小説の読み書き 佐藤正午

佐藤正午が文豪名作を添削というもの。小冊子連載で短い文章ゆえ引用してる間に・・・。

小説の読み書き (岩波新書)

小説の読み書き (岩波新書)

『雪国』の島村の設定が「無為徒食で、酒を飲まず、小太りで、妻子持ち」というのはどうよと言ってみたり、太宰の『人間失格』なら長井秀和っぽく

無頼派の作家は例外なく結婚している。まちがいない。

して、そのわけは。

無頼派には真っ先に、家庭を顧みない男というイメージがある。家庭を顧みないために、何が必要かといえば、顧みないための家庭が必要だろう。まず結婚して家庭を持つ。そしてその家庭を顧みない。ないがしろにする。外泊して遊び歩く。ひとりの男は無頼派であるためにはひとりの夫でなければならない。そこが無頼派を押さえるためのポイントである。

これだけだとふざけてるようだけど、ちゃんと『人間失格』を推理します。
[ネタバレ注意]

なぜなら小説家は「あとがき」で、大庭葉蔵のことを「この手記を書き綴った狂人」と呼んでいるからである。この正常人としての小説家の立場、というか視線がぐらっと裏返る。小説家の視線は、世間が大庭葉蔵を見る視線だが、これが裏返ると、大庭葉蔵の視線が、世間が大庭葉蔵を見る視線をその背後にまわってとらえる。でもそのとき、大庭葉蔵がもといた場所には誰がいるのだろう。世間の目はそこに何を見ていることになるのだろう。わからない。自分が読み終えたものが何なのか、わからない。その場にしゃがみこんで、両手で耳をふさいで叫びたいような気味の悪い読後感がやってくる。この小説の中で、人間失格だと指さされているのは誰なのか、いったい誰が誰に向ってその言葉を投げつけているのか、もう区別がつかなくなる。

武者小路実篤『友情』の場合

でも小説家は文意を通すために、そのためだけに、小説は書かない。一行、一場面を書くときに必ず、過去の体験や観察や単なる物思いやの記憶と手間暇かけて付き合い、その周りをうろついて(略)ただ文意を通すためなら無駄かもしれない表現を掘り出してくる。なぜそんなことをするかといえば、それをしなければ小説を書き続けるのがただの苦痛になるからだ。それを掘り出してくること自体が、慰め、道草、発見、そういったものになり、小説を書き続け、書き進め、書きあげる自分への励ましになるからだ。つまり引用ABCの、文意を通すためだけなら省略できる部分、それらがさきほど言った小説家の生きがいに相当する。

で、極端にいえば、この『友情』という小説には、いま説明した小説を書く楽しみ、書いている自分への励まし、にあたる部分がない。無駄は無駄として切り捨てられている。もっと極端にいえば、小説家がつまらなそうに書いている、つまらないのを我慢して書いている、ような気配が濃厚にある。これも誤解される心配はないと思うが、僕はこの小説がつまらないと言っているのではない。つまらない小説が大正、昭和、平成を通じて長く親しまれ読み継がれるはずはないだろう。僕が言いたいのはこの小説家が、小説を書く楽しみを拒否して、いわば禁欲的に小説を書いているような気がする、そういうことだ。

井伏鱒二山椒魚』。「山椒魚は悲しんだ」という出だし。読者は「なぜ悲しんだ」と思う、当然次の文章の終わりは「外に出ることができなかったからである」となるべきなのに実際は「できなかったのである」となっている。そして後半の文章

山椒魚は閉じたまぶたを開こうとしなかった。なんとなれば、彼にはまぶたを開いたり閉じたりする自由とその可能とが与えられていただけであったからなのだ。

これを以下のように分析する。

山椒魚は閉じた目蓋を開こうとしなかった、という文は引用Aの書き出しの一行ほど唐突ではない。何行か前に「彼は目を閉じてみた」とすでに書いてあるので、目を閉じた状態が続いているわけである。読んでいてもさほど強く、なぜ?という疑問は生じない。でも閉じた目蓋を開こうとしないのにはそれなりの理由もあるだろう。そう思って次の文を読んでみるが、そこに理由は書かれていない。山椒魚には目蓋を開いたり閉じたりする自由とその可能とが与えられている。要するに目蓋を開いてもいいし、開けるし、閉じてもいいし、閉じられるわけだ。じゃあ彼はなぜ閉じた目蓋を開こうとしないのか? ぜんぜん理由になっていない。ところがこの引用Bの二つの文は「なんとなれば(なぜなら)」という接続詞でつながれている。またあとのほうの文の文末は「からなのだ」と結ばれている。つまり引用Aとちょうど逆さまになっている。表現上は理由説明に熱心のように見えて、内容がその熱心さをこばんでいる。これもひとことで言って変だ。

わざとこういう風にねじ曲げた小説を書くのだという井伏の意志表明に少年太宰は「坐っておられなかったくらいに興奮した」のだと。
ポケットに手をつっこんだまま応対し、ルームナンバーも間違える、やる気のないホテルマンだった頃の著者に「今夜、縫ってもらいなさい、そのポケット、二つとも」と言い放った開高健は恋愛小説を書かなかった。

三時間めになると閉じているのは肛門だけになってしまった。肛門はきまじめに小皺を集めて固く閉じているが、それすら沼に蔽われ、没してしまって、もう吸うまでもない。
三時間とはセックスにかける時間のことをさしているので、僕はいま現実のあなたや僕の性生活というか個人記録の話をしているのではなくて恋愛小説の主人公のあるべき姿の話をしているのだが、いったいどこの誰が恋人の肛門の皺を見たがるだろう?

でも彼はまだ見ている。女の肛門を見ているし、モツ料理屋の煮込んだ胃袋を見ているし、湖の魚の影を見ているし、かつて見たものをすべてもう一度見ている。四十歳のときに書かれたこの小説でも、二十代後半に書かれた短編でも、主人公の視力のよさに変わりはない。つまり小説家の、見ることへの執着は変わらない。

「眼もなく、耳もなく、ただ太って」いくだけのミミズの平和

言うまでもないが[58歳で書かれた]この小説でも、どの小説でも「私」は女の体を隅から隅まで見て、肛門の小皺も見逃さない。
わかったのはこれだけである。
開高健は見ること、見たものに執着して小説を書き続けた。決して「私」に見えないふりはさせなかった。見ないでいること、見えないふりをしていられること、「呑みこんではだし、呑みこんではだし」で食べて眠ることしかしない時間のことを、『夏の闇』では自嘲ぎみに「ミミズの平和」と呼んだ。たぶんこの「眼もなく、耳もなく、ただ太って」いくだけのミミズの平和が、僕の考えでは、開高健の小説の中の(もしあるとすれば)恋愛にあたる部分である。

最後に定かではないが井上章一も取り上げていた志賀直哉の爆笑文。

彼はしかし、女のふっくらとした重味のある乳房を柔かく握って見て、いいようのない快感を感じた。それは何か値うちのあるものに触れている感じだった。軽く揺すると、気持のいい重さが掌に感ぜられる。それを何といい現わしていいか分からなかった。
「豊年だ! 豊年だ!」といった。