アメリカの神話と現実

 

1979年に出た本です。
1930年代アメリカで非常な影響力を持っていた文学史家だそうです。

笑える貶し方。

ところが、このパリントンの名声は、1940年代にはいって、急激に衰えはじめる。「いまから考えてみて、V・L・パリントンの名声のもっとも印象的な点は、その突然の衰退である」というリチャード・ホフスターの発言があったことを指摘しておこう。

さあ皆も、「キリモミ隊長の名声のもっとも印象的な点は、そのキリモミ急降下な衰退である」とかなんとか使ってみてくれたまえ。

パリントンによるルターとカルヴァン比較

ルターはカルヴァンよりも「神秘的であると同時に実際的であった」と、パリントンは考える。前者が「そのインスピレーションを主として新約聖書から得て、キリスト教徒としての生活の創造的な根源をキリストの魂との精神的同化に見いだしていた」とすれば、後者は「はげしく、ヘブライ的であって、愛よりも正義を重視し、旧約聖書のなかに掟を求め、権威的な体制に重点をおいていた」と考えられる。さらに、「創造的な影響力において、前者はあくまでも個人中心主義的であり、後者は階級組織的であった」とも書かれている。この点をパリントンはさらに強調して、人間性に対する信頼を欠いたカルヴァン主義があまりにも「貴族的」であったことを指摘したあと、ヨーロッパからの移民がカルヴァン的な体系をたずさえてアメリカにやってきた事実を「ひとつの不幸」とみなさなければならない、とさえいい切っている。

牢獄としてのアメリ

こう考えているパリントンにとって、ジョン・コットンをはじめとするニュー・イングランド神学者たちは、「思想の自由な空間におそれをなし、頑丈な防壁のうしろにおいてのみ身の安全をおぼえることのできる連中」にほかならなかった。彼らが作りだしたのは「せまくて、つめたい牢獄」としてのアメリカであった。中世的なヨーロッパの束縛を否定した移民たちが、新世界を「牢獄」に変えてしまったというのは、いかにもアイロニカルな事態であった。

カルヴァン主義者の独裁体制

「教会と国家の民主主義的な構成」を危険な傾向と考えるコットンは、それを阻止するために「総督たちに力をかしあたえること、あらゆる批判者から神学上の理想を守ること」をひたすらめざしていた、とパリントンは考える。その結果、新世界アメリカに出現したのは「露骨なまでに少数独裁的な政治体制」であったが、これはまさしく「民主主義の否定」にほかならなかった。結局のところ、「絶対主義の影」のもとで育てられ、「民主主義の信念」を理解することができなかったコットンは、「進歩」としての歴史に歯止めをかける、きわめて非アメリカ的な存在であったとされるのである。

18世紀に入り堕落した旧世界にのみ通用するカルヴァン主義の「人性全悪説」は、ニュー・イングランドの素朴な「村の生活」でその影響力を失ったと、パリントン。

ホーソンが長い間無視され、非アメリカ的作家とされたのはパリントンの影響によるもの

コンコードの思想家たち*1が「その夢のままに世界を改造することを提案し」、しかも「人間は神のたしかな子であることを主張している」一方で、ホーソンは「人間の心の秘密の場所に悪がひそんでいるかぎり、ユートピアは夢の影にすぎない」と主張し、「彼自身の経験に照らされてあらわれる悪の問題を批判的に検討していた」のである。悪の追求こそが「彼の知的生活の中心をなす、魅力的な問題であった」というパリントンの言葉には、露骨なまでの悪意がこもっているとさえいえる。

ウェスト『クール・ミリオン』(1934)はファシズムの可能性を暗示

ネイサン・A・スコットは「民主主義社会におけるポピュリスト的煽動」(ここでパリントンとポピュリズムとの結びつきを思い出す必要がある)が「ファシスト的なモボクラシー」を生み出す危険があることをナサニエル・ウェストが暗示していると書き、ジェイムズ・F・ライトも『クール・ミリオン』を「ファシズムアメリカにも起こり得ることを示す最初の本」と呼んでいる。

『クール・ミリオン』は

同じ「アメリカの夢の崩壊」を描いていても『偉大なるギャツビー』とは対照的。夢を抱いて都会に出た主人公はいきなり無実の罪で投獄され歯無しにされ、そこから次々に身体を欠損していき、遂にはインディアンに頭の皮をはがれ、その姿を見世物にされ、どつきまわされバカになり、射殺される、というかなり無茶な小説。
都会に出て夢をつかめと主人公を励ました男は後半、伝説的アメリカの英雄のような格好で登場し

通称を「革シャツ党」という「国民革命党」を組織している。(略)
アメリカをアメリカ人の手に」とりもどすことを主張し、「アンディ・ジャクソンとエイブ・リンカンの原点に立ちかえろうではないか」と呼びかけて、「アメリカを憎み、ヨーロッパに愛着する」ような「ユダヤ国際資本と過激派労働組合」を非難する彼は、明らかに「アメリカがヨーロッパの組織からみずからを切りはなし、独自の組織を樹立する以上に重要な事柄はない」と説き、「平和と正義がアメリカ社会の北極星となることを祈るならば、地球のあの地域〔ヨーロッパ〕とのいっさいのかかわりをさけるべきだ」と論じた第三代大統領に酷似している。(略)『クール・ミリオン』の結末において、「国家革命党」が勝利をおさめた結果、アメリカが「マルクス主義と国際資本主義の汚染」から守られ、「異国の病毒」を追放して、アメリカ人の手にもどるというのは、1800年の時点におけるジェフアソンの理想が、20世紀の現代に見事に実現したことを示している。さらにいえば、こうしたジェファソン的理想につらぬかれたアメリカこそは、パリントン的パラダイムアメリカの現実を眺めていたアメリカ人たちがたえず回帰することを願っている世界、いわゆる「正常」の状態にほかならないのだ。

*1:多分「Sage of Concord」の訳?コンコードの哲人