敗戦と民主化

敗戦と民主化―GHQ経済分析官の見た日本

敗戦と民主化―GHQ経済分析官の見た日本

GHQ民政局主席在日経済分析官が1949年に発表した論考。
財閥

こうした財閥家系は、いくつかの点で、陸海軍の派閥を含む、日本におけるもっとも強力な政治勢力であった。軍国主義者のそれとは違って、彼らの政治力は旧体制のすみずみに及んでいた。民政党にしても政友会にしても完璧に財閥の代理人であった。すなわち、世間では、民政党は三菱の、政友会は三井の利益と一体とされた。

占領までのどさくさで140億円が財閥企業へ流れインフレ

降伏受諾から占領進駐まで、経済統制の施行がいちじるしく緩和された。(略)
一か月間に通貨量が約140億円増加したこの現象は、日本金融史上未曾有のことであった。8月15日から31日までだけをとっても、120億円が発行された。(略)
その大部分は[臨時軍事予算から]戦時契約の賠償として財閥系企業にころがりこんだ。こうした財政活動の実践は、軍部・天皇・財閥・日本銀行員を含む、支配寡頭制の事実上の全体による共同行為の結果であった。こうした動きは、戦後期に入るにつれて、強力なインフレ刺激を日本経済に与えたのだった。

財閥解体の過程で日本企業に引き継がれた巨額有価証券の始末をどうつけるか

1.有価証券の販売監視努力をやめてしまって、新興闇市階級およびこの階級と提携して活動中だった財閥の秘密の代表者たちに購入を認める。しかし、この方法は改革全体の目的を無効にしてしまうことになる。
2.外国資本にこの有価証券購入の許可を与える。この方法はだんだんと大っぴらに主張されるようになった。だがこれが採用されたら、結果的に、日本は経済的に圧倒的にアメリカ資本の植民地になる。
3.有価証券を握っている日本政府は関連産業を国有化できる、ないしは少なくとも石炭・肥料・電力・鉄鋼といったそれに最適な産業を国有化できよう。銀行株も大方は政府が握っているのだから、金融システムも比較的安易に国有化されよう。この方法はアメリカ当局の反対にあい、1948年春に適用された集中排除措置に反していた。

戦時補償を求める財閥系企業

系列の軍需工場が破壊され損害をこうむったことの損失にたいして、彼らは、政府の補償を獲得すべく戦ったのである。この補償は戦時議会立法にもとづいて算定されたのだが、その総計は800億円を超え、それを支払ったら国庫は破産し、インフレの昂進は加速化したことであろう。財閥系企業は戦時に莫大な利潤をあげ、補償を求めることで彼らはさらに、戦争のつぐないという負担を、日本国民の肩に移すことで免れようと考えたのだった。

1945年11月中旬の三菱重工業会長郷古潔の声明。インフレ・物不足を解消したいなら補償しろ。

軍需工場の民需への転換が緩慢な主たる理由は、操業が引き合うことが確実でなければ、実業家は操業再開に消極的だということである。軍需工場の補償としてどれくらいの額が手に入るかがはっきりしないために、操業再開を見合わせている実業家もある。補償金の全面的支払い停止が産業の一般的崩壊を引き起しており、その結果として生産低下と物価騰貴をもたらしている。

無力な占領軍

こうした風潮にたいして、最高司令部は圧倒的な権限をもっていたにもかかわらず、有効な対応がほとんどできなかった。日本経済の実質的支配権は占領軍当局になかった、というのが事実だったのである。日本経済の支配権を握っていたのは、政府、半官の「統制」機関、そして連合を通じて活動している、旧来の日本財界のりーダーたちであった。これらの人たちは、インフレの昂進を認め、あるいはそれを推進すらする、自由放任政策を支持していた。彼らは物資を退蔵し、闇市場を操作し、経済を停滞させておいて、占領が終るのを待ち構えていたのであった。

日本は講和を前に貧乏で同情を引こうとしている。

ダグラス・マッカーサー将軍の経済科学局の高官によると、日本の経済は講和会議で同情をえるために、故意にサボタージュが行われている。この高官たちが非難しているのは、日本の資本家、実業家、そしておそらく政府当局が一致団結して、講和条約が調印されるまでは、国の再建を遅らせ、あるいは中止しようとしている点である……。二年にわたって注意深く観察した結果、アメリカ当局は今や、日本経済の混沌とした現状は主としてこの種の「消極的」サボタージュによるものだ、と確信している……。その状況はまさに、多くの点で「柔軟な」占領軍によって勇気づけられた既得権者たちが外国、とりわけ合衆国内の同情をえようと全面的に努力しているものと思われている。その目標は、最小限の賠償と最大限の対外借款である。