憲法力 大塚英志

大塚英志憲法」で読む気をなくす人でも面白そうなトコだけ思い切り手抜きで。

なぜ柳田国男は親友・花袋の私小説を否定したか

柳田国男田山花袋は生涯親友であるとともに、お互い嫌味を言い合ってきたような文学的なライバルで(略)柳田は花袋の自然主義文学へのアンチテーゼとして彼の民俗学を作った側面があります。(略)
花袋が『蒲団』を書いた明治四十年代初頭の柳田は、実は花袋的な意昧での自然主義文学、つまり私小説の徹底した批判者だったのですが、そういう柳田国男の姿はほとんど知られていません。柳田が花袋の『蒲団』を嫌ったのは、たんに下半身的なものに対する柳田の潔癖性のせいだ、みたいな理解を後の民俗学者たちはしていますが、そういうレベルの問題ではないと思います。
柳田の花袋批判のポイントは、花袋が自然主義という方法を誤用している、というところにあります。この頃、柳田は自然主義の作家たちに対して、覚え立ての写真機を自分や身内に向けているだけではないか、と批判しています。(略)
[もっと広く社会に向けられるべき手法なのに]花袋たちは自然主義の方法論の対象を「個人」というもの、つまり、あるかないかわからない得体の知れない「私」に向けてしまった。そのことが駄目なんだ、というのが柳田の一貫した評価だったんです。

文学ではなく言語技術として

文学としてではなく、近代的な個人が、自分の置かれている状況を客観的に記述していく言語技術として。つまり、自然主義とは「個々人の実験者」が「各自の分担した部分」を「報告」するための方法、人が近代的個人であることを可能にする言語技術たりうるはずだった、と柳田は言います。そして、花袋の奴は「まだ意識」していなかったかもしれないけれど、そういう「個々人の観察者」が「協力して新たな人生観を組立てる」ことにお前と俺の自然主義は向かうべきだったのだと、柳田は死んだ花袋に語りかけます。

ツールでいい、美文は不要

柳田は国語論をたくさん書いていますが、「美しい日本語を守れ」なんてことは一言も言ってません。日本語なんて使えるようにどんどん便利に改良されていけばいい、というのが基本的なスタンスです。

ことばとは他者とコミュニケートしていくための具体的なツールとして作り変えられるべきだ、という思考が柳田国男を含めた明治期の作家たちの間に実は潜在的にあった。花袋的な私小説、あるいは夏目漱石近代文学みたいなところに目を向けすぎて、近代文学とは一面において「共通語」を作る運動だったことを忘れてはいけないと思います。
(略)
柳田は美文を徹底して否定します。つまり、レトリックや美文、あるいは情緒的な感情の共有によって伝わっていくことばではなくて、誰にでも使える客観的な言語が柳田の理想とする言語観だった気がします。
(略)
[柳田は]伝統的な歌に関しても、新体詩という近代的な詩に関しても、天才的な詩人だった。そういう彼が美文を捨てて、客観的で、「私」に向かわず公共的なものに向かうことばを模索していく過程で、民俗学の一つの側面はやはりできていく。

戦前の日本人論は多民族国家を前提にしている

明治時代の教科書が典型的なのですが、日本には先住民がいて、天皇家が滅ぼしたと書いてある。それは柳田の山人論の前提にもなっています。つまり、多民族国家論という前提があって、その勝者である天皇家と、敗者としてのそれ以外の人々が列島の中にいるというわけです。これも、実は進化論の生存競争で今の日本民族は勝者だって言いたいために、架空の「山人」を作っちゃったところが柳田にはあります。それと同時に台湾という新しい植民地ができて、そこには漢民族と山岳民族がいる。しかし日本はもともと多民族国家だから、そういった多様な人種を抱えていくことができるのだと多民族国家論というか、生存競争勝ち組国家論は正当化できるわけです。
(略)
山人論も内なる異人種をでっち上げることで、俺たちだってヨーロッパが植民地支配するみたいに異人種を征服してきたんだぜっていう気分作りとどこかで重なっている。それが戦後になって、均一の日本人論が出てくる。どっちもどっちですけどね。

村井紀が批判していますが、柳田は先住民としての「山人論」を言う一方で、日韓併合に関わった勲章受章者だったし、台湾総督府にいた叔父の安東貞美との関係もあった。つまり、柳田自身が台湾の利権に関わっていて、いわば台湾の山岳民族に政治的にコミットするような人間でした。そのように生々しい植民地問題を抱えていたがゆえに、柳田は多民族国家論を抱えざるをえなかったわけです。
そこに「共通の日本を作る」というきわめて政治的な意図は見出せます。それは人工的な日本語によって共同性を目指すという思考のもっている負の側面です。しかし逆に言うと、日本は戦後植民地を失った段階で、多様な他者を抱えるという問題をあっさり捨てることができてしまった。植民地があったほうがよかった、と言っているわけではありません。けれども、植民地との関わりを自分たちで解決できないまま、「戦後」を始めてしまったのでわれわれは一つであるというメンタリティーが支持されやすくなった気がします。

で、柳田ネタをフリに、「憲法力」とは「ことば」を信じることである云々といった本論に入っていくのだが、大塚に「ことば」とか言われてもなあ。ちゃあ〜☆。
さて大塚と福島瑞穂は同じ学校の非常勤講師w。その控え室での笑撃会話。

ぼくが「今度『憲法力』という本を出すよ」と言うと、福島さんから「それって前に社民党が選挙の時に使ったことばだよ」と言われました。なるほど、うっかりしていましたが、その通りでした。(略)
でも、福島さんは「社民党の選挙の時は、『憲法りょく』じゃなくて『憲法か』と読まれちゃって」とちょっと悲しそうに言いました。

大塚は「ことば」がどうのというまえに福島にまともな喋り方を教えてやってくれ。いや、そのまえに大塚自体がアレだったら、ちゃあ〜☆。