ジャズ構造改革

部外者にも赤裸々ジャズ村事情が理解できると言えばそうなのだが、展望のある話は無し。クラブでいくらジャズがかかろうとあれはジャズとして聴かれていないのでジャズ村としては無関係という見解。

ジャズ構造改革 ~熱血トリオ座談会

ジャズ構造改革 ~熱血トリオ座談会

レコード会社の存在意義なし

[後藤雅洋中山康樹村井康司]
中山▼だからぼくは、日本のレコード会社は邦楽に専念すべし、洋楽の日本盤は出す必要なし、その労力を輸入盤の仕入れに回すべきだってことをいったり書いたりしてるんです。(略)
後藤▼最近、『さわりで聴くジャズの名曲25選』って本を作らせてもらったんですよ。最初はブルーノートで次はCBS(ソニー)。その仕事やってて不思議に思ったのは著作権の許諾の問題。ソニー東芝に話を持っていって、向こうがOKなものを選ぼうとするんだけども、日本のソニーはなにがOKでなにがダメかわからないっていうのね。あなたたちが権利持ってるんでしょっていったらね、持ってることは持ってるけど、どういうアルバムをどういうカタチでリイシューするかっていう権限は向こうにあるっていうのね。それも変な話だなと思ったんだけど、日本のほうで積極的にそういうことに関与してないんだね。
中山▼それは別にソニーだけではなくて他社もそうですよ。
後藤▼でも、もしそうだとしたら日本のレコード会社の存在意義ってあんまりないんじゃないの?
中山▼ぜんぜんない(キッパリと)。
後藤▼それなら、輸入代行するだけでいいじゃない。
中山▼だから、CD時代になってからは、レコード会社は単なるプレスエ場になったわけです。

ジャズは蕎麦であって、スパゲティとして食われても関係なしというジャズ村見解

村井▼たとえばジャイルス・ピーターソンっていう人がいてね、彼はいろんな音楽を自分の独自の視点で提示するっていう才能がある人なんだけど、ただそれは解釈を変えるっていうことであって、ミュージシャン本人がなにを考えて演奏したいかっていうのとはまったく関係ないわけです。
後藤▼それは、いわゆるモンド・ミュージックじゃないけど、たとえば細野晴臣さんがマーティン・デニーのことを面白いっていってたのと同じことでしょ。
(略)
中山▼そういうことに対して、なにをジャズ界から発言しなければいけないのか、ぽくにはわからないんだよなあ。

菊池成孔はいいけど、ってw

中山▼ぼくはこう思うんです。若い世代を対象にするということは、たとえばマイルスを知らない世代にマイルスがやったことをパクって提供すれば受けるっていう戦略が成立するってことですよね。菊池成孔さんなんかは意図的にそれをやってるわけでしょ。
後藤▼菊地さんなんか本人がいってるからいいんだけど。
村井▼デートコースについていえば、実際の音はいわれているほど70年代マイルスではないんだよね。むしろぼくが初めて聴いたとき驚いたのは、菊地(雅章)プーさんの『ススト』に入っている「サークル/ライン」をほとんどそのままのアレンジでやってて、イントロが始まったとたんに若いお客たちが大騒ぎして熱狂したこと(笑)。
中山▼元ネタを知らないから通用しちゃう音楽、そういうものがいまは主流になっている。コルトレーンを知らない耳にしか通用しないジャズ、『パンゲア』にまだ出会っていない耳にしか通用しない「パンゲアもどき」のやつとか。クラブ・ミュージックっていうのは、けっこうそれに近いと思う。
後藤▼まさにそのままズバリなんじゃないですか。
中山▼パクリが悪いとは思わないし、それはいいんだけど、あまりにも無垢な人たちを騙しすぎてるとは思う。
(略)
村井▼中山さんがいったように、元ネタを知らない人にとってはそれがオリジナルですからね。
後藤▼それはしようがないんだけどね。歴史ってそういうものだからいたしかたないんだけど、そうやって提示されたものが過去のものよりもいいものだったらそれでいいと思うんだけどさ、そんなことないんだもの、聴き比べてみれば一目瞭然。
中山▼そう、それはしようがないことではあるんです。出会いに時差はあるんだから。でもそれをミュージシャンがやっちゃまずいだろうという思いはある。

ジャズとヒップホップ

中山▼ジャズのカッコ良さって、ヒップホップの連中のほうがうまく使うんですよ。逆にジャズ・ミュージシャンはヒップホップの使い方がヘタ。結局ジャズのカッコ良さも消えて、ヒップホップを取り入れた必然性もなくなってしまう。
(略)
村井▼ジャズ的要素みたいなものの把握の仕方がぜんぜん違うんですよ。やっぱりジャズの人は、ジャズを即興演奏だと思ってるわけ。アドリブの面白いものがジャズであると。オレもかなりそういう気持ちがあるんですけど。でもヒップボップの人たちにとって、ジャズっていうのはアドリブでもなんでもなくて、ある音色だったり、ビートだったり、テイストだったり、そのほうが大事だと思うんですよ。そっちのほうがいわゆるジャズのカッコ良さみたいなのを醸し出すし、使いやすいし、わかりやすいことはたしかなんだよね。
(略)
どうも世間では、ジャズの、いわゆるアドリブっていう部分が、われわれが思っているほどメインとは思われてないようです。
(略)
中山▼ちょっと話がズレるけど、ケニー・Gが売れはじめたのはアドリブやめてからだと思うんだ。
後藤▼なかなか鋭い(笑)。

意味がなければスイングはない

意味がなければスイングはない

村上春樹も『意味がなければスイングはない』で問題にしてたウイントン・マルサリス。

村井▼(略)フリー・ジャズも結局はウイントンが出たことで、じつはフリー・ジャズの人たちの欲望のかなりの部分が満足させられちゃったんだよね。だって、黒人の文化的・政治的な地位向上みたいなことがフリー・ジャズのスローガンにはすごくあったわけじゃないですか、テーマとして。(略)
そういってやってきたことが、じつはすごく変なかたちっていうか、音楽的にとても保守的な格好で成就しちゃったのよ。だって、ジャズがほんとうにエスタブリッシュメントのなかで機能するようになったんだもんね、ある意味でね。リンカーン・センターというクラシックの牙城みたいなところをウイントンは押さえちゃったんですから。
(略)
中山▼ぼくのなかでは、ウイントンっていうのは、ミンガスに近い闘い方をした人として位置づけがあるんです。ただしミンガスは愚直だったけれどもウイントンは闘い方と勝ち方を知っていた。そこに世代の違いが出ていると思う。

後藤▼それ以来だもんね、黒人のジャズがつまんなくなったのは。あの時期から白人のほうが面白くなってきた。白人はそういうややこしいモチベーションの屈折がないからね。
中山▼ウイントンの成功っていうのは、日本に住んでいるとあんまりわからないんだけど、アメリカでは相当の社会的インパクトがあったんだと思う。
(略)
後藤▼(略)音楽っていうものをなにかの手段にした途端にその音楽は堕落するっていうことよね。ウイントンは身をもってそれを示したわけ。じつにシンプルな話じゃない。マイルスとかオーネットとかパーカーは絶対にそうしなかったと思う。それは自分の気持ちのなかじゃ、やっぱり白人社会は面白くないからなんとかしてやろうと思ったりしていても、いざバンド・スタンドに立っちゃうと、いい音を出したいっていう方向に走っちゃうわけよ。ジャズ馬鹿っていうかさ、だからカッコ良かった。マイルスは絶対にそうだったと思う。彼も黒人の社会的地位向上っていってみたり、実際の気持ちでもそう思ってることは間違いないんだけどさ、いざ楽器持っちゃうとそんなことはどうでもよくなって、いい音出そうぜっていうことになっちゃうわけ。だからオレたちが聴いてカッコ良いんだけど。音楽を手段として考えるようになっちゃった途端、その音楽は必要以上に受け手のことを考えるようになるからものすごく洗練されて、ある意味じゃよくなるんだけど、それと同時に魂を失うのよ。
(略)
中山▼ウイントンは、とにかく吹くだけの人じゃないわけです。いろんなことを考え、人脈づくりもうまい。そのへんはまさに政治家。その政治的活動を円滑に運ぶためにはいろんなことが必要になってきて、それを全部クリアしていまの地位を手に入れた。でも、ときどきジャズ・クラブで飛び入りすると、ものすごい演奏をする。つまり、彼のなかの音楽に対するバランス感覚とか価値観っていうのはそういうものなんですよ。