資本主義に徳はあるか

一見ヌルそうなタイトルですがパラッとめくると山形浩生よりキッパリした発言が。イラク三馬鹿騒動で袋叩きの山形センセイ日頃の勢いはどこへやら俺は本業で高遠より貢献してるのだとも言えず収入の10%寄付してるのですとヘタレ厨房発言しておりましたが、それに比べるとコッチはかなり男前です。

資本主義に徳はあるか

資本主義に徳はあるか

30ないし35年前に、政治が道徳のかわりをはたしうると思いこまれたのは、あきらかに誤りでした。ですがこんにち、いくら「人権」とか「NGO活動」と名前を変えたにしても、道徳が政治のかわりをはたしうると思いこむ、あるいは思いこませるとしたら、それも誤りです。
もしみなさんが、貧困や失業や排斥といった問題を緩和するものとしてホームレス食堂を当てにするとしたら、みなさんが都合のいい物語に逃げこんでいることはあきらかだと私には思われます。
もしみなさんが、外交政策のかわりをはたすものとしてNGO活動を当てにし、移民政策のかわりをはたすものとして反人種差別を当てにされるとしたら、これまたみなさんが都合のいい物語に逃げこんでいることはあきらかだと私には思われます。

企業vsNGO

どれほど賞賛に値するものであれ、NGOよりもちゃんと業績をあげる企業のほうが必要であることはあきらかです。NGOは貧しい人びとのためにありますが、企業は豊かさを生みだすためにあります。豊かさのほうを好まないひとがいるでしょうか。だれだって依存するよりは豊かであるほうを好むでしょう。道徳的にはNGOのほうが賞賛に値するかもしれませんが、経済的・社会的に見てはるかに重要なのは企業です。(略)
NGOに依存するよりも企業に勤めて自力で生活を維持するほうを好まないひとがいるでしょうか。これが道徳の優越と経済の優位です。NGOが貧しい人びとにお金を配ることができるためにも、まずはその金が生みだされなければなりません。企業以外のどこでそれがなされるというのでしょうか。

ラブ・アンド・ピースに喝

いまでもときおり焦点の定まらない視線とろれつの回らない口調で、「ぼくには道徳なんか必要ないんだ。政治も技術も必要ないんだ。愛があれば十分さ!」といった類のことをまくしたてる連中がそれです。当然こうした輩にたいしては、そんなことはない、愛だけで十分なわけがないと反論する必要があります。あるいはもっと具体的に反論する必要があるでしょう。「イエス・キリストを気どるのはもうやめにしろ! 第三の秩序において、自分の義務をはたし、第二の秩序において、きちんと投票し、第一の秩序において、職業技術を身につけることからはじめろ。三つの秩序のおのおのにおける任意の問題の解決のために愛をあてにするというなら、お前は自分をごまかしているだけだ。お前は純粋主義者になっているんだ」

「第一の秩序」とかについては後ほど説明しますが、この発言だけだとおふらんすのピエール山形?と思えてきますが、「企業倫理」なんて言葉にも、企業に倫理なんてあるわけない、ただ企業イメージが悪くなると売上げが下がるから、「企業倫理」を口にしているのだと噛み付きます。

カントの表現を借りるなら、それはもっぱら自分の顧客を確保するためだけに誠実である「賢明な商人」の例です。
(略)
カントは言います、たしかに、彼は義務にかなった仕方でふるまっているが、義務によってふるまっているわけではない。彼は義務にかなう仕方でふるまっているが、それは利害によってのことなのだ。カントはこう結論します。このばあいに、彼の行為は道徳にかなっているにしても、まったく道徳的価値はもたない。なにしろ、それは利害からなされているのであり、行為の道徳的価値の特徴は利害から離れていることだからだ、というわけです。

さて、なぜこの著者は「道徳」に拘っているか。そう元サヨクなのです、いや今も左翼か。

「ごまかしてはならない。寛大な右よりの人間と知的な左よりの人間とのあいだには、それはどのちがいはない!」この言葉は辛辣です。私はそれがすっかり正しいなどとは思っていません。私がめざすのは、知的な左よりの人間であろうということです。だからといって、自分が寛大さをそなえた右よりの人間になるわけではありません。おそらくそれは、私が政治にかんしても経済にかんしても、寛大さというものをあまり信用していないからでしょう。富める者が貧しい者に与えることはまずありませんし、せいぜいのところパンくずくらいでしょう。ですから、貧しい者たちは、団結して、自分たちを守り、社会を変革しようとするのです(もしできることなら、知性をそなえた者であろうとすることを忘れずに)。これこそが、依然として変わらない左派の使命なのです。

おお、なんがか雲行きが怪しくなってきました。で、何故左翼が敗退したかと言うと、経済に道徳を持ち込んでしまったからだ。そう確信する著者は経済に道徳を持ち込むことにはえらく厳しい。

資本主義がこれほどまでに効率的なものであるのは(だからといって、誤りや恐ろしさが食いとめられるわけではありませんが)、まさにそれが非道徳的であるからこそなのです。資本主義は利己主義にもとづいて機能します。だからこそ、それはうまく機能しているのです。逆に、社会主義が機能しない、あるいはそれはどうまく機能しないのは、まさにそれが道徳にしたがいたがるからであり、あるいは官僚制や警察や強制やときには拷問などを介してしか機能しえないからです

経済じゃ資本主義だわよ、だけど、だけど、と著者は五つの秩序なるものを持ち出してタイトルの問いに答えようとしているのだが、うーん、なんかあまり有効とは思えないというか、よくわからんというか、そこらへんの盛り上がらない話は明日につづく。