セイヴィング キャピタリズム

自由な金融市場があれば、担保やコネがなくても、アイディアとやる気があれば誰でも起業資金を調達でき、無能な人間を排除していくので社会全体の底上げにもなる。そのためには政府が既得権者からの圧力を排除し自由な市場を維持しなければならない。

セイヴィング キャピタリズム

セイヴィング キャピタリズム

金持ちの貴族制ではなく、有能な金持ちの貴族制に移行

1929年には、アメリカの所得番付上位0.01%の所得の70%は、資本所有によるものだった。それは配当、金利および賃貸料のような所得である。金持ちは働く必要がなかった。1998年には、賃金および起業家の所得はアメリカの所得番付上位0.01%の所得の80%を占めるようになり、資本による所得はわずか20%となった。(略)働かなくてもよい金持ちの地位を働く金持ちたちが占めるようになったのである。
私たちの社会は、単なる金持ちの貴族制ではなく、有能な金持ちの貴族制に移行しつつある。金融革命は、万人に貴族のクラブの門戸を開いている。この点で、金融革命は自由主義の精神で横溢している。資本を自由に利用できる場合、富をもたらすのは、技能、アイデア、熱心な勤労、そして避けがたいことだが、幸運である。それだからこそ、金融革命は資本ではなく、人間を経済活動の中心に据えることになるのだ。

でも、ねえ。貴族じゃなきゃイヤなの?という疑問は解決されない。
担保やコネがなくても

金融が結局は金持ちへ利益をもたらすという構造は、貧乏人に対する差別から生じると、しばしばいわれる。しかし、ここまで読み進んだ読者には、未発達な金融インフラストラクチャーこそが、資金調達を困難にする主な要因だと、少しは理解してもらえただろう。貸手は、どうしても、富裕な者に対して資金を貸し出すものである。これは、富裕な者には貸手の心配を和らげる担保やコネがあるためである。おそらく、どんな合理的な貸手も同じように行動するだろう。(略)
 合理的な帰結であったとしても、このように金持ちしか資金を調達できないという状況を、私たちは憂慮すべきだろうか。答えはイエスである。なぜならば、このような状況では、経済の持つ潜在能力を完全には引き出せないためであり、また、経済活動が生み出す成果が、公平には分配されないためである。

当然このような疑問も出る。

競争的で透明な市場がもたらす当然の帰結を理解すればよい。つまり、市場は新しいリスクを作り出し、伝統的な保障の仕組みを破壊する。いつでも経済不況のときに、リスクの暗い側面が経験され、保障の欠如がまさにそのときに痛切に感じられるのだ。市場に対する反対が高まるのも無理からぬことではある。
もう少し詳しく説明してみよう。当然のことながら競争は、有能な者と無能な者、勤勉な者と怠け者、幸運な者と不運な者を際立たせる。したがって、それは、企業や個人が直面するリスクを増大させる。競争はまた、好況期にはチャンスを広げ、不況期にはチャンスを縮小させ、人々の生活をジェットコースターに乗ったように揺れ勣かすことによってもリスクを増大させる。結局は、多くの人々がより裕福になるのだが、ジェットコースターに乗るのは、いつでも愉快なわけではない。なかには振り落とされてしまう者も出る。
(略)
要するに、競争的市場は単に明確に識別できる落伍者を作り出すばかりではない。競争的市場は落伍者から伝統的なセーフティ・ネットを奪い取りもするのだ。競争の結果、自分が勤めている産業の将来がおぼつかなくなる人々、生涯をかけて蓄積してきた富を失う投資家、楽観的な見通しの時期に、投資を賄うために発行した債券の重荷に圧迫されている企業のオーナーや農場主、これらの人々が困窮者になる……。

国際銀行として機能していたテンプル騎士団

テンプル騎士団として知られる組織は史上最初の国際銀行であった。(略)彼らは、その名の由来となる、エルサレムのソロモン神殿の廃墟の近くに往み、教会に仕えていた。また、彼らはエルサレムヘの巡礼が通る道を警備する任務を担っていた。(略)
彼らの活動に、感謝する人々、そして忠誠を誓った人々からの寄進によって、彼らは富を蓄えた。彼らは世界中でもっとも強固な城塞をいくつも保有するようになった。彼らの軍事的勇猛さを合わせて考えると、それらの城塞が、危険の蔓延する時代に財宝の理想的な貯蔵庫として機能したのも不思議ではない。(略)
これらの城塞は一種の「支店」のネットワークを形成したが、それは地中海地域の隅々でロンドンやパリにいるのと同じように、いつでも必要なときに、現地で通用する形態で現金を用意できたということである。騎士はパリで預金し、エルサレムで現地通貨を受け取ることができた。十字軍の騎士はこのネットワーク、いわば十字軍のアメリカン・エキスプレスを旅行中の資金を保全するために使用した。当然、テンプル騎士団は両替と移送の費用を徴収した。地域銀行としての機能も果たしたのである。

その資金はいかにして没収されたか。

150年間にわたり君主が権力を行使してテンプル騎士団を支配しようとしなかった理由は、テンプル騎士団が発揮した道徳的力と、むき出しの欲望をさらけ出すことを意味する強奪は、教会との関係上、君主の立場を弱めることになるという懸念のためであったに違いない。
1307年、フランスのフィリップ四世は、自国の財政状況が極端に悪化したことと、貨幣の改鋳や、ユダヤ人や金貸しの財産の没収という中欧の伝統的な資金調達方法をすっかり使い尽してしまったことから、テンプル騎士団を襲った。フィリップはテンプル騎士団の道徳的基盤を打破するために宣伝キャンペーンを始めた。テンプル騎士団の指導者たちは急襲され、逮捕され、異端、背教、悪魔崇拝、性的堕落、そのほか中世の道徳規範に反する罪に問われた。彼らは拷問によって告白し、あとで否定したが、有罪を宣告され火あぶりの刑に処せられた。テンプル騎士団の財産は注意深く目録に記録され、その土地は国王の家来に貸し与えられ、財宝は没収された。

教会は君主の略奪を恐れ財産権を

フィリップ四世の略奪行為の重要な帰結は、君主の脅威が教会の財産にも及ぶことを教会に認識させたことにある。このため教会は、財産を必要悪として受け入れる立場から、奪うことのできない権利として強固に保護する立場に転換した。教会の学者は、国家はその国民の財産に対する権利を持たないと論じはじめ、世俗の学者も素早くこのテーマを取り上げ、ローマ法のなかに支持根拠を見つけようとした。おそらくその結果、西欧においては暴力による略奪は比較的稀となり、その略奪の目標はアラブ人やユダヤ人のような異教徒に向けられるようになったのである。
政府が(略)どうしても軍事費を調達しなければならないために、市民を強奪せざるをえなくなることもある。長期的に見れば、国家は徴税により支出を賄うことができる。しかし戦争の場合は少しの遅れも許されない。市民の富を取り上げることに代わる手段は、借り入れることであり、近代国家はこれをあまりにもよく知っている。しかしこれはパラドクスをもたらす。少数の債権者への支払いのために、多数の人々へ課税することは費用が掛かりすぎるし、不人気でもある。

収奪しやすいのは金持ち

収奪しやすい対象は(ユダヤ人のように、いつも最初に狙われる者が収奪された後には)、もちろん金持ち、とくに銀行家である。高利貸しを標榜する者は教会にとって異端であり、それゆえ略奪された。銀行家も、自分の富を流動的な資産、つまり簡単に持ち運びできる形態で保有しがちであった。この特徴のために、近代世界においても銀行家が政府の課税や収奪の対象にされやすかったのである。この意味で、政府の理屈は、なぜ銀行を襲ったのかと聞かれて、「そこにカネがあるからさ」と答えた銀行強盗ウィリー・サットンの理屈と本質的に同じレベルである。強制借上げの横行や破産の続発するところでは、驚くべきことでもないが、金融は、繁栄できない。

明日につづく。