立花本、イランの歴史、ザ・ガルフ

解読「地獄の黙示録」

解読「地獄の黙示録」

  • 作者:立花 隆
  • 発売日: 2002/02/01
  • メディア: 単行本

「闇の奥」を最初に映画化しようとしたのは

オーソン・ウエルズで、1939年のことである。RKOと話がまとまって、撮りはじめたが、予算が大幅に減額されたため、撮影開始一日目に中止になっている。オーソン・ウエルズの発想では、「闇の奥」を通じて、その時代をおおっていたファシズムの脅威を描こうとしたという(カーツすなわちファシズムの体現者なのである)。

コッポラ、ジョン・ミリアス、ルーカスはベトナム戦争映画をつくろうと考えていて、下敷きに「闇の奥」をもってきたのはミリアス。ルーカス、ミリアスのスケジュールが埋まっていたのでコッポラが自分で撮ることに。

ピーター・カーウィーによると、ルーカスが「地獄の黙示録」の監督は断ったものの、そのアイデアを借りて換骨脱胎し、シチュエーションもベトナムのジャングルから宇宙に置きかえて作ったのが、「スター・ウォーズ」(77年)なのだという。(略)帝国はアメリカ、反乱軍はベトコンである。そしてダース・ベーダーがカーツなのである。

古い新書をトイレで消化するシリーズ

ペルシアの誇り

古代から高度な文明を発達させたイラン人から見れば、アラブ人は無知な砂漠のベドウィン遊牧民)であり、文明化された生活とは相容れない粗野な存在と受け止められたに違いない。また、トルコ人は武力で優越していたものの、愚鈍で、繊細な感覚に欠けているとイラン人には思えただろう。独自の文化的伝統をすでに確立していたイラン人は、アラブやトルコ、またモンゴルの征服や侵入を受けても独自の文化を維持し、かえってこれら外部の民族にもその文化的影響を及ぼすようになった。こうしたイラン人のみずからの文化に対する優越意識も、彼らがイスラームの少数派であるシーア派信仰に固執する一要因となり、その教義の発展に影響を及ぼしたことはまちがいない。

あの「想い出のサマー・ブリーズ」が

バハーオッラーは、1863年バグダード近郊でみずからを「バーブによって定められた預言者」であると宣告するに至る。彼の教えは、バーブの過激な救世主的なトーンを放棄した自由主義的なもので、その後バハーイー教として知られることになる。[弾圧された]バーブ教の多くの信徒たちは、このバハーイー教を受け入れ、信仰していくことになった。(略)
現在でもバハーイー教の活動は世界各地で見られ、その信徒の数は600万人から700万人とも見積もられ(略)バハーイー教徒のシールズ&クロフツの「想い出のサマー・ブリーズ」も人類愛を歌ったものだった。

1940年代を通じてイラン人の対米観は

肯定的なものであったが、それは既述の通り長年にわたりイギリス、ロシアの帝国主義に抑圧されてきたイランにとって、アメリカは英ソ二国に対抗する第三の勢力であり、しかもイランに真の独立をもたらすかもしれない国として期待がかけられたからだ。

「ザ・ガルフ」とは一般にメキシコ湾を指していた。

では、本書でとりあげる産油八カ国が臨む「湾」はどう呼ばれていただろうか。二千五百年の歴史を持った「湾」の大国ペルシャにちなんだ「ペルシャ湾」が長いこと使われてきた呼び方だった。しかし1952年エジプト革命が、ついで1958年イラク革命が成功し、アラブ民族主義が昂揚し始めると、アラブの指導者たちはペルシャの覇権に反発し、あえて「アラビア湾」と呼び始めた。このため日本の新聞は一時「ペルシャ湾アラビア湾)」という表記を用い、アラブのほうにも顔をたてることもした。現在でも「ペルシャ湾」という言い方のほうが優勢ではあるが、近年とみに市民権をかち得てきたのが「ザ・ガルフ」(湾岸)という呼称である。

1976年のオマーン

オマーンの主要な政府行政機構や軍で”助っ人″となっているのはいまなお英国人である。オマーンと英国は政治的、軍事的に切っても切れない関係なのだ。1976年、オマーン訪問に同行した英ロイター通信のグッドチャイルド記者が「衰えたりといえども、ガルフはまだ大英帝国の勢力圏なのさ」と得意げに語っていたのを思い出す。(略)現在もなお政治的、軍事的に英国との強い結びつきを持っているのはオマーンだけである。

1976年のイラン

実際、このころのイランは、言うような中立外交ではまったくなく、米国に追随し、ガルフにおける米国の権益を守るための警察官の役割を果たそうとしていたのである。知り合いになったイランの有力紙『ケイハン』のアミルサデギ記者に、シャーはなぜ軍備増強に力を入れるのかと質すと、「北には大国ソ連があるからね。軍備を固め、強国にならなければ、イランの安定と平和はないからだよ。それ以上はノー・コメソトだ」と答えた。彼はしきりに周囲を気にしていたが、いまから考えると、悪名高かった秘密警察SAVAKの目と耳を恐れていたのであろう。