イギリス革命のセクト運動

返却期限に追われて飛ばし読み。メモ気分で。

イギリス革命のセクト運動

イギリス革命のセクト運動

傲慢選民化した二重予定説

このように二重予定説は、実際には、神の超越論的決定という名のもとに少数の「神聖な者」の選びを正当化する役割をはたしたのである。そこには、宗教改革者が信仰義認説のもとにあれほどまでに強調した人間の行為に対する懐疑はなく、信仰の結果としての「神聖さ」のみが救いの判断の基準とされ、それが神の二重の予定を弁証していくのである。このような当時の二重予定説こそが、救いを確信した人間における「僭越」と、有効な聖霊の働きを確信することのできない人間における「絶望」とをもたらした、とジェネラル・バプテスト派は告発する。「人間は神が彼らを選んだことを一度確信するや、そのとき人間は、畏れとおののきとをもって、その救済を苦心して成就することを必要としなくなる。なぜなら、神が救われることを命じられたので、人間は救われなければならないのであり、神を畏れる必要はなくなるのである」。(略)
ジェネラル・バプテスト派の万人救済説には、正統派の二重予定説が孕んでいた二つの問題点、すなわち、「救いの確かさ」ゆえにおこる信仰者の傲慢な反律法主義的態度と、回心の時点でこれといった神聖さを持ちえない多くの大衆を切り捨ててきたことに対する批判が込められていたといえよう。

万人救済説と人権

こうしてジェネラル・バプテスト派は、カルヴァン自身の「選ばれた者に関するかぎり、価なしに憐れみに基礎づけられており、人を分け隔てすることがない」という信仰義認の原点に立ち帰り、救いの確かさの証明として行為の結果を絶えず問題とする正統的カルヴァン主義の排他性を回避せんとしたのである。(略)
救済における「恩恵普遍主義」と、それに伴う「被造物神化の拒否」はおのずから平等主義の方向へとむかうのである。(略)
ジェネラル・バプテスト派の万人救済説におけるこうした平等観念こそ、このセクトの主要なメンバーをして革命期に人権を法制化せんとする政治運動としてのレヴェラー運動に積極的に参加せしめた要因であり、それはまた人権観念の「原型」を用意したのである。

国教会聖職者による説教の独占を批判したパティキュラー・バプティスト派パンフレット。

「長い間、説教の売却は死すべき状態にあり、低調であって久しい。あまりにも低調なので、彼らはうめき、泣くであろう。だれもそんな言葉を買いはしない。……商工業者は良質なものを売らなければならない。さもなければ、彼は不正直だとみなされる。そして買い手はそれを試し、その良さを見抜くことに関してかなりの自由をもつ。彼が気に入れば買い、そうでなかったら置いていく。しかし、これらの商人〔国教会聖職者〕は彼らが買い手にもたらしたものが、善かれ悪しかれ、彼らに受け取るように強制する法令をわがものにしてきた。おお、なんと悪しきことであろうか。われわれが気にいろうが、気に入るまいがどうしてそれを受け取らなければならないのか。あなたがたロンドン商人は、できることならそのような法令をわがものにしようと自らを駆りたててきた。それはあなたがたを金持ちにするにちがいない。法律によって鼻持ちならぬ商品を売る方法とはなんなのか。だれもあえてそれを問い糾そうとしないのか。議会戦争〔イギリス革命〕のひとつの目的は、それから臣民を解放することではなかったのではなかろうか」

ロックに先駆け「財産権」

こうしてピューリタニズムはたしかに「勤勉な中産階級」が富裕になる手助けをした。だが、よき報いにかなわなかった者の努力には好ましからざる顔をむけたのも事実である。いわんや、たえず自己規律を維持することのできない者や、そうしようとしない者にはなおさらであった。そのような者には、滅びの恐怖を与えて絶望や自殺に追いやるか、長老派が考えたように苛酷な規律を強制するかのいずれかでしかなかった。その結果、ピューリタンは財産を神聖視し、貧困を罪悪視するようになったのである。エイムズはいう。「合法的に得られた富は、それ自体よくなくとも神の賜物だ。神の特別な御意志が要求しないかぎり、それを手放してはならない。福音書でいう貧困は精神的なものであり、富を多くもつことと矛盾しない。それに対して日常的な貧困は罰であり、災いであるとみなされよう。神は繁栄を是認しておられる。節約と倹約とは美徳なのだ」。
このような考えは、ロックよりも一足先に「財産権」の重要性を説くことに繋がった。だが、ピューリタンは財産を神聖視し、貧困を罪悪視するあまり、1647年から1650年にかけての経済不況のおりに飢え苦しんでいる貧民にむかって、「自分の意志に反して他人の財産を盗むよりは、餓死すべきである」とさえいうのである。

「怠惰」であることを通じて、自分自身を享受

エリザベス期のある観察者は森林地帯の小屋住についてこう述べている。「小屋住は家畜のおかけで怠惰に生活できるかぎり、すすんで働こうとはしない。森林という共同地は、小屋住というなまけ者や乞食を扶養している」。いわゆる「自発的失業」と呼ばれるこのような生活態度は、小屋住のみならず、日雇などの当時の賃金労働者にもみられるものであった。たとえば、独立自営の小親方の場合には、彼らの労働とその所産である富とは直接結びついていた。ところが、賃金労働者にとっては、彼らの労働の少なくとも一部分は、他人によって食い潰される。そのため、彼らは賃金を得るかぎり、自分たちの生産物やその数量に関してはなんらの関心も払わない。ただ「怠惰」であることを通じて、自分自身を享受できたのである。こうして、穀物価格が高騰したときにだけ働き、パンが安く入手できるときには賃金が余程高くないかぎり働こうとしない彼らは、労働市場における需要と供給の法則に対する断固とした拒否者であり、ペティ以後の経済学者たちをさぞかし「激怒」させる存在であったといえよう。