音楽をよむ

音楽をよむ ~ベスト300完全ガイド

音楽をよむ ~ベスト300完全ガイド

  • 発売日: 2005/04/20
  • メディア: 単行本
 

ピート・ロック、パクリ問題について大いに語る

--君が使ったネタを集めたコンピレーションCDも出回っているよね。どう思う?
くだらねえよ。ネタは秘密にしていない。俺が使ったネタはどこでも見つかるんだよ。でもな、ネタばらしを簡単にやるべきじゃないよ! 俺らにとってはそこが大切なんだ。みんなが楽しめるように必死になってネタ掘ってるんだからね。どうしようもないアホ野郎は自分で探してみろってんだ。ビートを知るってことはテメえでつかみ取るものなんだぜ! 空軍の勲章みたいにな。
ネタ探しってことでは、昔はレアなレコードがあるレコード屋に行かなきゃだめだって考えていたな。でも今ではビートなんかどこにでも転がっていることがわかったんだ。眠りこけなきゃ、自分の鼻のすぐ下にもあるんだ。

アイディアはいいけどネタをパクるな

--ア・トライブ・コールド・クエストの『ロー・エンド・セオリー』には関わった?
「ウィ・ガット・ザ・ジャズ」を作ったよ。
--え?あの曲の何を?クレジットがないじゃないか。
ないんだよ。ビートは俺が作ったのに! 曲の最後でヤツが一応俺をシャウトアウトしてはいるんだけど、とんでもない裏切りだ。何が起こったかを話すと、ティップ(Qティップ)はちょくちょく家に来ててさ。で、ドラムマシーンであの曲のビートを流してたときに、奴が来たんだ。「なんじゃそりゃ?」って言いながら地下に下りてきた。俺はちょうどビートを作ったばかりだから、当然サンプルしたレコードがターンテーブルに乗っかったままだろ?ラッキー・トンプソンの「クック・カウンティ・ジェイル」が。「それをCLのために作ってんのか?」って感じで詰め寄ってきたから、「だったら何だよ」って言ってやった。奴は俺が使ったネタが何か知って、同じ部分を使って同じように作りやがった。で、レコードの最後にチラッと、「ピート・ロックのビート、止まんないぜ」って言ってるんだ。あれは俺のものだ! パクり野郎からクレジットを取り返してやるよ!
(略)
俺は言いたいね。オリジナルを作ったのは俺なんだって。絶対に許さねえ。別に誰かに怒ってるわけじゃないよ。ただクレジットを直したいんだよ。アホくせえ。仕事サボってんじゃねえぞってな。人のアイディアをかっさらうなんて最低だよな。単純によ、トラックを作るってことなんだから。俺からアイディアを取ったり、学んだりするやつは大勢いる。それは全然OK。誰かに教えるってことはうれしいし。でも、汚ねえ野郎が腐るほどいるんだ。ロクに働きもしないで、人のアイディアを盗む野郎が。

ジャイルズ・ピーターソン、海賊放送の想い出

僕たちは父親に南ロンドンのエプソンという小高い所に車で連れていってもらい、カセットプレーヤーにブログラムを録音したテープを入れ、トランスミッターにつなぐ。それを木の高いところに括りつけて、バッテリーを車からとりながら周波を送るんだ。周波をキャッチした人が聴けるってわけ。番組の最後に電話番号を吹き込んでリスナーからの反応を待つ。電話番号はパブのとなりの公衆電話だ。父たちと電話ボックスの前に座って、「来るか?、来るか?」ってね(笑)。かかってきたときは、もう最高さ! 興奮したね。「ハロー!シビック・ラジオです!」
--ははは(笑)。電話ではリクエストはあった?
それがさ、話してみるとショックだった。ほとんどが”ラジオ・オタク”だったからね(笑)。「新しいパイレーツ・ラジオだぜ!機材は何を使ってるんだ?」って。「ハービー・ハンコックをかけて」なんて絶対に言わないんだ。

ウェルドン・アーヴィン語る

  • ディスコは嫌いだが、昔からポエトリーが好きだったからヒップホップは好き

まるで蕎麦屋のような言い訳をするレコード会社

Qティップは私から初めてサンプルの許可を取ったけどね。他の奴らは音沙汰なしだ。それでもいいんだよ。私に対しては何の借りもないんだからな。サンプリングに関する例のビズ・マーキー事件の判決が出て以来、サンプルするためには原曲の作曲者と発行元への支払いが必要になったよな。それからは、アーティストよりもレーベルに直接電話するようにしている。彼らは訴訟を起こされたくないものだから、「もう小切手は送りましたけど」って言うんだ。クリエイティブな出来事はスタジオで起こってるんだ!ギバちゃん

ホレス・シルヴァーからビジネスを学ぶ。

自分の曲は自分の会社からリリースしろ。HoraceのEcarohに倣って、WeldonはNodlewという会社を。

私はこのインタビューの読者、やる気のあるミュージシャンたちに伝えたいね。特に作曲者には。ビジネスをしっかりとやるなら必ず必要なことだ。クリエイティブな出来事はスタジオで何となしに起きる。契約のサインはないし、関係者の合意なんてものもない。だから、作曲家は自分自身で身を守らなくてはならないんだ。誰かと共同で作曲するなら、ナプキンでも紙マッチでもいいから、「歌詞は君、サビは私、この一節も私……」と書きとめることだ。そして日付も書くこと。これは純粋に誓約であって、クリエイティブな仲間との契りなんだよ。

ボブ・ジョーンズ、ジャズ・フュージョンが使えることに気づく

UKジャズダンス・シーンの先駆者ボブ・ジョーンズは1976年常連客のリクエストでジャズフュージョンが使えることに気付く。ノーザン・ソウル・シーンDJのコリン・カーティスも同様の経験から。

1978年6月、マンチェスターのスマーティーズで、彼はいつものようにアップテンポなジャズファンク、ディスコを回していた。すると、有名なサッカー選手フランク・ウォーシントンがジャズサックス奏者アート・ペッバーの曲をリクエストしてきた。それまでコリンはフロアでジャズをかけたことがなかったが、ウォーシントンがコリンがかけていた曲とジャズを同じように解釈したことにとても刺激を受けたのだ。彼はそれがきっかけでジャズを探し回るようになるのである。