失われた革命―1950年代のアメリカ南部

 

失われた革命―1950年代のアメリカ南部

失われた革命―1950年代のアメリカ南部

戦争に消極的だった理由

[第二次大戦]中、南部人たちは、自分たちの生活を一変させるような大きな変化が起こりつつあるのを肌で感じ取っていた。彼らは、大恐慌時代とははっきり違う、猛烈な社会的変化が、特に人種問題をめぐって起ころうとしているのに気づいていた。(略)白人たちは、自分たちが戦争をしている理由は、「現状を維持するため」だと信じていた。彼らは、人種関係における革命を恐れていた。他方、黒人たちは、戦争に協力することで公民権が認知されない限り、そして平等な権利の保障につながらない限り、消極的な姿勢を見せた。白人たちが戦争への熱意を声にしなかったのは、社会的な変化を恐れたせいだった

南部人にとっての原爆

日本の一般市民に壊滅的被害を与えた原爆は、熱狂的キリスト教信仰を持つ多くの南部人を聖書へと引き戻した。(略)1945年以後、原爆の影は南部人につきまとって、人類絶滅の日が近いのではないかという不安を呼び覚ました。田舎であれ、都会であれ、アメリカの南部に原爆が投下されるなどあり得ないことだったが、人々は、この世が神の怒りの炎に包まれて終わりを迎える聖書の預言の図を思い描いたのだった。

密造酒の運び屋が自動車レース

南部人は自動車に異常なまでの強い関心を示した。好戦的なドライバー、スピードの出る車、それに荒っぽいファンが三拍子揃って、自動車レースは労働者階級の究極のスポーツとなった。(略)
[レース関係者の]70%がいわゆる”トリッピング”、つまり密造酒の運び屋をやっていて、おそらくちょいと酒造りもやっていたはずだという。ストックカー・レーシングのプロモーターやレース場オーナーは、酒関係の商売で儲けた金を資金にしていたという。(略)
トリッパー、密造酒の運搬人たちは、パトカーをかわすために猛スピードの出る車が必要だった。

マッハGOGOつうか、ちきちきマシンというか

1950年代のレースのプロモーターは、聴衆を引きつけるような仕掛けを奨励し、ドライバー同士の反目や、派手な行動や喧嘩、衝突など、噂に尾ひれをつけて宣伝した。ティム・フロックの車のオーナーの一人、テッド・チェスターは猿を一匹買って、ジョッコー・フロッコーと名付けた。チェスターは、ティムを説得して、ナンバー91のハドソン車に猿を乗せて、レースに出場させることにした。

女性ドライバー排斥

ルイーズ・スミスはただスピードが出せただけでなく、大酒を飲んだり、大声でののしったり、男たちと喧嘩をしたりした。彼女は特別扱いされることを期待していなかった。(略)
1950年代に、ナスカーの組織が堅固になるなかで、女性のドライバーは締め出され、ピットからも女性が消えていった。さまざまな理由づけがされて、女性には特定できない安全に関する問題があるとか、騒ぎの種になるとか、ねたみなどから、女性は締め出されたのだった。

プレスリー

あれはブラザーファッションだったのかプレスリートニー・カーティスに憧れてアイシャドーを塗っていたプレスリー。「代理黒人と服装倒錯者の両方を象徴」していた。

1950年代半ばまで、多くの南部のカントリー/ヒルビリー・ミュージシャンが、ベーシックなカウボーイのお決まりの衣装で歌っていた。(略)
正面に立つプレスリーは、ビール・ストリートのランスキー・ブラザーズの店で買った、普通は黒人が着るような服装をしていた。チャーリー・リッチは、こう漏らす。「僕たちは黒人のような服装をした。これがかっこいいやり方だった。それでちょっと反逆児の気分になった」。(略)ランスキーが言うには、「エルヴィスが着ているのを見て、誰も彼もがピンクと黒を着たがった」。ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンズ、ロイ・オービソン、チャーリー・リッチ、ジョニー・キャッシュ、それにパット・ブーンまでが、ランスキーの店で服を買った。B・B・キングやアイザック・ヘイズ、多くの黒人バンドやゴスペル・グループがこの店を愛用していたことは言うまでもない。(略)
1954年秋、有名なラジオ・ショー(略)に出演した時のプレスリーの服装は(略)ピンクのジャケット、白いズボン、黒のシャツに、取り外し式の派手な色の蝶ネクタイ

元祖プリンス?

リトル・リチャードはデビュー前から女装していたそうです。

ジョニー・オーティスは、テキサス州ヒューストンのクラブ・マティネでリトル・リチャードの姿を見て、「とても美しく、異様で、エキゾチックだった」と評している。リトル・リチャードは、ステージの最後に、「みなさん、キング・オヴ・ブルースこと、リトル・リチャードでした」と挨拶した。それから、もう一言、ちょっと考えてから、「クィーン・オヴ・ブルースでもあります」と言い添えた。(略)
1955年、スペシャルティ・レコードのバンプス・ブラックウェルは、リトル・リチャードのレコーディングをおこなった。ランチ休憩のときに、リトル・リチャードがみだらな歌詞をつけて歌ったメロディーが、「トゥッティ・フルッティ」という曲になる。(略)ブラックウェルは、その時のリトル・リチャードの髪は、30センチほど逆立っていたという。「彼のシャツは、まるでラズベリー・ジュースと、チェリー・ジュースとビールと野菜ジュースを飲んで、それを叶いて体中にぶちまけたかと思うほど派手派手しかった」。けばけばしくて破壊的なスタイルで、リトル・リチャードは50年代のタブーをことごとく無視し、しかもスターの座にのし上がった。

ようやく小生は「のっぽのサリー」がオカマだったことに気付きました。勝手に棒みたいな体の女の子を想像していたのだけど、どうも、HG、フーということらしい。みつはちかこや岸辺一徳の立場は。まあどっちもサリーは男の子なのだけど。メルヘンポエム、フー。
「Long tall sally」の歌詞の抜粋。

I saw Uncle John with Long Tall Sally
he saw Aunt Mary comin' and he ducked back in the alley
Oh, baby, yeah now baby
Woo baby, some fun tonight
Well Long Tall Sally's built pretty sweet
She got everything that Uncle John need

ポールは未来を先取りしてジョンとブライアン・エプスタインの関係をからかったのかニャー、猫ひろしTBS感謝祭で小ブレイク。
プリティ・リーグはそうなんですか。

メンフィスでは、ソフトボールをはじめとする労働者階級文化を軸に、豊かなレズビアンのコミュニティが発展していた。彼女たちの多くは、自分たちの性的嗜好のことは親にも言わず、秘密にしていた。家族経営のこぢんまりしたバーや、ジューク・ジョイントに行って、ダンスをしたり、抱き合ったり、喧嘩をしたりした。中には逮捕される危険を犯して男装するものもいた。(略)多くの女性は、女性ソフトボール競技場が最高の集会場だと考えていた。

失われた革命とは、

訳者あとがきより

前半の章でダニエルは、第二次大戦後のアメリカ南部の「平穏な時代」という神話を打ち崩す。いかに巨大な資本主義的力が、南部陣営の構造を根底から破壊していったかを論述する。(略)長引く不況に喘いでいた南部の農民たちは、戦時中ににわかに活気づいた軍需工業に引きつけられ、工場が集中する都市部へと移住し始めた。しかし、彼らの離農の動きを決定づけたのは、農業の機械化と化学合成薬品の導入、それらを後押しする連邦政府の強引な農業政策たった。機械や農薬に仕事を奪われた農民たちは、工場労働者に生まれ変わる努力を強いられた。ダニエルは、ここに、最初の大きな革命の可能性を見る。苦境のなかで離農し工場労働者の道を選ばざるを得なかった状況は、白人も黒人も同じだったからである。彼らは、労働者として共通の権利を守るために連帯し、早くも戦時中に産業別労働組合(CIO)が人種統合に成功した。こののまま革命的な変革が生まれるかに見えた[が](略)結局、彼らは大多数の白人の沈黙の前に敗北していった。