晶子とシャネル・その2

前日のつづき。

晶子とシャネル

晶子とシャネル

 

その夜、男一人女二人に何が

いはず聴かずただうなづきて別れけりその日は六日二人と一人
(略)数詞は歌に物語性をあたえてドラマのような効果をあげる。「二人と一人」とはいったいどんな関係なのか。その日は六日と言う。その日にいったい何があったのか(略)
明治33年の11月5日、晶子は登美子とともに鉄幹と栗田山の宿で一夜を過ごした。翌六日、京都駅で鉄幹は一人東京に向かう。残るニ人は晶子と登美子である。けれどもそれを知らない読者にとっても「その日は六日」という表現は小説的なストーリー・テリングと同じ効果をあげている。実際、ただならぬ別離のシーンが浮かんでくるではないか。

読者はいたく好奇心をそそられる。それもそのはず、そそるように鉄幹が編集の腕をふるっているからだ(略)
佐藤春夫は『晶子曼荼羅』で次のように述べている。「これ等の歌稿はたとえば愛人たちの見交わす眼のやうに当人たちには意味深長に、いつも韻文の艶書にも相当するものであったから、局外者には真意はわからないだけに、何となくさまざまな想像をたくましくさせるものが多い」。

さてそのスキャンダラスな一夜は果たして事実だったのか。

晶子は本当に恋をしてそれを歌にしたのか。もしかしてそれは虚構ではなかったのか。(略)
「すぐれた演技者」による「演技豊かな贈答の復活」。まさにそれが、「女たちのメディア」である『明星』の際立った特色であった(略)
虚の衣をまとって恋をすること。(略)
恋をしているから恋をうたう、のではなく、むしろ恋をうたうからこそ恋をするのだ。

登世子60歳、ロマンチックが止まりません。熱いね。

ひとり家を出て東京の鉄幹のもとに走った時、その出帆を決意する懊悩の時に、歌のもつ力の大いさをひしと思い知ったことだろう。演技の衣をまとって交わしあった相聞はいつしか裸身におよび、魂を焼く衣となって彼女をつつんだ。もはや二度と脱げない皮膚の衣装のように。言葉の装いの力は魂を覆うのである。虚構は真実の犯人なのだ。晶子はこの虚構の物すさまじい力を誰より切に感じた歌人ではなかっただろうか。不覚なる少女をとらえ火の鎌は迫る……。

鉄幹と袂を分かった子規のアララギ派と明星を折口信夫が分析。

恋歌には様式美(ポーズ)が必要だからアララギのリアリズムより、稚拙だとしても明星のラブリーな遊戯性の方がいいんじゃない。以下折口の文。

今の女の人には却てぽうずがなさすぎ、現実的な歌、現実的な歌と追求して、とうとう男の歌に負けてしまふことになったので、まう少し女の人には、現実力を発散する想像があってもいいでせう。……まだしも男はいいのです。自分が始めたのですから。現実主義と討ち死にしたって一向さし支へはないのですが、女の方の歌は現実にかまけて、女性文学の特性をなくしてしまひ、本領を棄てたように見えるのは、事実でせう。アララギはいろいろ長所もあり短所もありますが、アララギ第一のしくじりは女の歌を殺してしまった---女歌の伝統を放逐してしまったように見えることです。

コケットリーの達人鉄幹を絶賛する折口。

以下斜体が折口の鉄幹評。

とまれ、虚実のあわいを揺れる遊戯の快楽を晶子に教えたのは、いうまでもなく『明星』のプロデューサーであり師である鉄幹である。誰にもまして鉄幹こそコケットリーの達人にほかならない。実はそれを指摘しているのもまた折口信夫である。女のコケットリーの相手をつとめる男あればこそ成り立つ相聞であってみれば、折口が鉄幹にかたむくのは当然のことかもしれない。(略)

おもしろきゑそらごとをも書きまぜつつ。そことさだめぬ旅心より

かう言ふ調子があつたればこそ、かう言ふ生活も掘り出されて来たのである。これを見て心をどりを唆られぬものがあつたら、まづさう言ふ点で歌を楽しむ資格がないと言へる。相当に長い年月、かう言ふ歌といふより調子を却けて、禁欲主義のやうな顔をすることがよいとせられて来た。熊野旅行に随伴した若い歌人たちも、一人として、今思へばこれほど清いうはきを歌ひあげることが出来なかった。

与謝野鉄幹の「うはき」。コケットリーが女の領分であるとすれば、その女を「おびく」男の媚態を言い得て妙である。「ゑそらごと」を書きまぜること、それが大事なのだ。さらには「心を定めぬ」ことが。折口のみているとおり、鉄幹ほどに「愛の遊戯形式」にたけた男はいない。(略)
あの『明星』誌面の余白の、ささやくような小活字、それこそ人をおびくものでなくて何であろう。しかも彼はそこに誰と相手を定めがたい恋歌を何首も詠むのである。鉄幹にかかっては「うらぶれ」さえもが憂いの魅惑をたたえ、ダンディな風姿に変わってしまう。うわきな蝶が花に「紅き」を教え、教えられた花が「そらごと」で蝶をおびきよせる---花と蝶のこの戯れが、愛の遊戯を織りなしてゆく。

文語の中の王と后

恋の相手を「君」と呼ぶこと(略)相聞の勝利とはすなわちこの文語のそれでもある。『晶子歌話』で、晶子は文語こそ自己のスタイルなのだと語っている。(略)
恋する鉄幹は、いつどんな時であろうと「君」と呼ばれる相手なのであり、自分もまたその「君」とむかいあう「我」なのだ。くたびれた着物を着た七児の母も、生活苦を知りつつ無聊に沈むその夫も、短歌の世界では「獅子王とほまれをひとしくする君」であり、「自らを后とおもふ我」と化す。

いや長いね。こうして鉄幹晶子に山川登美子が絡む愛の三角関係プロレスは大人気、数々の恋愛伝説を残したのだった。

与謝野晶子は性愛の「近代主義者」

「奔放なイメージとは違い禁欲的な道徳観を持っていた」という佐伯に対し、著者はこう反論する。
恋する晶子にとって妻子ある鉄幹との不倫は全く問題にならない。そんな道徳はファッキンなのだ。ただ恋する二人の貞節は守らなければならない。複数とつきあうのはふしだらなのだ。

晶子は、男にだけに容認されてきたさまざまな形態の「一夫多妻」を徹底的に排斥して「欧米風である一夫一婦主義の純潔な恋愛」を志向している。この意昧でこそ与謝野晶子は性愛の「近代主義者」なのである。繰り返すが、晶子は蓄妾と回春という性のダブル・スタンダードの痛烈な批判者である。
(略)天地に一人の「君」と鉄幹を恋し、みずからもまた彼の愛の唯一の対象でありたいと願い続けた晶子は何度夢を裏切られて苦しんだことか。(略)[鉄幹の浮気批判]
あまた戀ふは何ばかりなる身のほどにふさへることとするや男よ  『常夏』
何人もの女を好きだなんて、いったい自分を何様だと思っているの。この現代にいまさら業平でもあるまいし、身のほどをわきまえものを言ったら? いいかげんになさいな…いかにも皮肉な詠みぶりからは、男の放縦を難詰する女の姿勢が伝わってくる。とても「従順な妻」の口ぶりではない。

晶子は熱烈な「相愛」主義者である。「一夫一婦」制という言葉では晶子のこの真意がこぼれ落ちてしまうほどに。結婚するしないを問わず、恋する相手に貞節であること、相手以外に性的関心をよせないこと。オンリー・ユー。それが晶子の言う「貞操」なのである。ということをさらに敷衍すれば、晶子にとっては「処女」と呼ばれる婚前の貞操より、むしろ恋人や夫婦のあいだの貞操の方がはるかに重大な関心事だったということでもある。この意味で、彼女の貞操論は『青鞜』を舞台に起こった「処女論争」と一線を画している。晶子にとってそれはあくまで「貞操論争」なのである。

晶子はまたこうも述べている。愛情がないにもかかわらず「夫婦」として同居している男女について、「貞操道徳」はなぜこれを非難しないのか、と。いかにも恋愛至上主義者に似つかわしい言葉ではないだろうか。はたして晶子はここで恋愛と結婚を実にラディカルに問い糾す。

平塚らいてうとのやりとり色々あるんですけど、疲れたので省略。明日はいよいよココ・シャネル。ココったら、ズバリ、言ってるわよ、かなり。