政治的ロマン主義の運命・その2

前日の続き。

行動の美学に酔いしれてファシズム

最初は民族的共和主義者を自称していたドリュがファシストを宣言するまでになったのは、たんに世界恐慌後のヨーロッパ情勢の変化に機敏に反応して、ファシズムを受容できる国際感覚を身につけていたからではなく、これに加えて、先駆者として石を投げつけられる自分を陶然と思い描けるナルシストだったからである。(略)
一貫して行動の美学を追究するうちに、フランス・ファシズムの実現こそナショナリズムデカダンスを克服する絶好の機会だと思えてくる危険な領域に足を踏み入れていった。

ぼくたちは大量生産品のように病んでいる(1934)

「ぼくたちは自分たちの括り付けられた文明が空虚なので、皆そろってブルジョワ作家だ。もはやキリスト教中世でも、合理主義ルネサンスでもない。大量生産と何でも売り物にする社会なのだ。(中略)ぼくたちはぼくたちの大量生産品のように病んでいる。それに、ぼくたちは大量生産しているのだ。なぜなら製造のために製造しているのだから。芸術のための芸術さ」。
フランス知識人の多くが反ファシズム反戦を旗印に行動しつつある時に、ドリュはいまこそ文明の危機を語らねばならないと感じていた。

ニーチェ主義エリートが世界を変える

ドリュによれば、レーニンは二〇世紀の革命家であるが、通常のマルクス主義者はいまだに「プロレタリア独裁」と「階級対階級」戦術に代表される十九世紀的「決定論」の捕囚となって、ヘーゲルにならって「歴史はひとりでに進んでゆき、資本主義は勝手に破滅の準備をしている」と言って眠りこんでしまった。このようなマルクス主義者に対して、「ニーチェ主義者は、偶発的世界においては、みずからの行動が瞬時にして爆発を引き起こし、世界の様相を一変させてしまう、と考える」。(略)
ドリュはニーチェを援用しながら、世界に意味を与える主体を、エリート集団と措定する。彼らはニーチェ的な激しい生を生きる欲求に満たされ、マルクスにも「歴史、哲学、経済の領域で鋭い文学的直観を働かせる幻視者、先導者」を見いだすような革命家である。「人間のエネルギーと社会運動は、最大限の行動のできる個人、つまりエリート、主人をその器とする」。ドリュによれば、ニーチェはそこに、「ファシズムを基礎づける二つの社会的要素、つまり指導者と彼を取り巻く集団」を見いだし、行動によって世界を変貌させようと考えた。

啓蒙主義的自由の失効

資本の無秩序な暴力を抑えこむ力は、ドリュによればファシズムにしかない。(略)
[ブルジョワ知識人]は社会主義革命によってのみ人間が労慟による疎外状況から解放され、自由な主体ができあがる、と考えているが、自由な主体の享受すべき自由がすでに「疲弊」しているのではないか。自己責任の取れるかぎりで市民的諸権利が得られるとする啓蒙主義的自由観は、もはや失効しているのではないか。

自由が重荷なんです

もはや現代人には自由と不可分の責任感が重荷と化してしまった。そのとき自由は疲弊する。個人が社会集団に溶融すれば、冨にせよ慰安にせよ、それらは個人が創意工夫し、個々に努力して手に入れるものではなくなる。
「自由。どんな自由を君たちは願っているのか。それはどこにある。かつてどこにあった。これからあるというのか。もしそれがある時点における現実の欲望充足なら、君たちは何を欲望しているのか。安らげる秩序をだ。ぼくたちはついに機械に比肩しうるかくも穏やかなリズムを楽しみたがっている」。
自由を放棄した人間は、平時なら効率化された産業社会と福祉国家に組みこまれる。だが、戦時には社会全体が巨大な戦争機械になる。(略)
ドリュは疲弊した自由に代わるコーポラティズムの先に、国家主導と独裁者を見た。(略)
ドリュがそこから国家廃絶に向かわないのは、無政府主義もまた市民的自由の絶対的拡張の一形態だからである。ドリュの理想とする自由とは、身体と思考力とを望みどおりに動かして集団のリズムに完璧に同調し、集団を率いることにある。快楽と結びついた自由の観念が、権利と責任に裏打ちされた市民的自由とはまったく異なるために、ドリュは現代社会が生に広げている「鬱陶しい網目」からの解放を、啓蒙の延長ではなく反動のうちに位置づける。

弱いからぼくたちは社会主義者

ぼくたちはあまりに脆弱だから、これ以上気ままに放任してはいられない。それではてんでばらばらになってしまう。そうなんだ、弱いからぼくたちは社会主義者なんだ。あえてみずからを責めようではないか。ある時代の明るみに出す新たな悪は、それが生むであろう善を予告する。個々人が弱さを告白すると、そこにどれだけ集団の力が生じることか。ぼくたちはこの告白に、鋼が焼き入れされるように浸るのだ」。
ドリュは少年時代から身体的脆弱さに悩んでいた。(略)当意即妙の切り返しができない時は、十分に攻撃性を表現できない性格の弱さ、集中力の無さ、不器用さを責めた。

現代戦争と霊的戦争

ムッソリーニは現代戦争のおぞましさを見くびっているので、戦争準備に精神的効用を期待している。(略)
こうしてムッソリーニにおいて批判した、「現代が随所で行っている破壊行為」に対置される精神的な戦争像に歩みよった。ドリュは工業的な大量破壊とは峻別された、本来の男性性がそこで顕現する霊的な戦争を人類史のどこかに思い描き、「戦争の精神」ないし「戦士精神」を描き出す。ドリュによれば、戦争の精神を維持できない国民は、1930年代の危機的なヨーロッパから退場するしかないのである。(略)
ドリュが肯定的に描く戦争は、共同体の神殿や広場で執り行なわれる制度化された供儀とは違って、文明ないし人間の力の及ばない野で、成人男子のみによってくり広げられる饗宴であり競演である。(略)
若者は自分の身体を、かつては性交を通して知り、いまは女たちのいない野原で「神経と筋肉」を働かせて実感する。そして、血がまき散らされる。

国家成立の神話的暴力

ファシズムによる社会主義

国家は反乱、革命、内戦なしには生きることも、更新もかなわない」。なるほど、第一次世界大戦を経てわたしたちは、仮構された民族という形態での自己肯定をやめることにしたが、それでは党や階級が暴力的に自己肯定するのを止められるのか。ここで言及されているのは、革命やクーデタのふるう法措定暴力だけではない。国家そのものが存続するために、つねに成立時の神話的暴力を表象しておかねばならない、という透徹した発想である。(略)
ドリュは年初に訪れたベルリンで、種と国家の更新のために一度は激しい暴力衝動に身を任せた後、平衡を失うまいと身体をこわばらせ、苛立ち、呻くファシストたちを見た。こうしてドリュはファシズムに人類史的意義を認め、たとえ多数の生命を犠牲にしても、ナショナリズムを他の無害な方向に誘導できるなら、ファシズムによる社会主義革命をヨーロッパ各地で実現しようとする。

屈辱感を煽る

現代戦争に怯えたために辱められ、自国が主導権を握れないまま戦後秩序の再編に立ちあう侮しさを、ドリュはすべてのフランス人に突きつけた。とりわけ、フランスの穏健社会主義者が、ヒトラーに改革を先取され、また国際共産主義運動に若い世代の良質な部分が引き寄せられている現状を憂えて党に反発していると見たドリュは、彼らの傷ついた自尊心に塩をすりこむようにもっと堕ちよと呼びかける。「ぼくたちは弱いから社会主義者になった」と。それは読者に崇高と浄化への渇仰を植え付けるためである。戦争への恐怖を克服しようと焦る人間は、恐怖心の拠り所である自己保存本能と恐れの記憶とを捨てるために、集団に埋没して不死の身体を手に人れる。

愛国心は右翼の独占物ではない

パンフレット「フランス社会党 その神秘と綱領」(1936)には、「愛国心は右翼の独占物ではなく、社会的要求もまた左翼の独占物ではない」とあり、左右既成政党を浸食する「右でも左でもない」政党が目標とされた。

さらに明日へつづく。