町田康は呉智英を読むか

花火はあんな平和で美しいのにおそろしい狂人だ。テリブルテリブル。

真実真正日記」と名乗るデタラメな日記でオチは例?のパターン。

真実真正日記

真実真正日記

さて呉智英は美人税を提唱していたが、町田康はそれを読んでいるのだろうかという話。

  • 淑女と下女のランチ

さして美人でもないのに女王様気取りの編集者と主人公作家が食事に行くと

女性専用のメニューとして、「淑女のランチ」というのと、「下女のランチ」というのが用意されていたのだ。(略)
どう見ても、「淑女のランチ」より、「下女のランチ」の方がその内容がよいのだ。(略)そしてさらにおもしろいのは、内容において見劣りのする「淑女のランチ」が二千五百円なのに比して、「下女のランチ」は千八百円なのである。
だったら誰だって、「下女のランチ」を頼むだろうと思うが、そう一筋縄にはいかぬというのは、「下女のランチ」というその名前で、「下女のランチ」はその名の通り、下女が食べるもの、と理解すれば、「下女のランチ」を注文するのに、若干の心理的抵抗を感じるのは無理からぬところだ。そこで、さあ、自分はきわめて優秀な絶世の美女で、もちろん淑女、と思いこんでいる殿上杜氏子はいったいどちらを注文するのだろうかと思って見ていると、メニューを見ていた杜氏子は、眉を、びくっびくっ、と動かし、それから上目遣いで僕の顔を見て、それからまたメニューに目を落とし、ボーイに妙に上品ぶった声で、「淑女のランチ」と言ったのだった。

榎本半麺という人物が月刊誌で奴隷制復活をぶちあげて議論になっている。税金を免除されたい人は自ら申告して奴隷になり、そのかわりすべての公民権を返上するという制度を作れといっているのだ。(略)
いいといっている人には二通りあって、ひとつは税金を払わなくてよいのであれば別段奴隷になってもよいという人で、なにもいままでと急に生活が変わるわけでもない。会社での地位もそのままだし、急に給料が下がるわけでもない。運転免許証を取りあげられるということもなければ海外渡航が禁止されるわけでもない。ただ、選挙権や被選挙権を失う程度のことであって、選挙はいつも棄権しているし、自分が立候補することはまずなく、そんなことで税金を払わなくてもよいのであれば喜んで奴隷になるという人である。

金に困り、ロック演奏と討論が交互に行われる奇妙な公開討論会に参加。主宰者は「年経りたオタク族といった体型の中年」で女性控え室を本部にしてるので女性が着替えできない。

おかしげなこともあるものだが、そのような立場にあるものは少女らを商品としてみているからそんなことは当たり前なのか。或いは、人事権、予算執行権を握るものとしての役得なのか。
だとすれば卑劣な話だが、そういえば、本来主催者がすべき出演者への挨拶や事務連絡はすべてアイドルグループの女の子が行い、主催者は一度も我々の前に正式にはあらわれなかった。
戦後六十年、日本の男は、「女の子」が身辺にかしずくのを当然のことと認識し、その制度を補完するものとしてアイドルなるものを拵え、さらに非現実的なアニメやコミックを生み出した。そして彼女らができないこと、すなわち、実際的な身辺のことは母親が行い、だから彼らは現実と接触しないで生きていられるし、現実との接触を忌避するのであり、つまり、ひきこもりやニートの問題はフェミニズムの問題なんですよ。
と発言したら会場内に気まずい空気が漂い、沈黙の後、司会進行役のアイドルの女の子の、「さっ。それではいよいよお待ちかねの、『シャークス』の登場です」という、それが棒読みであると誰にでも知れつつ、しかし随分ともの慣れた調子の明るい声が会場に響いた。

なんか最後の場面、若大将シリーズのチープな場面みたい。

  • さて肝心の内容

主人公のバンド名が「犬とチャーハンのすきま」(当然、ジンセーの「冷麺と情熱のあいだ」をおちょくっている)。
タイガースの「ス」を抜いただけで文章がギャグになるって凄いなあ。

新聞に阪神タイガーという職業野球の調子がよいと書いてある。
新聞だけではない。このところ週刊誌も月刊誌もテレビもラジオも阪神タイガーの話題で持ちきりだ。
そもそも阪神タイガーはぜんぜんだめな野球だった。負けてばかりだった。そのことを、またも負けたか八連隊、という文言と関連づける人はいなかったけれど。(略)
「おまえら」という月刊誌に評論家の人が、阪神は汎神に通ず。天下万民はすべからくこれを拝むべし、という珍論を書いていた。
昨日(六月十九日)も向かいの恵毛村さんと道であったら、「すっごいねえ、阪神タイガー」といって話をやめない。ただでさえ時間がないのに迷惑なことだ。

「おまえら」はコミック「YOU」じゃなく「諸君」ですからあ。

通りすがりの酔漢に、「おまえらポエジーもいい加減にしろ」と怒鴫らせて詩の朗読大会だけはなんとか終わらせた。あのままだといつまで続いていたか分からないのでその点だけは慌ただしい精神状態が逆に功を奏した。
今日の夕、阿呆田首夫の「百年間、牛の美しい五月」というくだらない小説を読んでいたら、どかんどかん、という爆撃音がするので慌てて表に飛びだしたら海の方に花火が上がっていた。
近所の人がみな涼みがてら往来に出て花火を見ていた。

ここから偶然知り合った人の家で酒を飲んで午前一時と話は流れ。

近所の人と一緒に飲むというのも面白いものだ。
奈奈元さんの家のラジオから流れてきたニュースによると、今日の午後五時頃、爆撃狂の人が自作の爆弾を自家用セスナから呆難町に投下、多数の被害を与えた揚げ句、自ら駅舎に体当たり爆撃して死んだらしい。
花火はあんな平和で美しいのにおそろしい狂人だ。テリブルテリブル。