ホーソーン短篇小説集

ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)

ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)

昨日からのつづき。
ホーソーンの「牧師の黒のベール」(1836年)、突然黒いベールをつけるようになった牧師を人は恐れ何か罪を負っているのかと怪しむ。
妻にベールをはずしてくれと迫られるとこう答える。

「来るべき時はきっと来るのさ」、と彼がいった。「私ら生きとし生きる者のすべてが自分のベールを外さねばならない時がね。

「もし私が悲しみゆえに顔を隠すとしたら、それだけの理由で充分じゃないのかね?」と彼は答えただけだった。「そしてもしも秘密の罪ゆえに覆面しているとしたら、生きとし生ける者誰もがそうしていいのではないかね?」。

やがて人は恐れながらも霊験あらたかな聖職者として受け入れていく。そして月日は流れ、牧師の臨終の間際、それでも彼はベールを外さない。

いずれの時にか、友が親しい友に、恋人が最愛の人に、魂の深層の秘密を打ち明けられる時がくるとしたら、さらにまた、人が自分の罪の秘密を嫌々ながらも大切に仕舞いこみ、大いなる創造主の眼から逃れようとして無益な努力をしないですむ時がくるとしたら、その時こそ、私がそのために生きてきたし、いままたそのために死んでゆく象徴の怪物だったとかなんとかいうがいい。私のまわりのどの顔を見まわしても、見よ!どの顔にも「黒のベール」があるではないか!」。

こう言ってベールをしたまま棺に入り、ラストは

あの顔が永遠なる地上の「黒のベール」の下で朽ち果てつつあるのかと思うと、いまも怖気だつ!

で、坂下昇の解説がものすごく面白い。

ホーソーンはセーレムの子だった」

[ボストンの北の港町セーレム]
正統派がもちこんだルネッサンス宗教改革はいまだに中世の迷信を根強くひきずっていた。セーレム人の愛憎尽きない背反と闘争の歴史は、やがて、前代未聞の悲惨な魔女事件を生むはずである。この美しい、古典的な町の狂気の呪いを背負って生まれたピューリタンの子が、過去の夢と罪を暴く、美文の作家として現われた

ピューリタンは自分の手にしっかり持った灯火で世界を照らしうると信じていた。だから、自分に反対する者には一切の自由を否定し、それを抑圧し、弾圧した」---アーサー・ミラー

「否定的な自由」の悲劇

D・H・ローレンスの提言は、ピューリタン社会のような信仰の絆で有機的に結ばれたユートピア社会では「否定的な意味での自由」しかないどころか、セックスの自然な発露も途絶させられ、歪曲されるというのである。換言すれば、荒野のような孤独の中にいることだけが自由なのではないというのである。(略)
[ホーソーンは]まさにそのような「否定的な自由」の悲劇をロマンスに書き上げた最後のピューリタンだった

セーレムの魔女事件

kingfish.hatenablog.com

セーレムの魔女事件は、前述のアーサー・ミラーも書くように、ピューリタンの知性の欠落を露呈した悲劇的事件だったのみならず、ホーソーンの文学にとりついて離れないタブーの原因となった(略)
[セーレム村で]悪魔を呼び込み、死者の墓を暴いて亡霊を呼び出すと信ぜられた魔女らの行為が人々をパニックに陥れた。一方、これを弾圧しようとする聖職者の側は狂乱の行為に走った。それは中世の宗教裁判さながらの苛酷さだった。(略)
「僕にはコトン・マザーと同じ血、人を絞首刑にしたがる血が流れているのだ」

大学卒業後12年間ひきこもって小説を書いていたホーソーン、紆余曲折あって49歳の時の日記。ピアスの選挙に貢献して英国公使に任命される。第14代大統領ピアズや詩人ロングフェローは大学の同窓生。

これまでにない幸福なクリスマス。長い、長い間、私は奇妙な夢に襲われてきた。その夢というのは私がまだ大学にいるという夢なのだ。卒業後のあの孤絶のせいかも知れない。何という不思議!

ペリーに会った男

日本からの帰途、ペリー提督が突然訪ねてきて、彼の『日本遠征記』を書いてくれといったり(彼はメルヴィルを推挙したのだが)、そのメルヴィルが鞄一つでやってきて、「永遠の命」について語り合ったのもこの頃である。だが、時はまさに南北戦争の前夜、アメリカ民主主義の岐路を決する動乱の時代だった。彼の、多分、処女作の主人公ロビンが出逢ったあの暴徒の雰囲気そのままだったに違いない。

市民ケーン」バラのつぼみの元ネタ?

1884年、ニューヨーク。青ざめたメルヴィルが息子のジュリアンを訪ねてきて、いった、「君のお父さんにはこれまで暴露されたことのない秘密があったよ」と。

『僕の親戚、メイジャ・モリヌー』

青年は民主主義の抜き難いパラドックスである「モッブ・ルール」(暴民支配)の狂乱にいきなり直面させられる。

成功した親戚に養子にしてやると言われてボストンにやってきた青年は「メイジャ・モリヌーの家はどこですか」と訪ねて回る。やがて彼ならもうしばらくしたらやってくるよと言われ待っていると暴徒の群れがやってくる。

巨大な人の河がいま街路にどっと奔流してきたかと思うと、教会の方角へゆっくりと波打ってきた。馬に跨った男がひとり、この群衆のなかから転がるように出てくると、そのすぐ後ろに恐ろしい金管楽器を吹き鴫らす楽隊がつづき、接近するにつれて、ますます鮮烈な不協和音を送りつづけていた。もはや視界を遮る建物はないのだから、耳を邪魔する障壁もない。このとき、今までよりももっと紅蓮の炎に燃えたつ光が月光を掻き乱したかと思うと、密集した松明の群衆が町並みを真紅の色に染めた(略)
彼に従う供奉の隊列にはインディアンの服装をした者、未開の野蛮人を装った者の一団、さらにモデルなしの多種多様の幻想的ないでたちをした連中がつづき、行列全体に異変めいた印象を与えていた。まるで狂気に冒されて頭脳から飛び出してきた夢が、深夜の町通りを駆け抜けてゆくかのようだ。

そして青年ロビンの見たものは

リーダーが停まれっ!と怒号のような命令を下した。トランペットは凄まじい息を吐き出すとそのまま嗚りやんだが、人民の叫びも笑いもハタとやみ、沈黙と隣り合わせの絶対的無音だけが訪れた。ロビンのすぐ目の前に、一台の無蓋の荷車が停まっていた。ここは松明が最大限に明るく燃えている場所で、月もここでは真昼のように煌々と照っていた。そしてここで、身体には煮えたぎるタールを塗られ、鳥の羽根を一面にくっつけられた不様なリンチ刑の姿を晒しているのは彼の親戚メイジャ・モリヌーではないか!(略)
ロビンは膝をがたがた震わせ、髪の毛は憐憫と恐怖が混じり合った思いで逆だっていた。だが、まもなく、めくるめくような興奮が彼の心を支配してきた---序曲となった今夜の冒険のかずかず、思いもかけぬ群衆、松明、擾乱の出現、そしてそのあとの静寂、あの大群衆に悪口雑言を浴びている、いまは亡霊化した彼の親戚。一切が、いや、一切以上のなにものかが---全光景が途方もない冗談に見えるような世界観が襲ってきて、彼をある種の精神的酪酎状態に陥れていった。

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