アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書

アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書

アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書

アメリカには検定というものはなくて、さらにこれは学生の教養低下に危機感を抱いた大学教授が編纂した小学生教科書からアメリカ史を抜粋したものだそうで、実際どれだけの小学生がこれを使っているかは不明。
「平易な英文で書かれていますし対訳もつけましたので、中学生くらいから上のどなたにでも読んでいただけます」という悲しい但し書きが。全然読めない己の英語力に涙。

さすがに検定がないだけあって、こんな清清しい書きっぷりw

ケネディアメリカで最も有名な大学、ハーバード出身でしたが、ジョンソンはほとんどの人が聞いたこともないテキサスの大学に通っていました。

アジアからインディアンがやってきたのが「12000年前ですよ!」と驚いて見せても、結局まともな歴史が始まるのは新大陸発見からで、覚えること少なくて楽そう。
さて日本なら戦争の悲惨さで小学生をおどかすのだろうけれど、アメリカではどうするか。インディアンだの黒人奴隷だの南北戦争だのコワイところはあるはずなのだけど、流石にあまりにヤバイ話題なのか、「インディアンを騙したのでした」てな感じで軽く流しています。そして株の仕組みを詳しく説明して、大暴落、大恐慌の話へ。僕が小学生なら多分ここが一番コワイ。じっくり貧乏話。基本的に上り調子な話ばかりの国なので、悲惨な話というと大恐慌しかないのだ。うーん、面白いなあ。
不思議なのが"The Revolutionary War"や"American Revolution"を独立戦争と訳していること。当たり前だけど独立宣言の方は"The Declaration of Independence"となっている。何故「革命戦争」や「アメリカ革命」にしないのだろう。
[関連?]kingfish.hatenablog.com
米英戦争は"The War of 1812"で、「1812年の戦争」と訳している。
南北戦争か市民戦争か?

アメリカの市民戦争the Civil Warを、日本語では南北戦争と訳して、他の国の市民戦争と区別している。この戦争を英語で正確に言う場合はthe American Civil Warが最も一般的だが、the Civil Warという呼称は「反乱軍」the Rebelsによる内戦を意味するので、南部人の中にはこの呼称を避けて、the War Between the Statesと呼ぶ人もいる。つまり1つの国家に対する反乱ではなく、国家自体の分裂ととらえようというのである。
他の呼び方としては、北部の側からの「反乱戦争」the War of the Rebellion「国家統一戦争」the War of National Unification、南部側からの「南部独立戦争」the War for Southern Independenceなどがある。

ことごとく対立した二人

独立宣言の中でジェファソンは、「すべての人は平等だ」と書きました。しかし、ハミルトンは平等なんて信じていませんでした。歴史は、強くて裕福な少数派が常に弱い多数派を支配することを示している、と彼は言いました。ジェファソンは勤勉で教養のある人たちを信頼していました。ところがハミルトンは彼に向かって叫びました。「あなたのいう民衆とは、ひどいケダモノです!」(略)
ハミルトンが考えたアメリカの未来は、裕福な企業家たちがいて、大きな都市があって、連邦政府が強い力を持った富裕な国でした。ジェファソンが考えた未来は、自立した、勤勉な農民たちの共和国でした。ジェファソンは、連邦政府による独裁を防ぐために強い州政府が必要だと考えていました。彼は、ハミルトンの政策が、貧しく無知な労働者階級の上にたつ富裕な支配階級を作り出してしまうのでは、と心配したのです。

連合国最高司令官アイゼンハワーが大統領の任期を終える際

1961年に執務室を去るときに彼はいわゆる「軍産複合体」の危険性を指摘する有名な演説を行ったのです。アイゼンハワーは、軍と軍事産業の統合した力が強大になり、いつの日かアメリカの民主主義体制を脅かしかねないと警告しました。

明白な運命

1830年から40年、開拓者たちは西へ西へと移住していったが、その土地の中には、まだ正式にアメリカの土地でないところもあった。イギリスが領有権を主張したり、インディアンの土地だったり、メキシコの領土だったところもあった。
 こんなとき、アメリカの領土拡張を正当づけたのがマニフェスト・デスティニー(明白な運命)という言葉であった。この表現はジャーナリストのジョン・オサリバンが1845年、雑誌に書いた論文で使われた。それによれば、「神によって与えられたこの大陸に拡大して行くのはマニフェスト・デスティニーである」というのだ。この言葉は、西部をめざす膨張熱がピークに達していた民衆の心をとらえ、開拓者たちを勇気づけた。