シェイクスピアの驚異の成功物語・その2

前回のつづき。
息子の死、迫る父の死、プロテスタント公式見解において死者とつながることはできない、生者は死者を救えない、と言われてもそれでは気がすまぬと『ハムレット』を執筆。

ロンドンは、絶え間の無い懲罰の劇場だった。

犯罪者と見なされた人々に国家が烙印を押し、刃物で傷つけ、殺害するのを見ようと思えば、毎日でも見られた。(略)ある殺人事件では、犯人は、まず手を現場近くで斬り落とされ、血を流しながら通りを引きまわされたあげく、処刑場に連行された。この大都市に住んでいれば、そんな見世物をどうしたって目にすることになるのだ。(略)
見世物は、生活の一部として受け容れられていた。いつそれに目を向け、いつ目をそらすか、いつ罰し、いつ踊るかということを心得るのが、生きるコツなのだ。苦痛と死に近接して喜びがある---バンクサイドの処刑台の近くに売春宿があった---ということも、シェイクスピアの想像力を捉えたのである。

処刑台でユダヤ人の真実の告白に笑いが起こったわけ。

「私はイエスを愛したように女王を愛した」

[毒殺を謀った疑いで死刑になった女王専属医師ロペスはプロテスタントに改宗したユダヤ人]
ロペスが本当に大逆罪を犯したと言えるのか、難しいところだ。(略)ロペスはまちがいなく、エリザベスが巧みに操作してきた激しい派閥争いの捨て駒となっていた。ロペスを支持してエセックス伯を当惑させようとセシル家が考えている限りは、ロペスは安全だった。その支持が消えてしまえば(略)ロペスは死んだも同然だった。(略)
[処刑台での笑いは]
女王の忠実なる臣下として、そしてキリスト教徒としての信仰を再度主張して死のうとしたロペスに、思いどおりの死に方をさせなかったということになる。人が最期に発した言葉は、たいてい本当に心の底から出たものと見なされるものだ。(略)それは、まさに文字どおり、真実の瞬間だった。(略)[だが]笑いはロペスの最期の言葉を、信仰告白から、念入りに仕組まれた二重の意味を持つ悪賢いジョークに変えてしまった。「私はイエス・キリストを愛したように、女王を愛した」。確かにそのとおりだ。なにしろ、群衆の目からすれば、ロペスはユダヤ人であり、ユダヤ人は、本当はイエス・キリストを愛さないのだから。呪われたユダヤ民族がイエスに対して行なったことをロペスは女王に対して行なおうとした---それが、ロペスの真意だということになる。ロペスの言葉は、無実を訴えるはずのものだったが、群衆の反応はそれを曖昧に罪を認めるものに変えてしまった。群衆のなかには、うっかり罪を認めたのだと考える者もいただろう。偽善の度を越して、思わず告白してしまったのだ、と。さらにおもしろく考える者は、わざと曖昧にしたのだと結諭づけただろう。

息子の死。「儀式はこれだけか」。

死者のために祈ることは違法とされた。

[息子ハムネットが1596年に死亡。埋葬は当然プロテスタン式]
シェイクスピアはこの簡潔で雄弁な儀式の言葉を適切だと思っただろうか? それとも、何かが欠けているという思いに責め苛まれただろうか?「儀式はこれだけか」と、妹オフィーリアの墓場でレアーティーズは叫ぶ。「儀式はこれだけか」。オフィーリアの葬儀が短縮されたのは、自殺の罪を犯したと疑われたからであって、怒り狂うレアーティーズは浅薄で性急だ。だが、レアーティーズが繰り返す問いは『ハムレット』のなかにこだまし、劇の枠組みを超えたところにある一つの気がかりを表明している。
生きている者と死んだ者との関係そのものが変わってしまったのは、そんなに昔のことではない。ストラットフォードでと言わないまでも、ランカシャーで、シェイクスピアは古いカトリックの葬儀の様子を見たことがあっただろう。日夜蝋燭が灯され、至るところに十字架が並べられ、しょっちゅう鐘が鳴り、近親者が嘆きながら十字を切り、隣人たちが遺体にかがみ込んで主の祈りを口にしたり、詩篇どん底から」を引用して回向をたむけたりし、追善の施しや食べ物が振る舞われ、死者の魂が煉獄を無事に通れますようにと司祭に謝礼を出してミサを執り行なってもらう---こうしたことすべてが批判され、なにもかも削減するか、すっかりやめなければならなくなったのだ。とりわけ今や、死者のために祈ることは違法とされたのである。

搾取システムでもいい、煉獄を信じることで、死後の恐怖が和らぎ、死者とつながったままでいたいという切望が慰められるなら。

生者は死者を救えるのか。

幸いなことに、カトリック教会は、愛する者や自分を教う方法があると教えてくれた。ある種の善行---祈り、布施、とりわけ特別なミサ---によって、苦しんでいる魂を大いに慰め、煉獄の刑期を縮め、早く魂が天国へ行けるようにしてやることができるとされた。(略)
煉獄から地上に戻ってきて必死に助けを求める亡霊についての多くの話が語られた。助けてやると、その亡霊はしばしば戻ってきて助けてくれた人に感謝し、慈善の寄付によって大いなる慰めが与えられたと証言したという。(略)
熱烈なプロテスタントは、こうした信仰とそれに伴う制度的な慣習はすべて壮大なる詐欺であり、お人よしから金を搾り取るいかがわしい商売だと決めつけた。煉獄など「詩人の寓話だ」と言うのである。国王からも魚売り女からも、だれかれかまわずとことん搾取して、上から下まで社会全体をだまそうというよくできた幻想だ、と。(略)
改革者たちは、煉獄の魂に祈りを捧げるべく施設を建てるという制度を全面的に廃止した。当局側は、多くの病院、貧民救済院、学校をもちろん保持したが、そこから儀礼的な機能を剥奪した。(略)
それは容易な仕事ではなかった。煉獄を信じるのは馬鹿げていたかもしれない---敬虔なカトリック信者でもそう思っていた人は多い---が、煉獄を信じることで、死後の恐怖が和らぎ、死者とつながったままでいたいという切望が慰められていたのだ。死者とは絶対つながることができないと教会や政府から言われたところで、そうした恐怖や切望は、すんなり消え去るものではなかった。儀式が唯一の、あるいは主たる問題だったのではない。問題だったのは、死者が生者に少なくともわずかなあいだでも話しかけることができるのか、生者は死者を救えるのか、互いの結びつきは消えないのかということだ。シェイクスピアは、教会墓地に立って息子の遺体に土がかかるのを見ていたとき、ハムネットとの関係はあとかたもなく消え去ったと思ったのだろうか?

「信仰遺言書」に署名していた父・ジョン

「信仰遺言書」(精神的遺書)とは、カトリック教徒の魂を救う一種の保険であり、信仰を表沙汰にできない人や、プロテスタントと協調しなければならない人たちにとっては、とりわけ重要だった。署名した人たちは、自分はカトリックであるが、もし「悪魔の囁きを聞いて」信仰に反することを「したり、言ったり、考えたりする」ことがあれば、いついかなるときも正式にその罪を取り消し、「それは私の言動ではないと見なされたい」と宣言した。(略)
そうした文書に署名した者(略)は、自分のことだけを考えていたのではない。何か決定的に重要なこと、国家が違法と定めたことを自分のためにしてくれるようにと、自分を愛してくれる人たちに求めていたのだ。

息子のミサ問題、迫る父の死、その中で書かれた『ハムレット

1596年、ハムネットの葬儀において、この問題は必ずや浮上していたであろう。少年の魂は、少年を愛し、慈しんだ人たちの助けを求めていたのだ。実質的に孫の育ての親であるジョン・シェイクスピアは、功成り名を遂げた息子ウィリアムに、死んだ子供のためのミサの費用を払ってくれ、そしていずれは自分にもミサをあげてくれと頼んだかもしれない。なにしろ、自分は老いてきており、死後の呵責を短くする「充分な賄いの儀式」が近々必要になるのだから。
この微妙な問題が切り出されたとしたら、ウィリアムは怒って頭を振っただろうか、それともハムネットの魂のために秘密のミサの費用を黙って出しただろうか? そんなことは息子には---将来的には、父親にも---できないと告げたのだろうか? 天国と地獄の狭間にあって、生前の罪が燃やされ清められる恐ろしい煉獄の話など、もはや信じていないと告げたのだろうか?
そのときシェイクスピアが何を決意したにせよ、死んだ息子の名前と同じ不運な主人公の悲劇を1600年末から1601年初頭にかけて書いていたとき、依然としてそのことは脳裡から消え去らなかっただろう。そして、年老いた父親がストラットフォードで危篤だという報を受けて、その思いは強められたのではないか? なにしろ、父親の死という概念は、この劇に深く織り込まれているのだから。息子の死、そして迫りくる父親の死---追悼することも記憶することもままならぬ恐怖---がシェイクスピアの心をかき乱したのだとすれば、『ハムレット』の爆発的な力と内向性が理解できる。

公式には存在しないはずの亡霊が求めるものは何か。

損なわれた儀礼構造が劇に混迷をもたらす。

シェイクスピアは用心しなければならなかった。劇は検閲されるのであるから、実在の場所として煉獄に言及することは許されなかったはずだ。そこで、「わが牢獄の秘密を語ることは禁じられておる」という亡霊の言葉に、抜け目なく文字どおりの意味をこめたのだ。だが、シェイクスピアの観客は事実上だれもが、この「牢獄」が何であるか理解しただろう。(略)
この亡霊は、敬虔なカトリック教徒が深く恐れていた運命に遭って苦しんでいる。最期の儀式によって死出の旅路の準備をする暇もなく、突然この世から召されてしまったのだ。(略)
この亡霊は、ミサや布施を求めているのではない。自分を殺し、自分の王冠を奪い、自分の寡婦と結婚した男を息子に殺してくれと求めることで、神だけに許された復讐をしようというのだ。(略)
シェイクスピアの時代、公式なプロテスタントの見解では、亡霊など存在しなかった。ときどき人々が出会った幽霊(略)は、単なる幻覚か、ひどい場合は、姿を変えた悪魔が人を罪に誘おうとしているのである。(略)
そうした思いゆえに、ハムレットは遅延し、自己批判し、依然として行動に踏み切れず、再び自己批判を繰り返すという堂々巡りに入っていく。だからこそ、劇中劇---亡霊の主張を別の手段で確認しようというハムレットの仕掛け---が仕掛けられるのであり、主人公の暗中模索の煩悶がある。そしてそれは、喪失に対処する際に心の助けとなるはずの儀礼構造そのものが致命的に損なわれているこの劇において、より大きな疑念や混迷へと結びついていく。
損なわれた儀礼のせいでどんなつらい思いをするのか、息子の墓のそばに立ち尽くしていたシェイクスピアにはわかっただろう。