同体の中で実質的な討論が行われ、すでに判決が下されていたことを推測させるものがある。たとえばウォウキングという土地では、「村の裁判所」のあることが、知られていた。それは、「居酒屋で開かれ(中略)しかし、いつ、だれによって、そしてどのようにということは、もっとも深い秘密のなかに保たれていた」。

イヌイットの歌決闘

イヌイット社会において、このように歌決闘が紛争解決の有効な手段となっている背景を考えると、いくつかの要素が挙げられるが、まず最初の前提として、イヌイット社会には、恥辱を極度に忌避する社会観念が支配的だという点が重要である。すなわち歌決闘で自分の不品行や失敗を公にされることに対する恐れの念が、そうした行為を抑制させるとともに、もしそうした行為を犯した揚合には、歌決闘というはなはだ不面目な形で制裁を受けるということになる。(略)
その点で指摘しておかなければならないのは、われわれの考える意味での司法警察機構をほとんど完全に欠いているというイヌイット社会の特質である。つまり彼らはそうした機構を欠いているがゆえに、それにかわる自律的な紛争解決手段としての歌決闘に頼らざるを得ず、そのためにこれによる解決が最終的な解決なのだという社会的な合意が保持されてきたのである。

アラブ社会の嘲笑詩「ヒジャ」

イスラムに先立つアラブ社会において、詩人の重要な機能は、部族の敵に対してヒジャ(嘲笑詩)を作ることであった。ヒジャの韻文は、神によって霊感を与えられた預言者や司祭の発する、荘重な呪詛の文言と全く同じような効果を持つものとされ、しばしば矢にも比べられるように、現実に人を殺す力を持っていると受け取られていた。したがってヒジャは戦争において、実際の戦闘で使われる武器と同じくらい重要な要素で、戦争の帰趨はヒジャの有効性次第とまで考えられていたのである。(略)
対峙する部族の詩人同士が、まるで槍を投げるようにヒジャを投げ合うと、それを投げられた者は、これまたちょうど槍から身をかわすかのように、体をかがめたりよじったりしてかわしたものだとされている。

敵のテンションを下げろ

「籠城ご苦労様です。どうやっても、なかなか持ちこたえることはできないでしょうから、ご降参なさい。そうでなければどこからでも突き破ってお出で下さい。お首を早く頂戴したいものです。とにかくお首を頂戴しなくてはどうしようもありません」
などと敵の気にしていることを申し掛けるという戦術が記されている。しかもその際、敵を無用に挑発して反発させるような言葉は避け、敵の心を暗くするようなことばかりを選んで言い掛けるという、人間心理の綾を読み取ったような戦術である。

中田薫「栄誉の質入」(『法制史論集』)
名誉の喪失が社会的な死を意味する社会では、借金の担保として自己の名誉を賭けるという慣行が成立した。

中田の視野は日本以外の事例にも及んだ。それはヨーロッパ諸国の中世に行われた、債務不履行者に対する凌辱法である。(略)
13世紀以降のイタリア諸都市で、債務者か公衆の集合する場所に置かれている特別の岩石または石柱の上に、無帽・裸体か下着だけの姿で立ち、尻で三度その石を強く打って、自分は財産を引き渡すと言わなければならなかったという話が紹介されている。
中田によれば、イタリアの方式はフランス・ドイツなどの大陸諸国に輸入されて変形され、アヴィニヨンでは債務者にみすぼらしい衣服を着せて市中を引き回し、先導者が「今後この人間に金を貨すな」と叫ぶという方式が、あるいはザクセンやハンザ諸都市では晒し柱にさらしたり、恥辱の鐘を鳴らすなどという方式が行われた。(略)
イタリアの諸都市では緑色の緑なし帽や狐の徽章のついた白の緑なし帽を被らせたし、バンベルクでは、右の脛と足とをむき出しにして町を歩かせ、膝より長い衣服を着けることを禁じ、バイエルンでは債務完済まで頸に財布を懸けさせた。