殺されてゆくペットたち

繊細な犬猫愛好家&食事中の方には向かない描写あり。
あとがきには特定の施設・人物を描いたものではないとある。仮称の選択において、「ドリーム・ボックス」というネーミング、実在のものにどれくらい近いのか、そこらへんのモヤモヤ感が全体に漂うと言えば言えるわねえ、なんだそれ。

ドリームボックス―殺されてゆくペットたち

ドリームボックス―殺されてゆくペットたち

「ドリームボックスヘ炭酸ガスを注入します!」

黄色のボタンを史朗は押す。自動通路の奥の壁、通称「プッシュ」が徐々に迫り出してくる。
犬たちは、壁に押されながら、前進するしか術はない。(略)
犬たちは叫ぶ。プードルは前進を拒み、プッシュに抗う格好で、プッシュに頭をつけて、足をバタバタさせているが、その大きな力には及ぶわけがない。敵わないながらも、そうするしか術もない。(略)
ドリームボックスとプッシュの隙間に、鉄製の蓋が降ろされてゆく。この作業だけはいつも速やかにはいかない。蓋を降ろすとき、犬が必死に頭部や前足を出し、”最後の抵抗”を試みるからである。プッシュの天井には小さな穴がいくつも空いている。鉄パイプを上から差し込めるようになっているのだ。武田と大松が二人で、鉄パイプを差し込み、犬の頭、前足を奥の鉄箱に入れようと叩いたりする。犬の身体が傷つくという気遣いなどは、もはやない。力ずくで叩く。(略)
「ドリームボックスヘ炭酸ガスを注入します!」(略)
犬や猫たちの悲鳴が一瞬だが、大きく響いた。反射的に咳き込むのだ。炭酸ガスこと二酸化炭素は、密閉された空間では呼吸困難を引き起こし、意識不明に陥らせる。一分もすると、悲鳴はかすかに聞こえるぐらいになった。(略)
仰向けに口を開いて息絶えた犬たちの姿が、史朗の目に映った。丸窓の水蒸気が消えたのは、呼吸が完全停止した証拠だ。

バット撲殺期

稲川は、センター開設時(35年前)の頃の思い出話をよくした。
「あの頃、保健所職員イコール野犬狩りが仕事、と見られていた時代だったよな。センターができるまでは、県内各地の保健所で殺処分していたんだよなあ」
(略)
「ドリームボックス」などなく、殺処分を課せられた動物愛護センターでは、犬も猫も大きさを問わず、一頭ずつバットで力任せに殴り殺され、焼却炉に放りこまれていた。
「犬だけで一日百頭、バットで叩き殺した日もあったな。スイングは水平もあれば、上から振り下ろしたり。犬の頭を目がけてさ。獣医や俺たちセンター職員が交代でやったよ。汗をかくから、冬場でもTシャツ姿でね」
センター開設当初は木製バットであったが、1970年代前半に金属バットが登場すると、金属バットに切り替えられた。稲田にとっては、木製バットの方が即死させやすかったらしい。

野良犬時代

「あの頃といまでは、殺処分する犬の質がまるで違う。昔はさ、犬って言えば、いかにも野良犬っていうかんじで、よだれ垂らして、毛は汚い、臭いものがほとんどだった。いまはそんな犬はセンターには入らない。みんな元ペット。雑種もいるけど、多くは血統書付き、ペットショップで結構な値段で売ってたものだよ」(略)
「ペットの犬がセンターに収容されるようになったのは、ドッグフードが犬の餌として定着してからだと思うよ。約25年近く前だな。冷や飯におかずの残りをのせて、味噌汁をぶっかけたワンコ飯の時代は、こんなことはなかったよ。ワンコ飯の時代は飼う側にも家族の一員の意識があったんだ。でも、いろんなドッグフードができて、コンビニやスーパーに置かれるようになってからは、オモチャ感覚になった感じがするね」

毒殺期

ある時、佐々山が赤犬の頭めがけて思い切りスイングをしたところ、犬が咄嵯に動いたため、空振りしてしまった。再びスイングしようとした瞬間、佐々山に飛びかかり、左上腕に食らいついた。
佐々山は右指で犬の眼を強く突き、犬の口を開かせ、バットを持ち直して殴り殺した。稲田が駆け寄ったとき、佐々山の左上腕の一部は食いちぎられており、直ぐに救急車で運ばれ、手術を受け、一週間の入院となった。
こんな一件があってから、職員の安全が懸念されて、殺処分の方法は撲殺から毒殺に変えられたという。無色、無臭の形容が冠せられる粉末状の劇薬である「硝酸ストリキニーネ」を焼却処分する前夜、餌に混ぜておく。(略)
当時は「捕獲・保護」というより、「野犬狩り」の様相を呈していた。硝酸ストリキニーネ入りの毒餌を野外に置いたことすらあったのだ。しかし、犬よりもカラスやタカが食べて死んだり、子供が拾い食いする危険も懸念されて、野外における掃討作戦は間もなく中止となった。殺処分の効率も考えれば、バットや毒入りの餌よりもドリームボックスの方が楽なのだ。

骨肥料

米袋大のビニール袋は白い遺骨で膨らんでいる。細かい棒状のもの、頭骨とおぼしき断片が、閉じられていないビニール袋の口から見える。その傍らにある一斗缶には、焼け残った首輪のバックルがまとめられていた。(略)
骨は動物愛護センターの敷地内に埋められるが、掘り起こして埋めるにも飽和状態で、家庭菜園が趣味の佐々山が、ある分だけ持ち帰り、自分の畑で使ったり、知人らに分けていた。
佐々山が初めて肥料として使ったときは、作物の生長の良さに、近隣の農家が驚いたらしい。「どこのメーカーか?」と聞かれ、正直に答えたところ、当然、ひどく気味悪がられた。だが、そこは動物愛護センターの所長だった。どういう理由で骨になったかを話し、肥料で使ってあげるのが功徳なのだ、と先方を納得させてしまった。いまでは多くの近隣農家がこの肥料を使用している。
この肥料を使うと、茎や葉などの生長が早いため、実が小さくなる。従って、葉を適度に切り落とす剪定の必要がある、と佐々山は「使用上の注意」も付け加える。

飼い主には怒られ

厄介なのは、収録日と放送日には数日間、時間のズレがあり、”あれはウチの犬だ!”と、問い合わせた時には既に殺処分された後というケースが多い。そういう時、必ずと言っていいほど、電話口で喧嘩となる。なぜ殺してしまったのか、あまりに非道で残酷、可哀想ではないか、どれだけ史朗たちが「徘徊犬の捕獲は狂犬病予防法に基づくもので……」と説明しても、飼い主の怒りは収まらない。
犬がいなくなったと心配していたら、あんたたちが勝手に連れて行ったのか! と怒られることもある。怒る相手に話を聞くと、放し飼いにしているのがほとんどだ。
本人の言い分は、散歩に連れて行く時間がなくつながずに飼っており、それを貴様らが勝手に連れて行った、と言い逃れる。「勝手に連れて行かれた!」と思っている者が、犬が殺処分されたと知れば、「愛護センターは俺の犬を勝手に殺した!」となじる。

学習見学の問い合わせはあるのだが

学校側がGOを出しても、父兄の反対が常に大きな圧力となる。”あまりにも悲惨。子供たちのトラウマにもなる””こんな臭い環境では学習にならない”---PTAの代表が見学して回ると、必ずこう言うのだった。この目前の”悲惨な光景”の原因はどこにあるのか、と考える前に、施設がなじられる。

愛護団体に怒られ

動物愛護団体は全国に独自のネットワークがあり、電子メールやインターネットを駆使し、会員同士で、全国各地の殺処分場の様子もやり取りしている。所長や職員の個人名を挙げ、ああ言った、こう言ったの非難も激しい。老朽化の激しい施設ほど、抑留室が狭くて抑留犬が多く、それだけ、犬に不快な思いをさせ、劣悪な環境に置いている、と激しく攻撃されている。
動物愛護センターと看板を掲げながらも、やっていることは逆ではないか。糾弾の言葉に容赦はない。

(●)´`・)←す縫うぴー
念のため書いておくと、仏心を出してはやっていけない獣医がついほだされて一匹の保護犬を、という心温まるストーリーが主軸だから、だいじょうぶだあ。
=①。①= にゃあ
猫ボランティアのブログを見てると、里親を増やそうとメディアで宣伝すると来るのは捨て猫相談ばかり、「じゃあ保健所に連れて行くしかないんですね」と捨て台詞をはかれてヘコむ毎日のようであります。