政治的ロマン主義の運命

政治的ロマン主義の運命―ドリュ・ラ・ロシェルとフランス・ファシズム

政治的ロマン主義の運命―ドリュ・ラ・ロシェルとフランス・ファシズム

「自己責任の取れるかぎりで市民的諸権利が得られるとする啓蒙主義的自由観は、もはや失効しているのではないか」と1943年にファシスト宣言した「鬼火」の原作者である仏小説家ドリュ・ラ・ロシェル(1893-1945)の変遷。自己責任w。60年前の話です。
なお仏右翼が親ナチという簡単な話ではない、なぜなら敵国が好戦的ナチであることをナショナリストは喜ばない。
プロシアに負けて鬱屈する仏は学童武装

フランスがプロシアとの戦争に敗れてまだ十年を経ない1880年(略)11月、パリの公立男子小学校で、学童を武器を帯びた軍団に組織する提案がなされ(略)
国民の祝日にさいして学校軍団は軍団旗を文部省からもらい、学校内で体操と射撃の訓練をした。学校軍団が疑似ファシズム的大衆運動と、当事者の意図はともかく連動していたことを研究者が指摘している。
[対独復讐感情の激化と同時ピークを迎えた「学校軍団」は一旦終息したが、1905年以降に再度復活]

第一次世界大戦、ヴェルダン攻防戦で近代戦争の恐怖を体験

「歴史上初めて、ヴェルダンの皆殺し計略は、勝利の根拠を戦線突破や戦略ではなく、ある啓示に置き換えた。すなわち正義の戦争にせよ不正な戦争にせよ、冶金と化学が戦局を意のままにでき、あたり一面に恐怖を繰り広げれば戦闘を直ちに止めさせられるという啓示である」(略)
ヴェルダンの兵士たちが味わった死の恐怖は、敵に圧倒的な破壊力を見せつけて戦意喪失させるよう開発された近代兵器によってもたらされた。それは相手が恐怖と苦痛でゲームを降りるまで、味方がどうなろうと攻撃を続ける冷酷な捨て身の戦法だった。

これは人間同士の戦争というより工場同士の戦争だ。人々は工場で鉄屑を大量生産し、互いの頭上に、目をあわせず、弱々しく呻きながら投げつける。人間の出る幕はもうほとんどない。

戦場でナショナリズムが政治的虚構であると悟る

「ぼくら」は国ごとに分かれてはいない。なぜなら、「戦争による人類の分割、すなわち戦闘員と非戦闘員」を基準とすれば、敵国ドイツの兵士とフランス兵士の区別はなくなるからである。ヨーロッパ兵士は仲間同士で戦っているのだ。
「やっつけ仕事で完治、もしくは一週間[の休暇]が終わると、人は戦闘員を追い立て、世間がふたたび彼を、不安の唸るがらんどうの駅から坩堝に投げ込む。
囲まれた。
ぼくらを同士討ちさせる世界にぼくらは包囲されている。
ぼくらは世界の敗者だ」。
もしナショナリズムが兵士に同士討ちをさせるための政治的虚構なら、ヨーロッパ兵士はヨーロッパという新しい虚構、新しい世界を立ち上げないかぎり敗者であり続ける。この作品には、すでにドリュ・ラ・ロシェルのヨーロッパ合衆国構想が兆している。

「この民主主義的戦争は鈍重で、あつかましい平和のように平板に延びている」(詩集『審問』)

開戦の昂奮と緒戦から流されたおびただしい血は、この戦争が「民主主義的」であるために無駄になった。というのも、兵士は自分が均質な集団に埋もれていることを、まず行軍で、次に「塹壕で這いつくば」り、分け隔てなく降り注ぐ砲撃に怯えて実感したからである。戦争のもたらした「聖なる幻想」「運動」「劇」は、「万事が元の鞘に収ま」る平和の訪れるときに消滅する。ここで詩人は、時系列上で捉えておいた初発の喜ばしき戦争を、彼ならいつでも戻ってゆける特別な瞬間と言い換える。このように、ドリュは戦争を想起することで、戦後社会が決定的に失うであろう「精神の宝」を保持しようとした

ナショナリズム

ドリュは人間を個人から解き放って「深める」ようでいて、国籍や人種の檻に閉じこめ「身の丈を縮める」ナショナリズムを嫌った。

復員直後のドリュには、国民国家に対する根底的な疑義と、ナショナリズムの時代はすでに西ヨーロッパでは終了したという歴史感覚があり、それゆえ第一次世界大戦以前のフランス右翼とは一線を画していた。(略)
その後、ドリュのように、伝統的な左翼と右翼の対立を乗り越えようとしていたフランス人にとって歴史的転回が訪れた。
[ナチが第一党になり]
強力なファシスト国家が歴史に登場したことでゲームの規則が大きく変わったと考えた彼らは、見下していたイタリアのムッソリーニ体制の模倣ではない本物のファシズムを、ドイツに先駆けてフランスが完成させる可能性に賭けた。

1923年、引退していたクレマンソー宅訪問

虎の異名を取るクレマンソーは右翼ではないが少なくともナショナリストであり、もはやゾラに「わたしは弾劾する」を書かせたドレフュス派ではなかった。(略)
ドリュの関心は、ナショナリズムといわず共産主義といわず世界中に蔓延する暴力にある。「ヨーロッパ各地に広がり、ローマ、モスクワ、中央ヨーロッパでは圧倒的な暴力についてのお考えは」と尋ねる隙もあらばこそ、クレマンソーは、「まずイタリアだ。深層で形づくられ、進化の神秘を思わせるような不明瞭な動きを、わたしたちがどれだけ知っているのか。それが爆発する。するとわたしたちは驚愕するのだ」と答えた。(略)
「この暴力がフランスを席巻するとお考えですか。まだ仲違いしていないわたしの友人たちは、共産主義アクシオン・フランセーズに身を投じています」。
「同じことだ。もしわしが二十歳なら連中と同じことをするだろう。続くわけがないさ、この体制ではフランスは死ぬ」。
そして、アクシオン・フランセーズについてドリュから感想を求められると、クレマンソーは吹き出して、「ここだけの話だが、ご婦人にこれから強姦します、と言う馬鹿はおらんよ」と言った。

敗戦国フランスに育った青年の劣等感。村上龍w。

大英帝国ドイツ帝国ロシア帝国アメリカ合州国と並べたときのフランスの矮小さと、フランス人の身体的脆弱さを、学生時代の自分に重ねている。「ぼくたちは広大無辺のアジアに面したギリシャのように狭隘だった。男たちはちびで、痩せて、醜く、もっと強い[自国の]美女たちの尻にしかれていた。(中略)おお、1910年から1914年にかけてのラグビーの国際試合の嘆かわしい後夜祭の数々!隙なく秩序だったアングロ=サクソンたちに、兄貴たちがひっくり返されるのを見て、ぼくは書物を開く気を失くしたものだ」。(略)
負けたラグビーチームとその国民が、その身体に「男たちの経験しうるもっとも辛い痛罵、すなわち男性的美徳を疑問に付されるという痛罵を刻まれて」戻った、とされる。女性に成り下がったフランス男性は、子孫を残すに値しない。

1926年のインタビューでは既成右翼を批判しながら「右翼」を自認。社会主義革命とファシズムを同列に置く

「それがロシアとイタリアで起きた。それは明日にもフランスで、イギリスで、ドイツで生じるだろう。ぼくたちは新しい資本主義諸制度を代表しているこれら若い力に合流すべきではないだろうか。その力は本能の赴くまま資本主義諸制度を更新し、国家を若返らせようとしている」。
ロシアで資本主義制度が更新されたというのは、ドリュがロシア革命そのものを「国家の若返り」と了解しているからである。ドリュによれば、国民のうち特に若いブルジョワジーが責任に目覚めて政体を改めようとしているからには、フランスも悠長に構えてはいられない。

話が前後してわかりにくですかね。
明日へ、まだまだ続く。