徳富蘇峰終戦後日記

かなり笑える。蘇峰が生きてたらカリスマブロガーDEATHね。

徳富蘇峰 終戦後日記ーー『頑蘇夢物語』

徳富蘇峰 終戦後日記ーー『頑蘇夢物語』

毛唐管理下の国体なんて国体じゃなぁぁぁい

皇室が日本国家と日本国民とを離れて、皇室のみとして、御存在のあるべき筈はない。いわば国も民も、皇室を頭首と戴くものであって、皇室に対する臣民としては、これを国民といい、皇室の統治せらるる地域としては、これを国家というに外ならない。首を戴くは体でなくてはならぬ。体を切離して、首のみが存在する筈はない。しかるにこの国家と、この人民を別にして、皇室を考えるという事は、全く頭首を帽子同様に考えている英米思想の残滓に過ぎない。
従て皇室さえ御存在あれば、日本は如何ようになっても、差支ないなぞという議論は、日本国民として、苟*1くも我が国体の真相を知る者は、断じて口にすべきものではない。(略)
陛下の御主権を、敵国人が容認したから、それで差支なしなどという事は、何たる譫言であるか。首を支うるには飽く迄体がなからねばならぬ。体を切離して、首さえあれば差支なしなどという考えは、有り得る筈はない。日本国民の擁護を離れて、他の力によって皇室を擁護するなどという事は、実に皇室の尊厳を冒瀆し奉るの極度である。日本国を辱かしむるという事は、皇室を辱かしむる事であり、忠良なる皇室の臣民たる日本国民を辱かしむるの所以である。日本皇民は誰れの皇民でもない。天皇の皇民である。苟くも尊皇の大義に明かなる者は、この国家とこの国民とを、珍重護持せねばならぬ。しかるに国家や国民は如何ようにもあれ、皇室の主権だけを、外人が容認したから、それで我等は満足であるというような事は、実に皇国と皇民とを侮辱するばかりでなく、恐れながら皇室を侮辱し奉るものといわねばならぬ。

天皇の戦争なんだから降伏なんか論外。

一家が没落する時には、家長も当然没落せねばならぬ。

[兵力はまだ残っている]是等の物を擁しつつ、負けるから軍*2さはせぬという見込みは、余りにも臆病神に取り憑かれているではないか。万一戦争をして、負けた時には、それは時の運である。その時には、累を皇室に及ぼすというが、日本国土と日本臣民とを離れて、皇室のみを考えることは出来ぬという前提から見れば、この戦争は皇室御自身の戦争であり、天皇御自身の戦争である。累を及ぼすとか、及ぼさぬとかいう事は、皇室を日本国家と別物としての考えであって、切離すことの出来ぬものに、累を及ぽすとか、及ぼさぬとかいう文句の付くべき筈はない。一家が没落する時には、家長も当然没落せねばならぬ。国民と憂苦艱難を共にし給うところに、初めてここに皇室の有難味がある。国民の利害休戚は、一切度外視して、皇室さえ安泰であれば、それで宜しいという事は、日本の国体には有り得べき事ではない。
(略)
仮りに戦争に負けたとしても、また敵が原子爆弾を濫用したとしても、その為めに我が大和民族が一人も残らず滅亡する心配はない。純粋なる大和民族と称すべきものは、現在八千万内外であろう。その八千万内外の者を、一人も残らず殺し尽すという事は、到底出来得べき事ではない。(略)
苟くも日本国民が仮りにその半数である四千万となっても、皇室は厳として日本国民の上に、君臨し給う事は確実である。

天皇

今上天皇は聖人といえる人柄だが明治天皇のようなカリスマ性がないので軍が暴走した、それは天皇学を教えこまなかった周囲が悪い

恐れながら只だ一個の善良なる紳士的の教養のみを以て、足れりとしたことは、当初の御輔導係は勿論、輔弼の臣僚大官の罪は、万死に当るといっても、決して過当ではあるまいと思う。
主上の御教養の結果は、日本的ではなく、むしろ外国的であり、恐らくは最も英国的であり、殊に英国政体上の智識を、皮相的に注入申上げ、立憲君主とは、全く実際の政治には頓着なく、高処の見物をし、当局者に御一任遊ばされ、当局者の申請する所によって、これを裁可遊ばされる事が、天皇の御本務であるというように、思し召されたものであろう。これらの御教育が、最も御総明なる御天禀をして、全く明治天皇とは対置的の御人格を陶冶し参らすることに至ったものと思う。これは決して至尊に対して、彼是れ申上ぐる訳ではない。只だ御輔導の人々、輔弼の臣僚に向って、我等が満腔の不満を、ここに言明して置く次第である。

朝鮮

日本人種と朝鮮人種とは、本来同一人種である。固より双方とも混合人種であるから、十から十まで、総てが同一とはいわれない。(略)
日鮮一元という事は、政治的に製造したる文句でなくして、学術上の根拠ある断定であると信ずる。日本海沿岸の主なる神社は、皆な朝鮮系統の神様である事は、誰れも疑う者はない。また日本海沿岸の人種は、その容貌に於ても、朝鮮の慶尚全羅方面の人と、殆ど判別し難きものが少なくない。従て日本と朝鮮とは、本来親類の国であって、日本が朝鮮を併合したという事は、米国が布哇*3や比律賓*4を併合したり、英国が香港を併呑したりするのとは、頗る趣を異にしている。この事は朝鮮人自身も、よく承知の事であろうと思う。

台湾

支那人は日本が台湾を奪ったというが、馬関条約の結果で譲り渡されたものであって、若しそれを支那に回復せねばならぬといねば、それよりも何故に、香港を英国から回復しないか。何故に内蒙古及び即今露国の領土となっている黒龍江一帯の地を回復しないか。何故に西蔵*5を回復しないか。殊に可笑しき事は、支那失地回復といって、仰山に叫び、澎湖島まで回復しつつ、内蒙古の独立を許し、その名義で内蒙古をソ聯に譲渡し、西蔵の独立を許し、その名義で西蔵を英国に譲渡し、満洲の共同経営を容認し、その名義によって、満洲の実権を、殆ど挙げてソ聯に譲り渡したが、洵に以て驚き入たる話である。元来台湾は、支那が自から『化外の地』と称して、台湾に対しては、責任は持たぬというから、その為めに明治七年の台湾戦争は出で来たったのである。(略)
李鴻章などは、台湾を割譲する時に、御所望とあれば譲り渡すが、貰い受けても、貴国の利益にはなるまい、却て土匪とか、疫病とか、あらゆるものに悩まされて、厄介物を引受くる事になるかも知れぬなぞと、捨台詞を言った程であった。しかるに日本がこれを引受けて、土匪を平らげ、不健康地を健康地となし、漸く日本の宝庫となった暁に、熨斗を付けて、これを支那に返上するなどとは、洵に以て日本人としては、お目出たき極みであるが、これも亦た前後無分別に、絶対降伏を、無我夢中に取急ぎたる結果と見れば、致方なき次第であろう。

だまされてばかり、カワイイね、蘇峰

予は決して他を咎むるではない。唯だ自ら不明を愧ずるのみである。何やら一生を顧みて、全く裏切られて、徒だ骨を折ったような気持ちがないでもない。予は官権に対して、民権論者であり、貴族主義に対して、平民主義者であり。藩閥政治に対して、国民政治者であった。しかし藩閥政治が漸く凋落して、民権論者が勝ちを制したる暁は、所謂る政党横暴の時代となった。せめて普通選挙でも行い、政権が国民一般に分布せられたならば、国民の意思が盛り上がる事もあろうと考え、普通選挙を主張したが、その結果は、投票売買の最悪なる買収政治となって来た。官僚政治は、初めから予には禁物であって、虫が好かなかったが、しかも政党横暴の防波堤として、官僚も亦た積極的には、役に立たぬが、消極的には役に立つべきかと考えたが、それも亦た立派に裏切られた。官僚と政党とは、やがては野合して、何とも名状し難き政治を打出した。これではとても物にはならぬ。最後の望みは、陸海軍と皇室と、而して政党官僚を除外したる、国民とに於て、即ち昭和六年満洲事変を切っ掛けに、専ら軍に最後の望みを繋ぎ、爾来殆ど全力を挙げて、軍を支持し来った。その結果が即ち現在の大東亜戦争である。

*1:いやし

*2:いく

*3:ハワイ

*4:フィリピン

*5:チベット