デモクラシーにおける討論の生誕

議会軍の勝利により「国王なき政体」が現実味をおびた1647年、パトニーで開催された軍評議会の討論に「デモクラシーの本質」が見出されることで有名なのですと。
自然権なんて認めたらアナーキーになってしまうよと執拗に主張するアイアトン。
 

ピューリタンという名称は

元来、歴史的には決して厳密なものとは言えない。それは何よりも「人好きのしない人たち」の妥協を許さぬ敬虔主義と禁欲主義のエートスを揶揄する綽名なのであって、特定の教派や確固たる集団の名称ではないからである。(略)
敢えてここでその定義を試みるとすれば(略)「聖なる共同体を打ち立て、様々な度合いの妥協や調整を伴いながらも、その共同体が現世との闘争という問題に立ち向かうために決然たる多彩な努力」を傾ける人々、というのがそれである。

「聖なる共同体」とは

回心とは「きわめて私的・個人的な救済体験であり、教会員となるための欠くべからざる要件」であると同時に、「罪と死の絆から自由になることで、この世と肉欲と悪魔とに対する隷属からの解放」を意味する。よって、これを経験した者は「ただ神に対してのみ責任を負う自由な人」、換言すれば、一切の世俗的なるものに対する優越意識を持った聖徒として立ち現れる。そして、こうした聖徒たちが相互に「神の恩恵に基づく契約」を結んで設立するのが「聖なる共同体」にほかならない。

給料未払い等で議会と対立しだした軍

「パトニー討論」第三日冒頭付近のクロムウェルの率直な発言に見られるように、軍の存在根拠は政治的にはただ議会軍であるということに、すなわち、議会の持つ伝統的な政治的権威のみによって付与され得るのであって、議会との対立は自らの存在の正当性根拠を消滅させる。そのとき、軍は権威なき剥ぎ出しの実力(force)となるか、「聖徒の軍隊」という宗数的な理念にあくまでその存在の根拠を求める以外にはない。しかし、時代も47年になると、ピューリタニズムの千年王国思想は全体としては既に退潮期に入っており、内戦が終結して政治集団化した軍は、もはや分別なく宗教的理念に依拠するわけにはいかない。だとすれば、議会との敵対関係が明確化する中で、軍がもう一つの伝統的な政治的権威である国王に接近することは些かも奇異なことではない。

アイアトン

「古来の憲法(国制)」を擁護するアイアトンは、レヴェラーズによる自然権に基づく『人民協約』はすべての所有権を破壊してアナーキーに帰結すると主張。

「さあ、君たちは、すべての人々が選挙権を持つべきだということを、どんな権利に訴えるつもりなのか。我々全員、それを考えてもらいたい。自然権によってか。君たちの論拠としてそれを提起するつもりなら、そのときには、君たちはまたすべての所有権を否定しなければならないであろう。これが私の推論である。君たちがまことしやかに主張するまさにその自然権(それがどんなものであれ)によれば、誰もが自らを統治する人を選定する平等の権利を持つと君たちは言うが---その同じ自然権によれば、人間は眼にするいかなる物---肉、酒、衣服---をも、自らの暮らしのために取ったり使ったりする同一の「平等の」権利を持つことになる。土地に対しても、地所を「取ったり」利用したり耕作したりする自由を持つ。すなわち、人間は、自らに何らかの所有権ありと考える物に対して、同一の自由を持つことになるのである」。アイアトンによれば、レヴェラーズの言う自然法(神法)が客体的基礎を持たぬ内面規範として提示されるとき、事実上、個人の主観的判断が自然法によって聖別されることを他者は抑制し得ない。ここから「自然法に基づけば、かの所有権が君たちに禁ずるところの他人の財貨の使用、そのことを許す自由が大規模に存在することになる」という彼の主張が導き出される。

「古来の憲法」でいいじゃない

私は、この[代議制]を少しも拡大するなと主張しているのではない。これを我が王国の最も基本的な憲法に準拠させよと主張しているのである。つまり、王国内に地域に根ざした恒久的な利害関係を持たない人は、選挙で[それを持つ人たちと]平等の信用を持たせるべきではないという主張である。しかし、もしこの法を逸脱し、呼吸し生存するすべての者を認めるなら、このことが所有権を破壊することを私は君たちに示した。(略)
君たちが一度余所者に居住を許せば、君たちはこの原則によって彼らを認め、そして、土地に利害関係を持つ人たちが投票によって自らの土地から放逐されるかも知れない。だが、ここに君たちの信用する原則がある。君たちはこれが人民の権利、全住民の権利であると推断している。人間の生存の保全のためには不必要であるにもかかわらず、人間はかかる自然権を持っているから、というわけだ。[そして、]それゆえ、君たちはこれのために最も基本的な憲法を抛つことになるのだ。何ゆえ君たちは、ほかならぬその自然権を担ぎ出して、今あるものを利用しようとしないのか。まさにその原則に基づいて教えてくれ給え。[そんなものは]人間の生命の維持に必要[ない]ではないか。君たちはどこで止まるつもりなのか、教えてくれ給え。この原則によって、君たちは所有権のある人間をどこで区切るというのだ。