常識的文学論

前日の流れというわけでもないが、小谷野敦ブログで話に出た『常識的文学論』収録の大岡昇平全集15巻を借りてみた。

大岡昇平全集〈15〉評論〈2〉

大岡昇平全集〈15〉評論〈2〉

大岡昇平佐藤春夫を罵倒しているのですが、なんというか佐藤春夫の振る舞いがとっても猫猫先生w。笑えるところを太字にしてみた。

私はこの機会に改造社版『佐藤春夫全集』や『退屈読本』をのぞき見したが(始めてではない。私は佐藤のファンであったから、すでに三読四読している)声名大いに揚っていた頃から、自作に加えられた評言に異常に敏感であり、必ずと言ってもいいくらい、反駁乃至いや味を言い返しているのを発見した。これはファンであった当時はさり気なく読過し、むしろ節を曲げず論判するところに、「批評精神」を感じ、喝采を送ったりしたものであったが、排他的自己保存欲のかたまりの如き、今日此頃の佐藤を見ては、そうは思われなくなった。これは昔から自信のなかった彼の日本的心情の発露であり、筆を取って風流を吹聴する時以外は、単なる文壇ゴロにすぎなかった佐藤の、正常の反応であったと思い当った次第である。

読んでいないのに、なぜ余を批判するか、とここで、いきり立つ老人の風貌が、眼に浮ぶから、あわてて一言するが、作家の断簡零墨に到るまで、読まないでは批評が許されないのでは、批評家商売は成立たない。私は別に批評家をもって業としてはいないから、尚更およその見当で、判断する自由があると思っている。佐藤は中村[光夫]の批判にケチをつけて、中村が彼のどれそれの作品を読んだか読まないか、三面記事的推測を行っているが、それらが重要性なきものであることを、ついでに指摘しておく。おれの全著作を読まなくては、おれは理解出来ないとは、当人がそう思い込んでいるだけである

昇平の掟破り、友人福田恆存私生活暴露。

半年ばかり前のことである。所用があって、福田の家へ電話すると、女中さんが出て来た。「お風呂でございます」と言う。用件は奥さんに伝言してもいい程度のことだったので、「では奥さんを願います」と言うと、女中さんの言うに、
「奥さんもお風呂でございます」
「えっ、いっしょに入ってるのかい」
と僕が大きな声を出したら、女中さんが「うん」と詰ってしまった---とこれが事実である。
無論、福田はまもなく電話口に出て来て、すれ違いだったとかなんとか弁解したので、僕は無論その通りにちがいないと信じているわけである。

彼がゴルフをやらないのは、別に深い仔細があるわけではなく、球が飛ばないからである。彼は丈は五尺四寸あるが、体重は十一貫だから、吹けば飛ぶような体つきをしているのである。その痩せた体を私に見られると、なにを言われるかわからぬという恐怖から、七年大磯に住んでいても、一度もいっしょに海に入ったことがない。
クロールのうまい奥さんに、クロールを使うことを禁じ、自分と同じノシで泳ぐことを命じて、照ヶ崎の突堤から二百米ばかり沖の岩まで競泳したが、途中で沈んでしまったというのも、僕がこれまで我慢して書かなかったアネクドートの一つである。

福田にも会に出ることを誘ってみたが、
「だって、女がいるんだろう」
という返事だった。
ゴルフ場で女より飛ばないところを、人に見られたくないのである。(略)
要するに彼は負けず嫌いなのだ。古い家父長的偏見に囚われていて、女に負けるのがいやなのである。恋愛や結婚の幸福についてもどうせ彼は方々へ書き散らかしているにちがいないが、若い女性に参考になることは少いだろうと思う。

そうかあ、石原慎太郎ミッキー・スピレインだったのか

シャロック・ホームズの流行は、ヴィクトリヤ朝末期のロンドン生活の退屈から生じ、侠盗リュパンの人気は第三共和制フランスの上流社会の腐敗に対する小市民的憤慨を背景にしている。これらは松本清張の流行が岸内閣時代の汚職と政界財界の腐敗に対する民主的忿懣を動力としていることと、マッチしている。
ハメットのハードボイルドは禁酒法時代のアメリカのギャングスターと地方ボスの発生の時代には十分リアリスチックだったわけである。しかし大藪春彦のエロと殺し屋のハードボイルドが、どこまで東京租界の実態を反映しているかという点になると、大変うたがわしくなる。むしろ週刊誌のサド・エロ化という現象から要求されていたことは、盗作問題が彼に対するマスコミの注文に影響しなかったことで知られる。

戦後のハメットの輸入が、なんらの影響を生んでいないのは、わが国のリアリズムが永遠に鳥瞰的社会像を結ばないことと縁がありそうである。煽情的なスピレーンは石原慎太郎大藪春彦を生んだだけだから、ハードボイルドは、ほんとうは日本人の肌に合わないのかも知れない。ウールリッチのリリシズムの方が、樹下太郎結城昌治の小品に日本的結晶を見出した。

大江批評の中で大江が引用していた葛西善蔵の文章。

「僕はあの時分から駄目だつたんだ。あの時分から僕の病気はだんだんひどくなりかけてゐたのだ。僕は教室の後の隅つこに小さくなつてごちやごちやと並んだみんなの頭ばかり見てゐたのだ。そしていろいろな円い、角い、尖んがつた、圧しへされた、旋毛のグイと後に喰附いたそんなやうないろんな頭を見てゐると、俺は訳もなくつくづくと憂鬱になつて来て、この世の中が果敢なまれて来て苦しくて堪らなかつたのだ。けれどもその時分はまだまだ詩人だつた」