ピアノと平均律の謎

ピアノと平均律の謎―調律師が見た音の世界

ピアノと平均律の謎―調律師が見た音の世界

調律という名の妥協

調律師が作業を始めるときには、まずピアノの中央からいじっていく。(略)適正なピッチを定めるために、一音ずつ弾いてみて音叉に照らし合わせていくわけではない。同時にニつの音―ひとつの音程―を鳴らして、その振動が交錯するパターンで生じる「うなり」に耳を澄ますのである。(略)彼女は二音のハーモニーを慎重に、まったく濁りのない状態から少しだけはずして調整する。中央のすべての音程のバランスがうまくとれたところで、その外側をオクターヴごとに、鍵盤の最高音・最低音に向けて調律していく。そうしてできた結果は、完全に均整のとれた状態でもなければ、純正な音程の集まりでもない。ひとつの妥協なのである。

エンドレスチューニング

つまるところ、調律師はいつまでも際限なく作業をつづけられるのである。耳は非常にすぐれた識別能力をもつ道具だ。だから、いつでも欠陥を見つけだしてしまう。そこのオクターヴがふらついてる、そこのユニゾンが鼻声みたいだ。ここの音程を決め、そっちの和音をまたやりなおして、もう一度。永久にここにいることになるのかしら?

素敵なら、ぼやけていても全く構わないと思うが

それでも音楽がまた別な自然の音階に支配されているということであれば、そこにはいくらでも音が生まれ、それに思いのままに名前をつけていくことができる。これが民族音階、耳と心の音階であり、ほんの気まぐれでできて伝えられてきた音階である。ここでは、音に名前をつける必要もなければ、はっきりアイデンティティをもたせる必要もなく、オクターヴが頑固な司令を出して統括していく必要もない。音はさながら霧箱の中の原子下の粒子のように、現われたり消えたりできて二度と同じ道をたどることはないのである。こうした音階では、不揃いなものもなめらかなものもあらゆる音程が、その螺旋の環をわたしたちの耳に聞こえるところまで下ろし、ひとつとして同じもののない無数の相をもつメロディーをつくって、華麗なラプソディーのなかを跳ねまわる。ここでは、音程や音にあるのは領域であって、明確な位置ではない。電線の上の鳥たちは姿がぼやけたり、ふらついたり、よろめいたりしている。あるいは、電線の上にはいないことも充分考えられる。

調律師だけが知るせまい領域

調律師は、よく訓練された耳を使って、実際そんな場所が存在するとはほとんど誰も知らないとてもせまい領域で仕事をする。(略)ピアノの中央部で、自分なりのパターンに合わせて、純協和音程を加減する。5度を少しせまくして軽いため息のような音が出るようにし、4度を心もち広くして「ワオ」と声をあげるようにする。長3度をたっぷり広くとると、はっきり数えられるほど規則的に「ウーウーウー」とうなりだす。

波紋がゆらめき光り輝く輪が生まれた中世の音楽

中世を通じて、またその後も(おそらく)ピアノが発明されるまでは、正調音の理想は達成されていた。ただそこには、人々が演奏しようと思うすべての音楽を満たすだけの「正確さ」は明らかになかったが。純正三和音の中心から波紋が徐々にゆらめき広がり、そこにできる純正三和音のきらきら輝く輪に高い代価が払われた。しかし、その当時人々が何を耳にしていたか、果たしてわかる人がいるだろうか?ピアノ以前の楽器はもっと音が小さく、そのうえ音の構造も異なる。聴き手はたぶん、現在のわたしたちとはまた別なしかたで自分をごまかしていたのだろう。きっと頻繁に出てきたにちがいない純正な音程を待って、あとは全部まとめて、外の闇の世界に放りこんでいたのではないか。善を光り輝かせるためには、悪が必要だ。彼らはそう考えていたのかもしれない。

なんだか最後の方は村上春樹の世界

ピアノ調律師は音律を設定し終ったところで、それぞれの音がユニゾンになっているかどうか確かめなければならない。(略)
調律ハンマーでうなりが聞こえなくなるまで調整していくのだから、実に単純なことのように見える。(略)
何か悪いもの(うなり)を取り除いているだけでなく、同時に何かを加えることもしているのである。したがって、ユニゾンというのはただたんにうなりがない所というだけではない。では、いったい何なのだろう?
(略)
ニゾンを調律して、うなりがしだいに遅くなってくるにつれて、もうそれ以上数えられないくらい遅くなる所が出てくる。そこの所で、うなりは今度は音にふくらみを与える効果のひとつに転じていく。うなりは止むが、ユニゾンはまだ見つからない。ここまでで、「加減すること」(ふつうは完全なうなりではなく、揺れにだけ関わるにしても)からずいぶん遠ざかったことになる。「純正」とか「正確」とかいうものを、とにかく数える以外の方法で測る世界に入ったのである。もう耳さえ、いつものようには使っていない。耳は、うなりが止み、揺れが遅くなって、残るはざわめきばかりという所までしか導くことができない。いまは、前と違ったやりかたで聴いている。数えるのをやめ、耳だけで関くのをやめ、すべてやめてしまう。
ここで、ユニゾンまでの残る道のりが一挙に崩れ落ちる。揺れは、それ以上小刻みに減っていくことはなくなって、溶けあってまっすぐになり始め、しだいに静けさのなかに消えていくからである。いや、そうではなく、突然どこかに足を踏み入れてしまったらしく、いま、そこにいることに気づいたという感じ。途中、何か起きたのかはけっしてわからない、ただ落下しつづけていたのだから。