作家の誕生

作家の誕生

作家の誕生

二枚舌の誤魔化し方

また、政治的同盟関係の変化にともなって、作家の態度も豹変するということも起こりえた。叛乱を起こしたパトロンがそれを悔い改めるような態度を示せば、作家は叛乱の扇動者を演じた舌の根も乾かぬうちに和平を歌いあげなければならないし、その逆もまた然りである。

この時代、著者たちが結果的に二枚舌のような態度を示すというのはいささかも珍しい事象ではなかったといえる。臆面もなく意見を二転三転させながら続けざまに作品を繰り出す著者もいた。しかしながら、言葉の無意味な機械的反復に陥ることを是としない著者たちにとって、二枚舌は難しい駆け引きである。前言を翻すにしても、それは自己の言説の一貫性を損なうことなく行わねばならない。下手にやれば、立場が変わった時、新たに歓心を買わねばならない読者(パトロン)の目に、その新たな立場の価値やアピール力を失わせることになりかねない。いくつかのテクストが曖昧であったり、複雑きわまりないものであったりするのは、このような事情に起因する。

フロンドの乱の際、最初は反マザラン派だったシラノ・ド・ベルジュラックはマザリナード(反マザラン文書)を書きまくった後、親マザランに転じ

先にいくつも書いたマザリナードなどまるでなかったかのごとく、以前自分がマザランに向けて書いたもろもろの非難を論駁し、あるいはそれには触れずにすます。特に注目すべきは、マザランに対する侮辱的な文書を率先して書いたとして、スカロンを攻撃することである。ライバルである同業者の二枚舌を槍玉に挙げることで、シラノは自分自身の二枚舌から世人の注目をそらそうとするのだ……

テクストの尊重権。

「オレの文章に手を出すな」という意識の前に、ヘタに歪曲されると生命の危機。

教会と国家が異端や不敬罪を理由に死刑を宣告することができた時代において、テクストの尊重権はきわめて重要な意味を持っていた。キリスト教自体が一つのテクスト群(聖書、教父、神学的著作)に立脚するものであるために、教会の権威筋はもとより一介の私人にも、教義に背く疑いのあるあらゆる文書を告発する権利と義務があったのである。

模倣は文学的美徳だが盗作は駄目

[17世紀]はアイデアを借用することは正当であるとみなされ、推奨すらされていた。もしそうでなかったとすれば、模倣の教義が価値として認められ、確立されることなどありえなかっただろう。これに対し、形態上の引き写しは禁じられていた。この時代におけるもろもろの文学活動からは、模倣、盗作、書き直しをはっきり区別するための模索の跡が窺える。しかもこの区分は、古典古代の文学に対する崇拝ゆえにそれをふんだんに書き直したり引用したりするという慣行があっただけに、ますます微妙な問題だった。死んでから長い時間が経過している著者からの借用が少しばかり多すぎたとしても、それはその著者に対する崇拝の念が行きすぎた結果であるとみなされ、せいぜい道徳上の権利しか侵害せず、実害をともなうことはない。しかし生存中の著者に対して同じことをすれば、それは著者の作者権と所有権を侵害することになるのだ。

盗作のススメ?と誤解され

文学活動が進展しつつある中で、ただちにこの動きに乗じたいと願う新人たちは、自分の作品をふくらませるために他人の作品から臆面もなく借用していた。こうした行為は模倣の理論から逸脱した考え方によって支えられていた。(略)リシュスルスのフランス語で書かれた『雄弁家の仮面』など、多くの理綸書が盗作は正当化し得るという考え方に根拠を与えたのである。


『雄弁家の仮面』は、模倣と盗作の間に境界線を画定することの曖昧さをよく示している。リシュスルスは自分の教説を盗作主義と名づけている。この名称自体は引き写しを正当化しているように見えるけれども、これは引き写しをする人の「盗み」を告発し、書き直しの理論を告げるものなのだ。彼の目指すところは、優れた作家の作品をどうやって「変装させ」、そこから「新たな傑作」を生み出すことができるか教えることである。こうした目標を掲げて、彼は増幅法、縮小法、置換法……、といった技法の一覧を提示する。少なくとも最初の二つの技法では、変形は表現上の形態(文章、文体)のみを対象とし、元となる作品の内容上の形態(構成、構造)はそのまま使われている。こうした曖昧さのために、リシュスルスは微妙なニュアンスに十分な注意を払わない読者の目には盗作の新たな信奉者と映った。

強大な力を持っていた印刷業者の凄い言い分。

著者が自分で本売るな。

書籍印刷販売業組合は著者の自主配給に断固反対していた。そこで、同業組合は国務会議に『趣意書』を提出し(1652年)、次のように主張した。「われわれ書籍印刷販売業者の意図するところは、巷で流れている悪意ある噂のごとく、著者に対して圧政を敷くことでもなければ、本の印刷のためにかかった出費を取り返そうとすることでもありません。そうではなく、著者が自分で本を売ったり、宣伝のためのポスターを自分の名において掲示させたりするのは、理にかなっていないと主張しているのであります。なぜならそれは書籍印刷販売業者の役目であり、著者にはその権限も資格もないからであります。(略)
つまり書籍印刷販売業者は、著者が法的に彼らに従属し、著作権がその適用において事実上制限されることを要求していたのだ。

昔から「仲間褒め」の世界なわけです

学識と情報を握る彼らは、批評家の役割を果たすことで、ある著作の評判の大筋を決定し、世評をあやつっていた。こうして、出世の階梯を辿る作家であれ、やや専門的な書物の出版に及ぶ偶発的な著者の場合であれ、彼らにとって理想の読者となるだけでなく、本が売れるかどうかの鍵をにぎるのは、他ならぬ彼らの同輩であった。さらに、拡大した公衆の支持を当てにする者たちにしても、実際には、自分の競争相手や商売仇となりうる同業者こそ、作品の評価のみならずその売上げをも左右するものであったことは、想像にかたくない。

著者auteurは「創造者」を意味する

ギリシャ語(autos)からではなく

増やすという意味のaugeoから派生したauctorというラテン語から来ている。この時、著者とは何かを新たにつけ加える者ということになるだろう。(略)文芸の分野ではこの語はとりわけ、特に絶対用法では、古典古代の著作家に用いられた。このとき著者は権威(auctoritas)の概念と結びつけられることになる。
この二重の語源は、著者の権威が創造者としての資質に立脚するという意味の体系を形成する。こうして著者の生みおとした子供としての書物というイメージが、文学的創造のありふれた神話となる。厳密な意味での答者とは創造的な作品を作る人ということになるだろう。ソレルは、本を書くために何も「書き写したり盗んだり」していない人々こそが「本当の意味での著者である、われわれの最も偉大な作家たちについてそう言われたように、自分の作品の創造者なのだから」と名言している。