内田「先生はえらい」?

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

先生はえらい (ちくまプリマー新書)

前日熱く書きなぐったハウル話にくるのが「オカムラチャン」ワード飛来ばかりの状況にやさぐれて罵詈雑言やつあたり。
中高生対象の新書シリーズだからとはいえ似合わぬハシモト口調がかなりキモイ。というよりそれならそれでこんな無神経な事を書くなよ。

P58-59
聴き手があなたにとってどうでもいい相手の場合を考えてみてください。
どうですか?あなたの回想はあまり熱が入りませんね。だって、その人にどう思われようと、あまり関係がないから。
そういう場合に、あなたが語って聞かせるのは、たいていこれまでに何十回も繰り返した「いつもの話」です。自慢話でも、笑い話でもいい。とにかくある種の効果があることが経験的にわかっているので、何度も使い古した「できあいの物語」。そういう話はいくら繰り返しても、あなた自身には何の発見もありません。

なんと内田樹センセイはどうでもいい奴とは適当に話すのだそうです。どうでもいい奴と話したってなんの発見もないのだそうです。バカじゃねえの。こんな奴ばかりだから、誰が読むのか誰か聴くのか誰が観るのか、誰のためなのかわからないものがはびこるのです。話が通じそうもない相手だから神経を使うんですよ。神経を使って話してると、そういう相手でも「へえ、こういう話は通じるのか」となるのがコミュニケーションなんだよ、頼むよ。
そのくせ自分の話を早合点&矮小化されたり、どうでもいい話を聞かされると傷つくんだそうです。

P113-
私たちが話をしていて、つまらない相手というのがいますね。こちらの話をぜんぜん聴いていない人です。なんで私の話を聴いてくれないかというと、先方にはこちらの言うことが全部わかっているからです(少なくともご本人はそう思っているからです)。その人にとっては、私は「いなくてもいい人間」なんです。(略)
聴き手に何の興味も示さないで熟く語り続ける語り手も、聴き手の存在を否定するメッセージを発信しているという点においては変わりません。そういう人の話を聴かされると、私たちは弱い酸に侵されるように、深いところで傷つけられます。(略)
[例えば校長の訓示や議員の挨拶など](略)
「あなたが私の話の内容を理解しようと理解しまいと、あなたがいようといまいと、私は今と同じことを言うだろう」と告げられて傷つかない人はいません。

さて内田センセイの有意義な話を矮小化する生徒の反対に誰がいるだろう。この程度の奴にはこんなとこだろうと「いつもの薀蓄を披露」する内田センセイである。クレバーな内田少年にどうでもいい訓示をする校長の反対側にいるのは誰だろう。自分の未熟さに気付かず最初からバカ校長と断定しているエリートの卵・内田少年である。相手のことを勝手にわかったつもりになってバカ認定して「何の興味も示さないで熟く語り続ける語り手」、それは内田樹その人。
バカ相手にはこの程度と与太話を繰り広げ、バカ相手に誤解され、バカ訓示を聞かされ傷ついた内田はどうするのか。
「君の前だとこんな話をしちゃうんだ」「君と話してたらこんな昔のことを想いだしちゃった」w、B級ドラマ必須の「貴方の前だと素直になれるの」フレーズだよ。父さん、こういうオヤジはたぶん「赤ちゃんプレイ」が大好きだと思われ、父さん、ゴリラーマンがオムツプレイでうっとりしてるとです。そしてさらに内田は恋人にこう言うのだ。

P101
私たちが会話においていちばんうれしく感じるのは、「もっと話を聞かせて。あなたのことが知りたいから」という促しです。

うわっ、うわっ、笑っちゃいかんが、それにしても、いい年をして、どうなんでしょう。男と女が二人暮らすというのはそういうことでしょうか。次々に突きつけられる現実を受け止められるかということじゃないの、普通は。例えば一度も読んだ事ないけど雰囲気で好感を抱いていた角田光代が固太り詐欺師セラピストと対談してるのを見てちょっと引いちゃうようなね。そういう状況が次々襲ってくるのが男女関係じゃないでしょうか。正直知りたくないのに、知らされるわけですよ。そして妥協していく自分に妥協できる自分に、うわあ、これが「愛情」ってもんかなあと思うもんじゃねえの。たぶんセンセイは高級料亭でおむつプレイに励んでおられるのでしょうが、まっとうな一般人は吉野家で「オーラ」だの「前世」だの下らない話をどこまで受け止められるのかという現実に向き合うものだと思われ。

  • では親密な人間との会話には神経を使わないのか。

例えばこうして僕がちまちまと文章を書いている時に恋人から電話がかかってきて何してるのと聞かれ「内田の悪口を書いてるんだ」と答えます。「ふーん」という彼女の口調に僕はハッとします。どうやら疑っているようです。疑われていると認識して動揺した気配に相手はさらに疑念を深めます。どうすればいいのか。
1.別にやましいところはないのだから平然としている。
[結果]相手は誤解する。
2.「何か誤解しているようだが、本当に文章を書いてるだけだよ」とあっさり言う。
[結果]相手はヘタなゴマカシをしていると思う。
3.「いやー、さっきテレビで内田がエラソーに喋っていたから」とありもしない嘘をついてしまう。
[結果]本当は無実なのに嘘をついている状態におかれ、さらにその嘘を暴かれた場合は、他の女といたのに文章を書いているなんて嘘をついたということにされる。
「たいせつな人」が相手だとこのような神経は使います、そして「どうでもいい相手」にこんな神経は使いません。でも、それとは別の神経の使い方はしますよということ。

ラカン「精神病」
「私が皆さんに理解できないような仕方でお話する場面があるのは、わざととは言いませんが、実は明白な意図があるのです。この誤解の幅によってこそ、皆さんは、私の言っていることについていけると思うと、言うことができるのです。つまり、皆さんは不確かで曖昧な位置にとどまっておれるのです。そしてそれがかえって訂正への道を常に開いておいてくれるのです。(略)

上記の文章を引用して内田はどう解説するか。

P110
簡単に書くと、なんだか「ありがたみ」がなくなるから、むずかしいままにしておいたんです。

おいおい、それじゃ大した中身もないのに、薀蓄難解用語で煙に巻いてるように聞こえるじゃないか。ラカンなんて一生よめそうもない僕ですらこれくらい書けるぞ。

簡単に書くとガチッと誤解したままになるけれど、モヤモヤっと理解させて誤解を柔らかい状態にしておけば、いつでも修正できるからです。

「どうですか、お客さん」w。どちらが正確にラカンの考えを伝えているでしょう。
学生の定型文章にうんざりしてセンセイはこう述べる。

こういうものを何十編も読まされていると、読んでいる方は重い徒労感にさいなまれてきます。そういう定型的なことばづかい、ストックフレーズの乱れ打ちというのは、一種の暴力として機能するからです。

ストックフレーズがただレベルアップされただけなのに、脳味噌にしまいこんだ高級ストックフレーズを乱打してエラソーな文章をつくっているだけなのに、生き生きとした文章を書いているつもりの人がいるんじゃないかなあ(遠い目)。

錯綜しているけれど、どこかに自然な律動がある。息せき切って走ってきた人の息づかいが、乱れているけれども、それでも生命の必然にかなっているのと同じです。そういう文章は論理的ではないけれど、どこかにたしかな条理が通っている。

だそうです、だそうです。いやあ、センセイの文章にはいつも息づかいを感じるなあ(棒読み)。ああ、ゴリーラマンの鼻息だけがフガフガと騒がしい。